第三十二話「侯爵のヘッドハンティング」

 その翌日。

 領主の館の応接間。


 ビンツ男爵とモルデン侯爵の話し合いの場に、フィンは招かれていた。

 クレイは当然のようについてきている。

 そしてなぜかギルド長も招待されていた。


「しかし、フィン君。英雄の話というのは得てしておおげさに語られるものだが」


 紅茶をひとくち飲んで、モルデン侯爵は言った。


「少し調査をさせてもらった。君の噂はすべて本当らしい」

「噂ですか……」


 “盗っ人のフィン”というロクでもない噂に辟易へきえきしていたフィンは、噂というものになかなか好意的になれない。



「凶賊“ドブイタチ”をひとりで殲滅せんめつし、連続殺人鬼“冒険者殺し”逮捕に大きく貢献こうけんした最重要人物。そしてそこの……」


 窓の外には温泉が広がっており、温泉に浸かって疲れを癒やしている街の人々がいる。


「公衆浴場の建設を提案し、実行に移した……まさに、驚嘆きょうたんすべき逸材だ」

「でしょう? でしょう?」


 そう言ってはしゃぐクレイの口に、フィンはビスケットを放り込んだ。


「むがむぐ」

「ふむん……」


 モルデン侯爵は口ひげを捻って、なにやら考え込んでいる様子だった。


「これだけの勲功くんこうがあれば、爵位を頂戴するのはさほど難しくはないだろう。そうすれば私の娘との縁組えんぐみも可能になる。実は年頃の娘が3人いてね……」

「むがっ! むぐぐぐ! ダメですダメですダメです!!」


 クレイはビスケットを無理やり飲み込んで、抗議した。


「旦那さまは、わたくしだけの旦那さまですっ!!」


 そう言って、フィンの腕にしがみつく。


「なるほど、君は既婚であったか。こういうとなんだが、少し残念だ」

「はあ……」


 クレイが一方的に妻と言い張っているだけなのだが、フィンがそれを言っても話をややこしくするだけだろう。

 正直なところ、フィン自身もクレイの態度を受け入れてしまっているフシはあるのだが。



 モルデン侯爵はケーキスタンドからマカロンをつまむと、フィンの目を見た。


「正直に言おう、私は君が欲しい」


 モルデン侯爵の言葉を聞いて、クレイが紅茶を吹き出す。


「旦那さま! 旦那さまの貞操が! 旦那さまはわたくしだけのものなんですぅううう!!」

「はっはっは、そういうことではないよ。私には世界一美しい妻がいる」


 それを聞いて、クレイはほっと胸をなでおろす。


「よかったです! 旦那さまを狙う泥棒猫ならばこの場で“摂理”を叩き込むところでした!」

「それは本当に思いとどまってくれて嬉しい限りだよ」


 などと話をしつつも、フィンは動揺していた。

 モルデン侯爵がフィンを欲しがっている。


 ――ということは。


「ギルド長を呼んだのはそういうわけだ。君を王都へと招聘しょうへいしたい」

「俺が……王都へ……」


 王都の冒険者は、クエストの質もその報酬も、すべてが段違いだ。

 これまでのフィンの立場からは、考えられないほどの大出世といえる。


「ビンツ男爵とギルド長の手前、こういう言葉ははばかられるが……今の王都には、君のような人間が必要だ。国の行く末を憂う身として、君の力を借りたい」


 思わずフィンがギルド長へ目をやると、優しい笑みが返ってきた。


「君を惜しむ気持ちはあるが……冒険者の出世を願わないギルド長はいない。王都はいいところだぞ」

「どんないいところなんですか!?」


 クレイは興味津々だ。

 モルデン侯爵が答える。


「とても広い都だ。のきを並べた服屋や雑貨屋などは、君くらいの娘さんは大いに気に入るだろう」

「なんだかよくわからないですけれど、すごいんですね! 旦那さま! チャンスですよ!」

「ああ……」


 フィンは長いリーンベイルでの生活を思い返す。

 うだつの上がらない冒険者として生きてきた日々。


 しかし、住人たちの誤解も解け、こうして背中を押してくれる人がいる今。

 フィンの心を閉じ込める鳥かごは、もうない。


 空高くから見た、小さな小さな、リーンベイルの街から。

 己の翼で羽ばたき、飛び立つときがきたのだ。



「そのお話、ぜひ引き受けさせてください」



 フィンは思い切ってそう答えた。


 その言葉を聞いて、モルデン侯爵は満面の笑みを浮かべる。


「決まり、というわけだな。ビンツ男爵、すまない。君の街から優秀な冒険者を引き抜くことになった」

「別にどうでもええわい……」

「ん?」

「あ! いえ、なんというか、考え事を、失礼をば……!」


 ビンツ男爵は、慌ててティーカップを落としそうになった。

 そうして、フィンをにらみつける。


「このとんだ間抜け……いえ、素晴らしい冒険者を失うのは、我がリーンベイルにとって痛手ではありますが……」


 歯ぎしりをしながら、ビンツ男爵は言う。


「街の人間の門出かどでを祝うのも、また領主の務めでありますゆえ……」

「おお、ビンツ男爵! 貴殿はそう言ってくれると信じておったぞ! フィン君は実に人に恵まれておるな。これも人徳のなせる業か」

「まったく、おっしゃる通りで……」


 ビンツ男爵は、それはもう、じつに悔しそうな表情を浮かべていた。

 優秀な冒険者を失う口惜しさではなく、なにか別の感情がにじみ出している。



 それからは王都の話に大いに花が咲き、気づけば日も暮れかけていた。


「うむ、すっかり長居してしまったな。そろそろおいとまするとしよう」



 温泉にかかる橋を渡ると、門の前にはモルデン侯爵の馬車が準備されている。



「では私は先に王都へ出立しゅったつする。君の馬車も手配しておいた、急な話ですまないが明日の朝だ。向こうで君の到着を待っているぞ、フィン君」

「よろしくお願いします」


 フィンは深々と頭を下げた。


「うむ、新しい暮らしを楽しみにしていてくれたまえ。では、ビンツ男爵」

「はいっ!」

「これからも慈善家として、素晴らしい治世を期待しているぞ」

「はい……それはまったくもって……はい……」


 眉をひくひくさせながら返事をするビンツ男爵を見て、モルデン侯爵は馬車に乗り込んだ。


「では失敬!」


 馬車が動き出し、モルデン侯爵は街路へと消えていった。


「大出世だな、フィン・バーチボルト」


 ギルド長の言葉に、フィンは笑みを返す。

 王都の話を聞いたこともあって、クレイのテンションは全開だ。


「旦那さま! 大出世らしいですよ! 新生活ですよ!」

「そうだな」


 暮れていく夕陽を眺めながら、フィンはこの先の暮らしのことを思った。



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