第2話:モルエルからの誘い
それは少し前に遡る。
20世紀を迎えようとするアメリカ。
南北の対立の集結は、強大な国家の誕生を意味した。
高層ビルが建ち始め、急速な経済、技術成長を見せるこの国、街は、今や進化を超える勢いで成長を始めている。躍動する人々の行き来がその繁栄の兆しを予想から確信へと変化させる。
さらに移民の増加に伴い、街は人でごった返していた。
だが、これほどまでに人口密度が高まっているにも関わらず、相変わらずこの街の冬は凍えるほどに寒かった。降りやむことを忘れたかのように降り続ける雪は、街を白く染めるだけでなく、わずかに残った石造りの街の温もりすらも容赦なく吸収する。
日も暮れた夜となっては、誰も一秒と長く外になどいたくはない。皆は足早に室内へと消える。ある者は家に、ある者はパブやサルーンと呼ばれる飲み屋に。それは五番街から北に住む富裕層も、ゲットーやスラムなどのテナメントに住む貧困層も変わらない。
外を出歩きたくない理由は寒さだけではない。夜の暗闇も要因の一つだ。むしろ、こちらの方が理由としては大きいかもしれない。ガス灯が照らす夜でも、一人で出歩いて安全なほど治安はよくない。特に女はそうだ。
そんな人々の群れをかき分けながら、ルーヴィックは教会に到着した。
モルエルに呼ばれたため、仕事を切りの良い所で切り上げてきた。
『仕事』と言っても、連邦捜査官としての表の仕事ではなく、エクソシストとしての裏の方だ。基本的に連邦機関に身を置きながらもあまり仕事はしていない窓際捜査官というのが、周囲からルーヴィックに向けられる評価だ。規律は守らない、資料は提出しない、身だしなみもだらしない。日がな一日、雑務をこなす時もあれば、まるまる数日オフィスに顔も出さないこともある。そんな彼を見る同僚の目は冷ややかなことは言うまでもない。
しかし、裏では優秀なエクソシストとして悪魔に恐れられる存在でもあった。悪魔や邪教徒関係の事件は政府から直接彼に指名が来る。下級の悪魔が相手の軽い場合もあれば、街全体を巻き込んだ大きなものまで。これまでに多くの事件を解決し、数えきれないほどの悪魔たちを地獄に叩き返してきたが、そのほとんど(すべてと言っても過言ではない)が表沙汰にはならない。悪魔などの存在を公表すれば大きな混乱を招いてしまう。そのため政府によって隠されている。
ルーヴィックがいくら事件を解決しようと、それを知る者は僅かなのだ。
納得のいかない時もあるが、不満はない。それは彼が自ら率先して選んだ道でもあるからだ。残念ながら才能もあるようだった。エクソシストは短命だ。超常の存在である悪魔と戦うことが多いため、戦いで命を落とすこともあれば、精神がおかしくなることも少なくない。そんな職を彼は10年も続けているのだ。
モルエルはアメリカ政府に友好的な天使で、多くの助言を授けてくれる。通常は人間と変わらない生活をしており、教会などの孤児院の支援をして過ごしていた。
各地を転々と移動しているため会うことは少ないが、ルーヴィックとは短くない付き合いだ。彼がエクソシストの道に足を踏み入れた時からなので約10年になる。
そんなモルエルから呼び出しの封書があったのだ。
ルーヴィックは教会の屋根の下まで来ると、肩に付いた雪を邪魔くさそうに払い落す。
モルエルから直に話があると言うことは、十中八九厄介事を押し付けてくるだろう。
そう思って顔を顰めながら自分の顎を摩る。
濃い無精ひげが生えている。髪も伸び放題だ。
その様子に再度、顔を顰めた。
それはモルエルにではなく、自分に対して。
ついつい抱えている事件が終わるまでは、身だしなみに億劫になってしまう。そのため、気付くと獣のような風体になっていることが多い。元からの鋭い眼光と合わさり、物騒な顔つきになってしまう。周りからも良く注意を受けるも、優先順位の問題だ。髭を剃る時間があれば、事件解決に費やした方がいい。
とはいえ、さすがの彼も髭や髪が伸び放題の容姿でモルエルと会うのは気が引けた。決して怒らないが、会うたびに優しい口調で諭すように小言を言ってくる。身だしなみのことも間違いなく指摘するだろう。『いいですか、ルーヴィック。身だしなみは、その人の心とおんなじなのですよ』などと。
まるで母親だ。
鬱陶しいが、不思議と悪い気はしない。
しかし、今回は急な呼び出しで時間がなかった。
そう自分に言い聞かせながら、ハットを取り、申し訳ない程度に髪と髭を撫でつけてから教会の敷地へと入った。
そこは決して大きくない教会で、天使がいるようには見えないほどみすぼらし。モルエルは敷地の端にあるこじんまりとした小屋にいると書いてあった。
違和感は、ルーヴィックが白い息を吐き出しながら中庭を歩いている時。夜ともいえる時刻だ。静かなのは当然のこと。だが、それにしては静かすぎる。
モルエルのいる小屋はすでに視認できている。中からはぼんやりと暖かそうな火の光が漏れていた。何もおかしなことなどないはずなのに。なぜか彼にとっては胸騒ぎを誘う沈黙だった。
ルーヴィックは小屋に視線を送りながら、ジャケットのボタンを外し、胸元のホルスターに収まっている拳銃を引き抜く。
それは主流のリボルバーのような回転機構を持たない物で、オートマチック(自動式拳銃)と呼ばれるものだった。
数度、呼吸を整えてから小屋へと向かう。
吐く息がやけに白い。鼓動も耳が痛くなるほど高鳴っている。
扉の脇まで進み壁に背を預けながら、銃を握る手に力が入る。
反対側の手でノックをするが、しばらく待っても無反応だった。
小さく息を吐き出してから、ノブに手をかけて回すと、扉は微かな軋む音を立てながら開いた。
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