第30話:モルエルとの邂逅
ルーヴィックが飛び起きると、そこは小舟の上だった。
心地のいい風には微かに花の香りを乗せていた。周囲は微かに霧が立ちこめるが、日の光があるため暖かな陽気だ。小舟は穏やかな川を流れとは反対に昇っていく。
咄嗟に体を触り確かめるが、特に目立った傷や痛みはない。
「無茶をしましたね」
背後から声が聞こえ、振り返るといつの間にかモルエルが小舟の縁に腰を掛けて優しく微笑んでいた。
「あんたは死んだんじゃないのか?」
「私たちにとっての死は、あなた方の死とは少し違うのですよ」
「てっきり消滅したと思ってた」
「消滅してますよ。だから、現世でお会いすることはもうないでしょうね」
クスクス笑いながら話してくるモルエルに懐かしさを感じる。
「無茶をしましたね」
モルエルはもう一度言った。優しさとぬくもりを感じさせる声で。
「誰のせいでこんな目に合ってると思ってるんだ?」
意地悪に返すと彼女は、困り眉をしながら「すみません」と謝る。
「とんでもないもんを押し付けやがって」
「とても危険な物でしたので、あなたにしか頼めません」
「いや、指輪じゃなくて。ヘンリーの方な」
ルーヴィックのセリフに、モルエルは目を丸くしてから、おかしそうにクスクス笑う。
「そうですね。彼もあなたにしか頼めませんから」
「勘弁してくれよ」と、苦笑しながらため息を吐く。そして、周囲を改めて見渡した。
本当に静かな場所だ。現世にこんな安らげる場所はないだろう。
「いつかはこうなると思ってたが、今回だったとはな。まさか、俺の爺様が戦ったイギリス野郎の土地で死ぬことになるとは思わなかった。爺様に会ったら、なんて言われるか。まぁ、あの人は地獄に落ちてるだろうから、会うことはねぇか……この行き先は天国だよな?」
「この船の行き先は、まだ決まっていません」
その言葉聞いてゲンナリする。思い返せば、確かに不道徳なこともしてきた。ただ、エクソシストとしての頑張りを評価してもらってもいいように思う。
「マジかよ。自分がぶち込んだ囚人のいる刑務所に行くのはごめんだぜ」
「あなたは頑張ってくれましたものね」
相変わらずのモルエルに小さくため息をつく。
「でも、もう少しだけ頑張ってください」
モルエルは小舟の縁から、手を伸ばして水面を触る。
「まだあなたの力が必要です」
「力がいるって言われてもな……俺、死んだんだよな?……死んで、ない?」
微笑みが返ってくるだけ。
「門が開かれれば、指揮官の戻った悪魔達が人間界に押し寄せてくるでしょう。そして審判の日が訪れる。人間にできるのは、門を開かせないようにするしかありません」
「だが、指輪も鍵もあのクソッタレな天使と悪魔の手に中だ。万事休すって奴だな」
クソッタレの部分には眉をしかめるモルエルだが、天使と言う部分に小さく首を振る。
「あの者は、あの者の信念のもとで動いているのでしょう。到底、理解できるものではありませんが」
「まぁ、ルシフェルだって元・天使だしな。珍しいことでもないのか。だが、そっちの喧嘩を持ち込まないでほしいぜ。こっちは、悪魔だけでも手一杯なんだから」
「あの者を止めてください。お願いします」
悲しげに瞳を濡らすモルエルの懇願に、ルーヴィックはうんざりする。その瞳に何度苦い思い出があるか。だが、結局は誰かがやらねばならない。今回の事件だって、お願いされなくても首を突っ込んでいただろう。
「まだ俺を馬車馬みたく働かせる気かよ。天使って奴は、人使いが荒いぜ」
「私はたまにしかお願いしませんよ。あなたにいつも働くよう命令しているのは、同じ人間です」
心外とばかりにモルエルは頬を膨らませる。
「何はともあれ、まだ死んでねぇんだろ? つくづく俺も悪運が強い。さっさと戻せよ。手遅れになる前に、な」
笑って見せるルーヴィックに、モルエルも笑顔で返す。
「ありがとう」
「礼は、しっかり審判の日を回避してからだ」
「そうですね。でも、私はもう今しか言えないので……ありがとう。そして、さようなら」
「悪くない、付き合いだったな」
モルエルの差し出される片手をルーヴィックが掴み返した。その手の中に何かがあるのに気付く。
見れば一発の弾丸だ。
「『お守り』が必要でしょ」
そう言って、モルエルは一番の笑顔を見せた。
「痛っ〜〜っ!」
いきなり目を覚ましたルーヴィックに、そばで水を変えていたユリアは驚いてお盆を落とした。
現世に戻ってきたらしい。身体中が動かしにくく、さらに激痛が走る。
背中が最も痛いのに仰向けにされていることに殺意を覚える。
「ブルーさん! 良かったー。ホントに、ホントに」
ユリアが駆け寄り、ルーヴィックが体を起こそうとするのを支える。
「シスター。よく生きてたな。お互い、まだ神から働けと言われてるらしい」
ぎこちなく笑顔を作るルーヴィックに、ユリアは目に涙を溜めながら喜んでいる。
ルーヴィックは体中に包帯や手当ての跡があり、そばの台にはただ汚れたガーゼや手術器具が置かれている。部屋を見渡すと、そこは見覚えがある場所だった。
「あなたは、ゆっくり休むという言葉を知らないのですか?」
落ち着いた声が部屋の隅に置かれた椅子から聞こえる。それも知ってる声だ。
そこはヘンリーの部屋であり、声の主はヘンリーだった。
彼はゆっくりと椅子から立ち上がると、近づいてくる。明かりの下に来た彼の顔にも、細かな傷がいくつもあり、別の場所で戦っていた事が予想できた。
「これはお前が?」
バツの悪そうな顔をするヘンリーに、ルーヴィックは自分の体の手当てについて聞く。
「ええ、本当に大怪我だったのですよ。死んでいても、おかしくなかった」
ヘンリーの解答に「そうか」と頷き、ルーヴィックは手招きする。
そして、手の届くところまで近づいてきたヘンリーの顔面に向かって、そのまま拳を振り抜いた。
予想外のパンチにヘンリーは避けられず、「うぎゃっ」と情けない声をあげて後ろに倒れた。
「な、な、何をするんですか! 私は命の恩人ですよ!」
「ふざけんじゃねぇよ! 勝手に素人が医者の真似事なんてすんじゃねぇ。バイ菌入って、感染症にでもなったらどうすんだ!」
「失礼な! ちゃんと消毒も済ませましたよ。だいたいこの辺りのヤブ医者よりも腕はいいと自負しています! まぁ、人間を処置したのは初めてですけど」
「やっぱり、危険じゃねぇか!」と再度、ヘンリーに掴みかかろうとするが、間に入ったユリアが「ちょ、ちょっと! 安静にしてください!」と抑え込んだ。
「あなたね。助けてもらったんだから、まずはお礼が先でしょう。あーやだやだ。これだから野蛮なヤンキーは」
「馬鹿野郎。ほぼ人体実験をされて礼なんて言えるか。このサイコ野郎」
その後。ユリアの仲裁もあり、少し落ち着いた頃。
「起きて早々、それだけ話せるなら大丈夫そうですね」
ヘンリーは離れた所に腰をおろし、呆れた顔でルーヴィックを見る。
「でも、無理はなさらない方がいいですよ。今は麻酔が効いているので、痛みが鈍いだけです。酷い怪我でしたから」
今でも十分に痛いのだが、これでまだ鈍いと言われるとゲンナリしてくる。
しばらく、沈黙してからヘンリーは柄にもなく、しんみりと呟く。
「でも、助けることができて、本当に良かった。間に合わなかったかと、心配しました」
ルーヴィックも黙って頷いた。
あの状況から本当によく助かったものだ。
ふと、自分の左手に何かが握られているのに気が付く。
手の中には一発の銀の銃弾があった。
そうだ。まだ戦いは終わってなどいない。
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