第16話:地獄の門と指輪

 教えてもらったウィンスマリア教会にはすぐに着いた。

 シスター・ユリアにせっかく傘を借りたが、すでにコートは元の色が分からなくなるまで濡れていたので、さほど効果があったとも思えない。が、好意はありがたい。


 ウィンスマリア教会。


 規模としてはそこそこらしいが、宗派的に質素な場所が多いアメリカで育つルーヴィックにとっては、十分に立派な教会だった。

 ルーヴィックは濡れた体を払いながら、教会の中へ入る。

 外見通り中もゴシック様式。

 正面の礼拝堂には人の影はなく、寂しい印象を受ける。

「まぁ、日曜じゃないしな」

 誰に言うでもなく冗談交じりに呟きながら中を進むと、ちょうど奥から人影が現れた。

 その影は掛けている眼鏡を外し、ずぶ濡れのルーヴィックを訝しげに確認してから、少し会釈する。大きくはないがしっかりとした体格。それはキャソック(神父の服)の上からでもわかる。白い髪は後ろに撫でつけられ、顔には多くの深い皺が刻まれているが衰えは感じさせない。意志の強そうな口元に鋭い眼光がそうさせないのかもしれない。歴戦の強者と呼ばれるだけあり、悪魔でなくとも彼に睨まれたら怯んでしまう。

「アントニー神父?」

 怯んだことを悟られない様にルーヴィックは濡れたコートを椅子に掛けながら歩み寄り握手を求める。アントニー司教はその様子を一瞥し咎めるような視線を一瞬送るも、差し出された彼の手を取る。

「懺悔をしに来たわけでは……なさそうですね」

 アントニー司教は口元を緩めながらルーヴィックに言った。低いがよく通りそうな声だ。

「聖なる場所に武器を持ち込むとは」

 観察眼も鋭い。

 ジャケットの上からホルスターの銃を見抜いた。もしくは、感じ取ったのかもしれない。ルーヴィックの体にしみこんだ悪魔の臭いを。

「俺はルーヴィック・ブルー。アメリカのエクソシストだ。忙しそうだが、少し時間をもらっても?」

「結構ですよ。ブルーさん。私がアントニーです。遠方よりはるばるようこそ」

 ルーヴィックの挨拶のような皮肉を華麗にスルーするアントニー司教は片方の口角を上げるだけ。そしてルーヴィックを値踏みするようにしばらく見た後、そばの長椅子に座る様に示唆する。ルーヴィックは、勧められるままに椅子に腰を下ろすと、アントニーも少し離れた所に腰を掛けた。


「リチャード・カーター教授が殺害されたのはご存知かな?」

 世間話もなしに、率直に本題へ入る。

「新聞には事故だとありましたが」

「残念ながら、事故じゃない。ただ、警察では事故と扱われるだろう。表向きには」

 その遠回しな言い方にアントニーの顔つきは数段、引き締まったように思える。

「それで、あなたは……何者ですか?」

 鋭く射止めるような視線がルーヴィックに向く。

「アメリカで政府の仕事をしている。エクソシストだ」

 連法捜査官のバッジを見せる(見せてもイギリス人が知っているかは分からないが)。

「なぜ、わざわざアメリカから?」

 質問する立場が逆になってしまっているが、仕方がないだろう。

「ある事件を追ってイギリスへ。そして、ここへ辿り着いた」

「あなたの追う事件がこの場所と関係が?」

「それを聞きに来たんだ」

 そこまで話してアントニーは一旦納得したようで「なるほど」と呟き、質問を止める。ルーヴィックに会話の主導権を返してくれたようだ。

「それで、カーター教授と面識は?」

「いえ。ありません。お名前は存じていましたがね」

「本当か? 彼はここに来たことはない?」

「お会いしたことはないです。なぜ?」

 ルーヴィックはジャケットの左の胸ポケットから、教授の遺体が持っていた護符を取り出して見せる。アントニーはそれを見て、目を細めた。

「教授はこの護符を持って死んだ。これは、ここの護符に似てると聞いてな。ここに立ち寄ったんじゃないかと」

「……残念ですが、本当に私はお会いしたことはないのです」

 アントニーは護符を手に取り、確かめるように見てから「しかし」と続ける。

「ここにはいらしたようですね。これは、私が作った物ではなりませんが、ユリアというシスターが作った物でしょう」

「ユリア?」

 先ほど外で出会った少女を思い出す。

「なぜ、シスターが護符を?」

「分かりませんが、おそらく私が不在の時にこちらを訪れたのでしょう。それでシスターが対応を」

 そう言い、溜息をついたアントニーは渋い顔をする。

「とにかく、そういうことですので。お役に立てず申し訳ございません。それからシスター・ユリアは外出しておりますので、改めてお越しください」


「地獄の門が開くぞ」


 立ち上がりかけたアントニーの動きが止まる。一瞬、雷にでも打たれたかのように驚愕の表情になったが、すぐに表情を殺して再び腰を下ろす。

「何をおっしゃっているのでしょうか?」

「リチャード・カーターは黒曜石のようなものでできたキューブを持っていた。一緒に事件を追ってる奴はそれが『地獄の門』の鍵だと言ってる」

「その事件を追っている者とは?」

「この国のエクソシストのヘンリー・プリーストだ」

 彼の名前を出した途端、アントニーは苦い顔をした。どうやら知っているらしい。それもあまりいい関係ではないようだ。

「彼……ですか。もちろん存じております。優秀なエクソシストであり、立派な家柄のご子息です。しかしながら、地獄の門などありません」

「じゃぁ、あいつも妄想だと? ありもしない物を開けるアイテムのせいで、一人の男が殺されたと? バカげてる。奴ら(悪魔)が狙ったということは、勝算があると言うことだ。もしも鍵だけしかないのなら、ここまで大きくは動かない」

 アントニーが嘘をついているのか、その歴戦の表情からは読み取ることはできない。だが、ルーヴィックの次の行動で、その表情は大きく歪んだ。

 彼は首にかけている十字架をシャツから出し、翡翠色の指輪を見せたのだ。

「これが何か分かるか?」

 その指輪を出した途端、アントニーは目を見開いて近づいてくる。

「どこでこんな物を?」

「俺がアメリカから来た理由だ」

 そう答えると、アントニーは信じられない物でも見るように指輪を見る。

「ある天使に託された」

「その天使は?」

「死んだよ。殺された」

 アントニーの顔から色が失われる。

「死んだ? 殺された? バカな!」

「この目で見た。間違いない。それでこれは?」

 アントニーはしばらく思案すると、静かに口を開いた。

「それをお持ちのあなたがすべきことは、一刻も早くこの国を出て、その指輪を安全な場所に隠すことです。誰にも奪われないようにね」

「それはできない。モルエルを殺した奴を見つけ出すまではな」

 しばらく睨みあうが、先に折れたのはアントニーだった。正確には折れてくれたのだろう。

 大きなため息を吐いて「こちらへ」と誘導された。

 案内されたのは四方を本棚で囲まれた狭い部屋。天窓があり、そこからの光があるため暗い印象は受けない。

 アントニーは中央のテーブルに、分厚い古書を置くと丁寧に開いた。ルーヴィックは見たことのない本で、恐らくラテン語で書かれていた(さすがに読めない)。

 ページを開いていくと、ルーヴィックの持つ指輪に似た絵が現れる。

「あなたの持っている物は『ミカエルの指輪』です。おそらくはレプリカでしょうが」

 ルーヴィックは問いかける前に、アントニーは答える。

「大天使ミカエルの指に嵌められた指輪。ある目的のために身につけているものです」

「目的?」

 そこでいったん話が途切れる。そしておもむろに話題が変わった。

「あなたは地獄の門の話をしましたね」

 意図の読み取れないルーヴィックが黙っていると、彼は続けて話す。

「16世紀にロンドンより南方にいた農夫がある物を発見しました。それには読めない文字が書かれていたそうです。報告を受け、それの調査が始まりました。当時の聖職者達はさまざまな文献を調べ、導き出した結論が通称『地獄の門』と呼ぶ、ルシフェルを封じた煉獄へつなげる門です。いかなる手段でも破壊することはできませんでした。以来、我らが長らく守ってきました」

「我ら?」

「ただ『修道会』。そう私たちは呼んでおります」

「秘密結社か?」

「イギリスの繁栄を支え、災厄から守護する集団です」

 いろいろと掘り下げて聞きたいことはあったが、今は地獄の門に集中すべきだ。

「なるほどな。それで、ようやくその門の鍵も登場ってわけか」

「はい。カーター教授が、その鍵を調べられていたのです」

「だから、悪魔に狙われたのか・・・・・・だが、どうして、そんなヤバいもんを放置したんだ?」

 その問いに、アントニーは渋い顔をする。

「本来であれば、鍵が見つかった所で問題はないのです」

「何?」

「鍵だけあっても意味がないのです。門を開けられるのはミカエルのみ。もっと厳密に言えば、ミカエルの指輪を持つ者が鍵を持たなければ、鍵の役目は果たせません」

 そういうことだ。

 これでようやく点が線に繋がっていく。

 だからモルエルとカーター教授は殺された。門を開けるために必要なアイテムを持っていたから。

「クソが……」

 思わず口から悪態が漏れる。

「先ほども言いましたが、その指輪はおそらく贋作。ミカエルの指輪がこの世界に現れるとは考えにくいですから。しかし……」

「これを作ったのは天使だ。偽物でも効果が無いとは限らない」

 ルーヴィックのセリフにアントニーは唸る。

 モルエルは戦いにおいては全然だったが、非常に優れたアルケミスト(錬金術師)だった。彼女のアイテムに何度も命を救われたことがある。

「ったく、やっぱりとんでもねぇもんを託しやがった」

 ルーヴィックは指輪を握りしめ呟いた。

 モルエルにはいつも面倒事ばかり任され、幾度となく死にかけてきた。しかし、最期の最後でとんでもない物を置いていった。なぜ彼女がこんなものを作ったのかは分からないが、これを悪魔に渡すわけにはいかない。だが逆に言えば、敵はこの指輪に必ず寄ってくる。

「ブルーさん。無理は決してなさらない様に」

 ルーヴィックの様子を見て、アントニーは何かを感じ取ったのだろう。釘を指した。

 だがその忠告は聞き入れないと彼の目が語っていた。

「神父様。あんたらはしっかり門を守っていてくれ。俺が全員、ぶち殺すまでな」

 その凶暴な目付きにアントニーも思わず背中に冷たい物を感じた。

 ルーヴィックは「また、何かあったら来る」と告げると立ち上がり、コートを手に取ると教会を出ていった。

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