第二章「さらばリーンベイル」
第十九話「豚と懸賞金」
ふたりで大空を飛んだ、その日の昼。
宿屋に戻ると、憲兵が待っていた。
「同行を願おう、フィン・バーチボルト。“冒険者殺し”の件について、詳しく聞きたい」
今回の逮捕に繋がったのが、フィンの活躍によるものだと知られたらしい。
憲兵によると、当の犯人であるサンティが、そう話したということだった。
「わかった」
フィンは昨夜からロクに休みをとれていない。
しかし憲兵にも憲兵の仕事があるのだろう。
フィンとクレイは、ふたりの憲兵に連れられて、詰め所に向かった。
「詰め所ってどんなところなんですかね? やっぱり人間がわんさか押し詰められてるんですか? 居心地悪そうですね!」
クレイは目をキラキラ輝かせながら言った。
「それはまた別の建物だ。居心地が悪いのはその通りだが」
フィンはかつてロンゴに
長居したくなるような場所でないことは確かだ。
憲兵隊の詰め所は、石造りのどっしりとした建物だった。
中に入ると、どことなくひやりと
廊下の突き当りが取り調べ室――なのだが、憲兵はその横の階段を上っていく。
「取り調べじゃないのか」
フィンが尋ねると、憲兵は答えた。
「いいから着いてこい」
「そうか……妙なことだな」
壁に盾が並んでいる廊下を進み、その先に隊長室はあった。
「フィン・バーチボルトを連れて参りました!」
「よし、入れ」
薄い扉を開くと、執務机の向こうに、口ひげをたくわえた
憲兵隊長、ではない。
この小さな街、リーンベイルで彼を知らない者はいない。
一帯の領主、エドガー・ビンツ男爵だ。
「おほん、わしの自己紹介は必要かね」
「いえ、ビンツ男爵。お目にかかれて光栄です……」
「旦那さま、なんですかこの態度の大きな肉は……ムグッ!」
フィンは慌ててクレイの口を塞いだが、どうやら聞こえていたらしい。
ビンツ男爵の太い眉がピクリと動く。
「光栄、という風には見えんがね」
男爵が目で合図をすると、ふたりの憲兵は部屋の入り口を固めるように配置につく。
「まあ、かけてくれ」
フィンとクレイは、男爵の言葉に従って木のイスに座った。
「ええと、フィン・バーム……なんだったかな。まあ、フィン。ひとまずは、貴様に伝えておくべきことがある」
パイプに火をつけながら、男爵はこちらを見もせずに言った。
「35日前の窃盗の件だが、ロンゴとかいうチンピラが
「いえ、その件については特に、なにも」
「よろしい、では本題に入ろう」
男爵の口からもれた煙が、狭い隊長室の空気を汚した。
「“冒険者殺し”逮捕の懸賞金だ」
男爵は金庫から大きめの麻袋を取り出して、それをフィンの前にずいと差し出した。
「銀貨100枚。先の誤認逮捕の件も加味して、多少色をつけてある。妥当かどうかは、自分で判断したまえ」
フィンは、麻袋を受け取る――ずしりと重い。
――銀貨100枚。
マーガレットの善意で、宿と食事だけはどうにか維持できているこの状況。
フィンの小さな麻袋はもう、ほとんど空っぽだった。
「旦那さま! 銀貨ですよ! 銀貨がいっぱい!」
クレイはフィンのように自制することはなく、イスから立ち上がり、銀色の髪を揺らしながら飛び跳ねている。
「もっと喜びましょうよ! 旦那さまの大好きな銀貨ですよ! 好きでしょう? 銀貨!」
「人を守銭奴みたいに言うんじゃない」
そんなことを言いつつも、フィンは銀貨の袋を受け取った。
これでしばらくの生活はどうにかなる。
フィンは心からホッとした。
「ふん、たかが銀貨100枚でそれだけ喜べるなら幸せ者だ。あの女の首に懸賞金をかけたのはわしだがね。存外、役に立つエサだったらしいな」
男爵の目は軽蔑の色を隠さない。
もちろん、フィンは懸賞金などのために、サンティを憲兵に引き渡したわけではない。
フィンは男爵に毒づきたい気持ちを、心の中で押しとどめた。
だが男爵にとっては、フィンの事情など知ったことではない。
「それともうひとつ、これは世間話のようなものだがね」
男爵は煙を吐き出しながら言った。
「あの“ドブイタチ”が壊滅したらしい。街の
「………………」
“ドブイタチ”――サンティの命令でベイブが雇った、あのゴロツキ集団。
男爵が連中から賄賂を受け取っていたというのは、周知の事実だ。
それを、私が全滅させました、などと名乗り出るわけにはいかない。
「街の噂なら、あなたのほうが詳しいでしょう」
「確かに、それはそうに違いない」
男爵は、再びふうっと煙を吐く。
実際に“ドブイタチ”壊滅にフィンが関わっていたということは、すでに人々の間で語られていた。
まさか、フィンひとりの手柄だとは思われていないだろうが、バカにしていた“盗っ人のフィン”の実力に、恐れおののいた者が多いのも事実だ。
おそらくは、この男爵も。
「身に染みてわかっているだろうが。噂には注意したほうがいい。用件は以上だ」
男爵が煙たそうに手をはらうと、憲兵たちが隊長室の扉を開いた。
「では失礼します。行こう」
「はい、旦那さま! この部屋くさいです!」
イスから立ち上がり、執務机を背にしたところで。
「フィン・バーチボルト」
男爵が再び口を開いた。
「運が向いてきたらしいが……正義漢ぶるのは、ほどほどにしておけ。これは忠告だ」
「俺は……」
胸に去来するのは、サンティの笑顔だ。
フィンは意思の力で、それを追い払った。
「……懸賞金が欲しかっただけです」
「市民は、それくらいでちょうどいい。せいぜいはげみたまえ」
なにも答えずに、フィンは部屋を出て行った。
再び憲兵に連れられて、やっと詰め所の外に出た。
「旦那さま、わたくし頑張りました! “摂理”できていましたか?」
たたっとフィンの前に回って、クレイはルビー色の瞳で見上げてきた。
「ああ、俺が言いたいことは全部言ってくれた」
そう言ってフィンは、クレイの艶やかな銀色の髪を撫でる。
クレイは心地よさそうに、目をつぶって撫でられている。
「旦那さまの大きな手、好きです」
「弓を扱ってるとな、どうしても大きくなるんだ」
銀色の髪から手を離すと、クレイはその手をぱっと捕まえた。
そうして、フィンの手を白い指で触れる。
「大きいし、温かいです」
「狩人の手は、そんなもんだ」
クレイがその手に頬ずりしようとし始めたので、フィンは慌てて手をひっこめた。
往来でできることではない。
「帰りに、鍛冶屋へ寄ろう」
気づけば、手を繋いで歩くのが当たり前になっていた。
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