第3話:託された物

 小屋の中からは温かな空気が漏れてくる。

 暖炉には火がくべられており、ランタンの明かりと共に室内を明るく、そして優しく照らす。

 扉を開けるとそこにはキッチンから食卓、ベッドなどが一室にまとめられた簡素な造り。

 テーブルにはお洒落なティーセットが2つ置いてあり、紅茶からはまだ湯気が上がっていた。

「モルエル?」

 慎重に周囲を警戒しながら進む。

「どこだ? いないのか?」

 少し声を張ると、微かに苦しげな声が聞こえてくる。

 声の方へと進むと、食卓の影になって見えなかったが、一人の女性が倒れていた。

 それは天使・モルエルだった。彼女はブラウンの髪をしており、男とも女とも取れる顔立ちだが魅入ってしまうほど美しく、そして優しげで温かい。その彼女が床に転がり動かなかった。

「マジかよ! ウソだろ」

 モルエルの姿を視認するやいなや、弾かれた様に彼女の元へ駆け寄ると抱き起す。

 見ると露になった白く大理石のような肌には亀裂が走り、胸元から溢れる血(人間で言うならば)が光を反射して白銀に輝く。苦しそうに上下させる胸は微かにしか動いていない。そして傷は胸だけではない。何カ所もある。確実に殺意のある攻撃だった。血は体中、至る所から流れて床を汚す。

「誰にやられた? 今、手当てしてやる」

 頭が真っ白になりそうになるのを必死で堪えながら、ルーヴィックは銃を床に置いて、彼女の傷口を強く圧す。モルエルは微かに眉を顰めるだけで、血は止まる気配がない。

「……ルーヴィック……、遅かったですね」

 美しく澄んだ瞳でルーヴィックを見ながら、彼女はわずかに微笑んで見せる。しかしその笑みにはいつもの力はなく、瞳には光がない。

「バカ言え。俺にしては、ベスト3には入る早さだろ。そんなことよりも、誰に……っ!」

 いつもなら返ってくる笑い声も反論もない。再び問いかけようと言いかけた時、何かを感じた。

 目に見えない何かだ。自身から出る見えない触手に何かが触れた、そんな感じだ。髪の毛に風が当たるような。

 つまり直感に近い物だが、ルーヴィックは自分のそれを信じている。でなければ、人外と10年も戦い続けることなどできない。

 先ほどまでの今にも泣きだす幼子のような眼つきから、歴戦のハンターの鋭い物へと変わり、周囲を警戒する。


 何も見えない。


 ルーヴィックは、抱いていたモルエルをゆっくりと寝かせてから立ち上がる。

「少しだけ待ってろ」

 まずは小屋の中にいる異物を排除しなければ、モルエルの手当てなどできない。おそらくはその異物が襲撃犯なのだから。モルエルの容態を考えれば、あまり時間はかけられない。

「この部屋にいる悪しき者よ。我が主(あるじ)の名のもとに姿を見せよ」

 しばらく待つが反応はない。

 相手は力の弱い下級悪魔ではない(予想はしていたが)。

 次に、彼は腰に下げた道具箱から手鏡を取り出して部屋を映した。

 顔の横に持ってくると、鏡越しの室内と実際を見比べながら見て回る。

 鏡が部屋を映していた時、角に影のようなフードを被った人物が一瞬映る。

 実際の場所を肉眼で見るが、そんな人物はいない。

 だが、ルーヴィックは迷わず銃を構えて数発発砲。弾丸が壁に穴を開ける。


 手応えは……ない。


 外した。そう思った時だった。

 今まで何もなかった場所からフードの人物が現れたかと思うと、閃光が彼のすぐそばを通り過ぎた。それはあえて言葉にするなら炎の矢のようなもの。

 彼の背後の壁に突き立ち、たちまちオレンジ色の鮮やかな炎を上げた。

 避けたのではない。偶然、狙いが外れてくれただけ。

 冷たい物を背中に感じながら、襲撃者に銃口を向けるが、それよりも先に距離を詰められ胸を強打される。肺の空気が一気に押し出され、彼の体は後ろの食器棚に激突して凄い音を立てて転がった。

 うまく息が吸い込めずにもがいていると、その光景に襲撃者がフードの下で微かに笑ったように見える。襲撃者のそばの宙から炎が湧きあがると、それに集まる様に暖炉やランタンの火が生き物のように蠢いて襲撃者の周りを囲んだ。

 もはや勝利を確信したように佇む襲撃者に対し、荒い呼吸のルーヴィックは道具箱から小瓶を掴み出し、そのまま床に叩きつける。

 割れた瞬間、けたたましい金切り音が小屋中に響き渡った。

 『バンシーの鳴き声』を封じてあった瓶だ。悪魔の嫌う、不愉快な音が入っている。

 その声に怯んだ襲撃者の隙をルーヴィックは見逃さない。

 素早く照準を合わせると、あらん限りの速度で引き金を引いた。

 全弾が襲撃者の体に叩きこまれる。

 彼の銃弾は対悪魔用に調合した合金が使われている。

 撃たれた反動で、襲撃者は窓を突き破って外へ。集まっていた炎は、主を失ったとばかりに四方八方へ飛び散り、小屋のあちこちに火をつけた。

「これで追い返せなきゃ、おかしいんだがな……」

 襲撃者の消えた窓を睨むルーヴィック。どうにも今までとは違う感覚があったのだ。

 窓から何の気配もないことを確認すると、急いでモルエルの元へ。

 彼女は先ほどよりもさらに弱り、体の亀裂は大きくなっている。

「こりゃ、ヤバいぞ。どうすりゃいい?」

 気休めだが聖水をかけたりして対処してみるも効果はない。

 そんな彼の手をモルエルが掴んだ。温もりはなく、石のように固く冷たい。

「お願いします」

 掠れる声で彼女は続ける。

「これを守ってください。決して奪われないで……」

 ルーヴィックの手の中には翡翠色の指輪があった。細部にはおそらく天使の言語が彫り込まれた美しい品だ。

「おいおい、これは何だ? いきなり変なもん、押し付けるんじゃねぇよ」

 しかし、彼の声はすでに彼女には届いていないよう。涙を流し、朦朧とする意識の中で彼女は消えるように呟いた。

「お願いします……ルーヴィック。あなたに、ご加護があることを……カギは……ロンドンに」

 そして、彼女はそのまま石のようになったかと思うと、亀裂が大きくなって砕けてしまった。

 至る所に火の手が上がり、じきに燃え落ちてしまう小屋の中で、ルーヴィックは目の前のことを受け入れられずに動けなかった。

 もはやモルエルだった物は跡形もない。残るは彼の手の中にある指輪だけだった。

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