第1章:イギリスへの旅路

第4話:悪魔退治の生業

 ルーヴィックは微かな振動で目を覚ました。

 眠るつもりはなかったが、どうやら椅子に腰かけながらウトウトしていたようだ。おかげで見たくもない、モルエルの死んだ晩を無理矢理にも思い出させてくれた。

 そして起きた時に思い出したことがもう一つ。


 船酔いだ。


 揺れを感じて胃の中のものが引っ繰り返りそうになるのを耐えた。

 ここはイギリス行きの船の中だ。

 モルエルの件があり、すぐに行動に移した。抱えていた事件(悪魔がらみの)を全て棚上げして、ロンドンに行くために渡航の手続きを済ませて乗り込んでいた。

 今回の天使殺しはそれだけの重要度があると、彼は睨んでいる。少しでも二の足を踏んでいれば、取り換えしが付かなくなるだろう。

 椅子の上で凝り固まった背中を伸ばし、ルーヴィックは立ち上がる。

 脇のベッドの上には乗船する前までに集められるだけ集めた資料の束と、対悪魔用のアイテムが並べられている。

 愛用するオートマチックの拳銃に昔から使っているシングルアクションのリボルバー。それらに使う弾丸と弾倉。ナイフ。そして聖水や聖油のアンプル、天使の涙から生成した塩(どうやって涙を採取したかは企業秘密だ)を入れた容器。魔除けのペンタグラム。銀の杭など。寝具としての存在意義を否定した使い方だ。

 部屋の脇に掛けられた鏡で自身の顔を確認する。


 酷い顔だ……。


 久しぶりに無精髭を剃り、髪を整えたことで、威嚇するような獰猛さが薄れた。ただし、肉の落ちた頬に青白い肌が彼の幼く病弱そうな雰囲気を一層際立たせた。

 この不健康な肌色と顔つきの原因はハッキリしている。


 寝てないのだ。


 彼は一つの仕事に取り組み始めると基本寝ない。

 眠りたくないわけではないし、眠りたいとも思ってはいるが、優先順位が低いのだ。彼にとって睡眠や身だしなみを整える時間があれば、別の作業をしてしまう。事件を解決するために、やるべきことは枚挙にいとまはない。

 自分が1秒無駄にすれば、1人の命が失われているかもしれない。そう考えると休んでいる暇などなかった。特に彼が携わる悪魔がらみの仕事は。

 ルーヴィックは水を溜めた簡易の洗面器で顔を濡らし、まだ寝起きで靄のかかる頭をスッキリさせる。


 天使と悪魔の戦いは遥か昔の話のこと。

 天使を率いる大天使ミカエルと悪魔を従えた堕天使ルシフェルの戦いは、ミカエルによってルシフェルが地獄の底(コキュートス)より更なる深い氷の煉獄に押し込められたことで、一旦戦いは終結した。ルシフェルを失って以来、悪魔は天使と睨み合った膠着状態が続く。表向きでは。

 追放された悪魔達はいつだって逆襲の機を狙っている。その攻防は水面下で常に繰り広げられたが、それでも互いに殺し合うほど愚かではなかった。悪魔達にとっては、ルシフェルのいないまま戦争を起こすことが無謀であると理解しているからだ。つまり天使を直に殺害するなど『無い』に等しかった。

 今回のような表だった殺人(天使だが)は皆無だ。

 天使と悪魔が何かを企み、行動する時は大抵、天国と地獄の中間にあるここ。つまり人間界でせめぎ合うことが多い。ルーヴィックは、そういったオカルト的なのを専門にする捜査官だった。もちろん表だってそう名乗っているわけではない。天使と悪魔は人間が思っている以上にこの人間界に来ているが、それを知る者はごく僅かだ。

 10年前、彼は連邦保安官の助手をしていた。もちろん人間相手の仕事だ。だが、ある事件に巻き込まれたことで、悪魔がらみを専門にするようになった。


 よく今まで生きてこれたもんだ。


 濡れた顔をタオルで拭きながらルーヴィックは心の中で呟く。幸か不幸かしぶとく生き残っている。こればかりは自分でも褒めてやりたい。

 「はぁ」と心の中では収まりきらないため息が口から漏れる。

 再度鏡を見るが、やはり酷い顔をしている。死神が肩口に見えそうだ。

 イギリス・リバプールまでは約2週間。まだ時間がある。

 腹に何か入れてから少し休息を取ると心に決め、彼は軽く身支度を整えて自室を出て行った。

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