第7話:動き出す悪魔

 ある夜、ロンドンのある教会に一人の男が訪ねた。

 大きな教会ではないが歴史を感じさせる造りの場所だ。ただ、特殊な場所のため訪問者は少ない。特に日が暮れてからの訪問者は珍しかった。

 戸の叩かれる音に気付いたシスターのユリアは明かりを手にしながら、扉に付いた小窓を開き、外を確かめる。

 そこには眼鏡を掛けた壮年の男性。

 怯えている様子で、せわしなく周囲を見渡しながら立っている。ヨレヨレのコートにシワの付いたシャツを見ると、身だしなみに気をつけるタイプではないらしい。ただ着ている物自体は上質な物のようで、浮浪者ではないことは分かる。

「何の用でしょうか?」

 恐る恐る尋ねるユリアに、男は「神父様にお会いしたい」と短く答える。

「申し訳ございませんが、神父様は本日、別の用事で外へ出ておられます」

 外にいる男性に見えたかは分からないが、扉の内側で頭を下げるユリア。「お引き取りください」と小窓を閉じようとするが、男性は慌てて口を開く。

「ま、待ってくれ、では何か・・・・・・何か・・・・・・」

 最後の方は口ごもっていて聞き取れない。


「魔除け、のような物をいただくことはできないでしょうか……?」


 ユリアが聞き返すと、男は言いづらそうに話した。この教会の司祭(神父)はエクソシストとして有名なのだ。そしてこの教会自体、エクソシストを育成する場所でもある。

「悪魔ですか?」

 ユリアは閉じようとした小窓を勢いよく開け、食い気味で問い掛ける。それに少し驚きながらも、男は額の汗をハンカチで拭いながら頷く。

「ちょっと待っててくださいね!」

 ユリアは、なぜか声を弾ませながら扉を開く。年端もいかない少女のようなユリアの姿に、男はさらに驚くが促されるまま教会の中へと入った。

 頭巾を外した頭から流れる白っぽいプラチナブランドが美しい少女。

 それがユリアの第一印象だろう。あまり発育していない体つきは、大きめのシスター服ごしでは一層目立ち、幼さに拍車を掛ける。とはいえ、今年で十五。子供ではない。

「まずは事情をお聞きしますね!」

 椅子に腰を掛ける男に話しかける。教会に入ったことで、少し落ち着いたようだ。

「えぇと、他の方は?」

 男は戸惑ったように尋ねるが、ユリアは適当に誤魔化した。

 今この教会にユリアしかいないと知ったらさぞ驚くことだろう。エクソシストは特殊な技能のため、誰でもここで学べばいいわけではない。そのため時期によって、この教会に所属する人数は変わる。今は司祭とシスターのユリアだけだった。

 ただ、悪魔祓いの修行は積んでいるが、実際の現場に連れて行ってもらったことはない(司祭が意図的に遠ざけている)。司祭のいない今の状況は、本来であれば再度尋ねてもらうべきだ。しかし、悪魔に関わる出来事に触れられる機会に、不謹慎ではあったが、興味があった。

 恐らく司祭がこのことを知れば「なんと危険なことを」と激怒するだろう。

「まぁまぁ、取り敢えずお話を聞きますよ。魔除けが欲しいと言うことですが、何らかの接触があったのでしょうか? 物を叩く音や声が聞こえたり、何者かの気配がしたり、誰かが取り憑かれたり、とか」

 コクコクと頷くような仕草をしながらユリアは、堰を切ったように質問する。

 司祭に助けを求めに来る人への対応は、何度も見たことがあるため覚えていた。


 その男性の名はリチャード・カーター。大学で教鞭を振るう先生だそうだ。言われてみれば知的な顔をしているような気がすると漠然と思った。

 彼は言った。悪魔の接近を感じる。今はまだ具体的な接触はない。ただ悪魔の欲しがる物を持っているから、狙われている。知人から身の危険を感じれば、すぐにこの教会へ行くように言われていた、と。


 彼が何を持っているか、なぜ狙われることになるのか、詳しいことまでは話してくれなかった。そればかりは司祭に直接言う、と頑なだったためだ。

 深刻な顔つきに、ただ事ではないことだけは分かる。が、なぜ狙われているかも分からないうえ、実際の接触もないのでは、対処に困ってしまう。

 実際、ここを訪ねてくる人の中には、『悪魔に狙われているかもしれない』という不安からくる勘違い、ということも多い。

 ユリアは目の前のカーター教授が、そういった勘違いなのか、本当に狙われているのか、判断に困った。

 一通りの会話を終えたカーター教授は、大事そうに握る包みに視線を落としている。何度か中身について尋ねたが、曖昧な回答ではぐらかされる。

 ユリアでは信用できないのだろう。

「神父様はいつ戻られるか分かりませんが、明日には戻ってくると思います。ですので、ここでお待ちになってはどうでしょうか。ここは聖なる場所。悪魔も簡単には近づけないでしょうから」

 さすがに好奇心だけで、首を突っ込んでいい物かどうかは分かる。これは、自分が勝手に判断していい問題ではないと、怒られるのを覚悟して帰ってくる司祭に任せることにした。

「ありがとう、シスター……話していたら、少し落ち着きました。確かに考えすぎていたのかもしれません。一度、戻って用事を済ませてから、改めて伺います。その時にもいらっしゃらなかったら、ここで待たせていただきます」

 落ち着きを取り戻したカーター教授は静かに話すと、魔除けの品はないかと再度尋ねた。

 引き留めようかとも考えたが、教授はやるべきことが残っているからと意志は変わりそうにない。ユリアは少し考え、自室へ戻って護符を持ってきた。

「神父様がお作りになった物ほどではないでしょうが、これがあなたを悪しき者の攻撃から守ってくれるでしょう」

 それを渡すときの彼女は、先ほどまでの幼さは薄れ、毅然とし、相手の不安を取り除いてくれるほど力強い印象を与えるものに変わっていた。経験が無いとはいえ、彼女もエクソシストの端くれなのだ。対策は分かっているし、相手を安心させられるだけの力はあるつもりだ。

 それを受け取り、カーター教授は一瞬不安げな表情になったが、彼女の変わりように納得したように頷き、少しホッとしたように笑みを浮かべた。ここに来て、初めての笑顔だ。

 ユリアは少し胸に暖かなものを感じながら、カーター教授に祝福の言葉をかけた。これで護符に守護の効果が付加されたはずだ。

 カーター教授は、ゆっくりと立ち上がり、教会を出ていった。



 暗く小雨が降る街中をカーター教授は足早に進む。

 街灯があるとはいえ、暗闇は薄気味悪い。何か得体の知れない物が息を殺して待っているような錯覚を引き起こす。

 石造りの道路を歩き、ポストの横を通り抜け、角を曲がった時、彼の足が止まる。

 複数の影が彼を待っていた。

「こんばんは、リチャード・カーター教授」

 影はその不気味な雰囲気に似合わないほど、人間味を帯びた声だった。

 体が硬直し、顔が引きつるカーター教授に影は取り囲むように動いた。

「……おやすみ」

 静かに影の一つが呟く。

 その言葉に背中から冷たい汗が流れ、呼吸が荒くなる。全身が震えるカーター教授は、シスターから先ほどもらった護符の入っているポケットを無意識に握りしめていた。

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