第5章:死の谷を越えて
第33話:アメリカン・スタイル
ベイリーの残した馬車はあらかじめ決められているかのように、入り組んだ道を進みロンドンの郊外へ。そして人の侵入を阻むような森へと入り、谷間の所で止まった。それ以上は決して進まない。何かに怯えたように小さくいななき、嫌な汗をかき足踏みをする。
外を見れば、夜明けが近いはずなのに暗澹とした厚い雲のせいで真夜中のように暗い。そして、邪悪な気配に満ちており、それが溺れてしまいそうになるくらい濃い。
「ここから先は歩いていきましょうか」
ランタンを持ってヘンリーは地面に降り立つと、つま先から這いあがってくる寒気に身を震わせる。あとから降りるルーヴィックも表情は変えないが、同じように感じているだろう。ユリアに関しては見るからに顔色が悪い。
言葉少なに先に進むが、体に纏わりつく空気がかなり重くなってきた。夜の暗さも相まって、タールの中を掻き分けて進んでいる錯覚すら覚える。横目でルーヴィックを見る。彼は脂汗を拭い、ふらつく頭を振ると、道具箱から薬瓶を取り出し、簡易な注射器を使って液剤を打っている。
平気な顔をしているが、相当辛そうだ。
「大丈夫ですか? もう生きてるか死んでるか分からない顔色ですよ」
「心配してくれんなら、さっさと目的地に着いてくんねぇか」
ルーヴィックは舌打ちをしながら、また額の脂汗を乱暴に拭う。
「休憩しますか?」
「お前みたいなお嬢ちゃんに心配されるほど、こっちはヤワじゃねぇんだよ。願いを聞いてくれるなら、飛びっきり苦いコーヒーが飲みたい」
「あんな泥水を飲み続けたら、脳が死にますよ。手遅れかもしれませんが」
「紅茶よりはマシだ……くそ、この薬はホントに効くんだろうな?」
「えぇ、ちゃんと鎮痛薬です・・・・・・まぁ、馬用ですけど」
「なに?」と言いかけたところで、ヘンリーは片手を挙げ遮る。
前方の気配が明らかに重く沈んでいたからだ。
入り口に付いた。誰もがそう思った。
「これはまた壮観ですね」
物陰に隠れたヘンリーが谷を覗き込んで呟く。
「ホント、めんどくせーな」
ルーヴィックも鬱陶しそうにため息を吐いた。
谷間の岩場には悪魔たちが大勢ひしめき合っていた。黒い淀み(オド)を体から出した下級悪魔が、実体となってうじゃうじゃと徘徊しているのだ。
「あ、あ……ありえません!」
信じられない光景にユリアは声を震わせる。
「下級悪魔は、肉体を体現できないはずです!」
「そうですね~。門が開きかけている影響でしょうかね」
「普通じゃありえないことだが、クリフォトの根が形成されてるんだろうな」
「ここはすでに現世であって、地獄でもあるわけですね。あ、あそこに入り口がありますね」
ヘンリーが指さした先。下級悪魔の群れのさらに奥に、岩で作られた人工物があり、ぽっかりと口を開いている。
「あそこを封じてたんだな。ここを突っ切るしかねぇか」
「そうですね~」
「なんでそんなに冷静なんですか!」
普通に話している2人に、ユリアは声を殺しながらも言う。すでに泣きそうだ。首に掛けたストラを握りしめ小刻みに震えている。
ルーヴィックはしばらくユリアの様子を見ながら、大げさに「はぁ~」と大きく息を吐いた。
「な、何ですか? 私のこと、意気地なしだと?」
「いや、何か俺も昔はこうだったな~って思ったら悲しくなってな」
「ユリアさんの反応を見ていると新鮮でいいですね。これが普通なのでしょう。いつからでしょうね。慣れちゃったのって」
2人は昔を思い出すように遠い目をする。
「こんな光景見たら、シスターみたいに俺もちびってたな」
「ちびってないですよ!」
「そうですね。始めたばかりの時に見たら、私も同様に体を震わせ、漏らしてましたね」
「だから、漏らしてないですって!」
顔を赤らめながら必死で訂正するユリアに、2人は優しく頷き「雨だな、雨」と呟いている。
「さて、しかしこの数は厄介ですね。ここは重要な文化遺産の遺跡ですので、あまり荒っぽい方法で傷つけたくはないのですが……そうも言ってられませんか、ね。ルーヴィック?」
懐から銃を引き抜くヘンリーの隣で、ルーヴィックが道具箱からいくつかの瓶を取り出して中身を混ぜている。
その一つをユリアに持たせるルーヴィック。
「瓶が熱くなったら放り投げろ」
「え? もう熱いですけど……」
「なら、投げろ」
「何ですか、これ?」
「んー、爆弾みたいなもんだな。持ってると爆発するぞ」
「ヒッ」とユリアは短く悲鳴を上げながら瓶を悪魔の群れのいる谷間へと投げ捨てた。
地面にぶつかり割れた途端、大きくはないが爆発音を立て大量の煙が上がる。
いきなりの爆発に悪魔たちは悲鳴のような声を上げて動き回っている。さらに、煙を吸った悪魔は、苦しそうに噎せながら口から青い火の粉を吐き出している。
「ちょ! 何してるんです?」
驚いて声を上げたヘンリーに、ルーヴィックは構わず新たに混ぜ合わせた瓶を2つ投げ込む。
「大勢を相手にするならこいつが一番だ。アメリカン・スタイルって奴だ!」
悪い顔をしながら言うルーヴィックに、ヘンリーは信じられない物を目つきを向ける。
「あなた、ホント! 本当にそういう所ですよ。信じられない。同じ人間と認識されたくない! まずは一言、相談があってもいいでしょうに。歴史的建造物を何だと思っているんですか? もうアメリカン・スタイル禁止ですからね。約束ですよ」
ブチ切れるヘンリーを可笑しそうに笑いながら、ルーヴィックは銃を取り出す。
「それじゃ、古き良き時代のクラシック・スタイルと行こうか」
そう言って岩場から躍り出ると、爆発で慌てふためく悪魔の群れに飛び込んだ。
「だから一言……もう!」
諦めたようにヘンリーも飛び込む。
悪魔たちの中で入ると、「人間だ人間だ」と耳障りな声を上げて襲ってきた。
ルーヴィックは新しいオートマチック銃の使い勝手を確かめるように撃つ。よく馴染んでくれる。弾丸を放つ度に悪魔が灰と火の粉になって消滅していく。逃げる者や地べたを這う者は後回しだ、向かって来る連中を葬る。煙を吸い込んだ悪魔の動きは鈍い、弾丸を避けることはできない。
撃つ、弾切れ、再装填。撃つ、弾切れ、再装填。
それでも数が多くて間に合わない。腰のリボルバーも取り出し、撃ち続ける。
一方、ヘンリーもダブルアクションのリボルバーで悪魔たちを狩っていく。全弾撃ち尽くすと、折り曲げてシリンダー後方を露出させると同時に空薬きょうを飛ばして、素早く再装填する。そして、十分に悪魔と距離が詰まると、銃をホルスターに戻して持っている傘を優雅に回転させる。
柄を捻ると細身の刀身が現れる。踊るような足さばきと体の動きで、相手との距離を保ち、悪魔を切りつける。傘の生地部分にも聖なる力が込められており、殴られた悪魔の顔は崩れ落ちる。
大立ち回りをする2人は、いつしか群れの真ん中にいた。
「おやおや、勢いよく飛び出した割には、息があがっているようですね」
「薬が切れてきただけだ。お前こそ、フラフラじゃねぇか」
「ご冗談。ウォーミングアップが終わった所ですよ」
「ほう。なら、少し任せた」
「ちょっ!」
ルーヴィックは攻撃の手を止めると、悪魔らの猛攻は激しくなった。それを必死で剣を振い退ける。
「何をされてるんですか!」
「まぁ、見てろ」
ルーヴィックは道具箱から銀と真鍮でできた小さな容器を出す。美しい装飾が施された蓋を開けると、中には白い結晶が入っていた。その粒を一つまみして撒く。
「シスター。祈りだ!」
ルーヴィックが叫ぶとユリアが岩場から飛び出し、手を合わせて祈る。邪悪な気配が強すぎるため、ルーヴィック達の所まで祈りの気配が届かない。そう思った時だ。撒いた結晶が地面に触れた途端、周囲一帯から邪気が吹き飛び、清廉な風が吹いた。
「清めたまえ、祓いたまえ」
ルーヴィックが不敵に笑うと、谷間全体にユリアの祈りが響き、悪魔たちが一斉に崩れ去った。
残るは人間3人と静寂のみ。
「何ですか、それ?」
「『天使の涙』だ。一応、レリックらしいが……10年ぶりに使ったが、湿気ってなくて良かった」
「あなたって、ホント不思議な物を持ってますね」
「長くやってると、嫌でも集まってくるからな」
静かになった谷間で一息つくヘンリーは感心したように言った。
「今のは、何ですか?」
興奮気味にユリアも駆けおりてくる。
「この地を浄化したんだ。だからシスターの祈りも響いた」
また彼女の力もストラによって強化されていたため、一気に悪魔が消し飛んだのだ。
とはいえ、遺跡の入り口からはまだ邪気が漏れてるので、浄化の効果もすぐに消えてしまうだろう。それだけ遺跡の中は邪悪な気で満ちているのだ。
「先を急ぎますよ」
ヘンリーが入り口へと足を踏み入れようとした時、その奥が一瞬光ったかと思うと業火が噴きあがった。慌てて身を引いて入り口の脇に身を潜める。
「だ~から、あの時に確実に殺しておこうって言ったのよ~」
「今更、言っても遅いことだ」
遺跡の暗闇から癇癪を起したような声と、苦虫を潰したような声が聞こえてきた。
「ここまで来て、失敗なんてできん」
「忌々しい~エクソシストのクズどもが~」
激高する女悪魔とメーメンが侵入を阻もうと、立ち塞がる。
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