第二十話「強者の宿命」
フィンとクレイは鍛冶屋を目指していた。
鍛冶屋は市場街を抜けた裏路地にあり、詰め所からだと少し遠回りになる。
日も傾きかけて、他の店はそろそろ店じまいを始めようかという時分だ。
しかし鍛冶屋はけっこう遅くまで店を開けている。
仕事を終えた冒険者からの依頼が多いためだった。
ふたりは
「いらっしゃい……い」
店主はフィンを見るなり、けげんな顔をした。
「あの……なんのご用で?」
「矢じりを買いにきただけだ」
それを聞くと、店主はほっと胸をなでおろす。
フィンは棚のあちこちを指さして、矢じりをひと
「……その」
店主は少し
「俺は……善良な市民なんだ……だから……」
どこか
フィンはため息をつく。
「わかってるよ。また寄る」
銀貨を払って商品を受け取り、フィンたちは外に出た。
「さっきの店員さん、なんか感じ悪くなかったですか? “摂理”わからせてきたほうがいいですか?」
クレイは無邪気な顔で、そんなことを言う。
「そういうのはやめよう」
フィンはぎこちない笑みを浮かべた。
「あいつは、
「でも、旦那さまの悪い噂は晴れたんでしょう?」
「それはそうなんだが……どう説明すればいいかな」
フィンも、さっきから気がついている。
“盗っ人のフィン”の名前が通っていたときよりも、街の人々は露骨にフィンを避けて通った。
クレイは、くちびるの下に指を当てて、小首を傾げた。
「なんであんなふうに街の人は、旦那さまに怯えてるんです?」
クレイは魔物の王だ。
あどけなく見えても、感情の
フィンは周囲に聞かれないよう小声で言った。
「
「旦那さまは、仕返しするんですか?」
「まさか」
そう答えて、フィンは思わずこぼれた笑みを隠した。
「でも、俺がどう思ってるかなんて、本当のところは問題じゃないんだ。連中にとっては」
フィンは言った。
「自分が唾を吐いた相手が、“ドブイタチ”を壊滅させた。あいつと下手に関わった連中はみんな死んだか捕まった。それだけで、怖いのさ。次は自分の番かもしれないってね」
「愚かですね、それなら最初から酷いことをしなければいいのに!」
クレイは、ぷーっと頬を膨らませた。
「相手を強者と認めたなら、頭を下げて恭順の意思を示すべきです!」
「そうもいかないのが、人間だ。まあ、じきになれる」
「人間の群れって、非合理的ですね」
宿屋に着くと、待っていたのは筋骨隆々の女主人、マーガレットの熱烈な出迎えだ。
「お帰り! フィンにクレイ!」
さっそくフィンは、マーガレットに背中をバンバン叩かれた。
このままだと、背中の皮膚だけが分厚くなるかもしれない。
「あんた聞いたよ! “冒険者殺し”を捕まえたそうじゃないか!!」
そう言って、マーガレットはニカッと笑った。
「街の連中はどう言うか知らないけどね、武勇伝は大事にしな! ここぞというときに出すんだよ!」
「俺はそんなガラじゃないですよ、マーガレットさん」
そう言って、フィンは麻袋を取り出した。
「宿賃、ずいぶん溜めてすみませんでした。この分は、礼金も兼ねて」
「そういう
マーガレットは渡された銀貨を金庫にしまうと、帳簿を何枚もめくってチェックをつけていった。
「夕飯ができたら呼びに行くからね!」
「……はい、楽しみにしています」
フィンは笑顔を見せて、自分の部屋に戻った。
荷物を降ろすと、宿屋で借りている納屋から、まっすぐな枝をいくつか持ってきた。
部屋のランプに火をともすと、フィンは枝を抱えてイスに座る。
「なにをするんです?」
クレイはベッドに座って、足をぷらぷらさせながら尋ねた。
「仕事道具を作るのさ」
フィンはナイフを取り出して、枝を削り始めた。
ナイフを何度か走らせていくと、枝は次第に、まっすぐな
クレイは興味深そうに、フィンの仕事を眺めていた。
「これが旦那さまの“しごとどうぐ”ですか」
「ああ、狩人だからな」
フッと木屑を吹いて、フィンは答えた。
「矢がないと仕事にならない」
矢じりを袋からひとつ取り出して、穴の大きさを確かめる。
そうして、また枝を削り始めた。
「旦那さま」
「なんだ?」
「“しごと”ってなんですか?」
クレイは心底不思議そうにそう尋ねた。
思えば、自然界には役割こそあれ、仕事という概念は存在しない。
「仕事っていうのは……。生きるためにすること、かな」
「生きるためならば、狩りをすればよいのではないでしょうか。旦那さまはその力を持っておいでです」
「そうだな……それもいいかもしれない。でも今の俺は冒険者なんだ」
するとクレイは、もうひとつ疑問を口にした。
「“ぼうけんしゃ”……とは、なんですか?」
「誰かのために働く、便利屋ってところかな」
「なるほど……誰かのために」
窓から風が吹いて、クレイの銀色の髪がなびいた。
ランプの明かりに照らされて、まるで星を散らしたようだ。
「旦那さま」
クレイは、ルビー色の瞳をフィンに向けた。
「わたくしは旦那さまの“
その瞳は、サンティに向けたときとは、また違う色に燃えていた。
素直に、フィンはその瞳を美しいと思った。
「ありがとう、心強いよ」
フィンは削った枝に、矢羽根を刺しこみ、ツルで縛って固定した。
そしてもういちど、鍛冶屋で買ってきた矢じりを手に取る。
矢じりは、ぴったりと矢柄にはまった。
「“しょくにんげい”ですね! 旦那さま!」
クレイはパチパチと手を叩いた。
フィンは照れくさそうに答える。
「慣れてるだけだよ」
そう言って、イスの
「夕飯ができたよおおおおおおッッッ!!」
宿屋が震えるほどの
フィンは、思わず笑ってしまう。
「……らしいぞ、行こうか」
「はいっ!」
夕飯は、それはそれは豪勢だった。
肉の串焼きがずらりと並び、蒸し肉にソーセージ。
こってりと油が浮くほど煮込まれたシチューに、デザートは山盛りのパンケーキ。
全体的に、非常にヘヴィーだ。
「こんなに食ったら、死んじゃいますよ……」
「なにを情けないことを言ってんだい! たくさん食べて、たくさん稼いできな!」
「い、いただきます……」
フィンはすすめられるままに、小皿に食事を載せていく。
今日こそは、腹が破裂するかもしれない。
しかしクレイとマーガレットが、抜群の食欲を見せた。
「旦那さま! これ美味しいです! 生より美味しいです!」
そう言って、串焼きにかじりついている。
「のどに詰まらせるなよ」
クレイとマーガレットの大活躍によって、どうにか完食ということになった。
マーガレットの筋肉は、これからも膨らみ続けることだろう。
「ごちそうさまでした!」
「おかわりはいるかい?」
「勘弁してください、これ以上食ったら耳からパンケーキが出てきますよ」
「情けないねえ!」
そんなことを言いながら、マーガレットは快活に笑う。
自分を信じてくれる人がいるというのは、本当にありがたいことだ。
「クレイ」
「なんですか旦那さま」
フィンはハンカチを取り出して、クレイのくちもとを拭った。
「ソースがついてたぞ」
「………………」
クレイは真っ赤になって黙り込んでいる。
意外な反応だ。
「どうした、大丈夫か?」
「はい……その……大丈夫です……」
ルビー色の瞳が、上目遣いにフィンを見上げる。
「ありがとう……ございました……っ!」
そう言って、ひとり走って部屋に戻ってしまった。
「なんか間違えたかなあ、俺」
後ろ頭をかきながらフィンが部屋に戻ると、クレイはベッドの上で毛布にくるまっていた。
「すまん、何か悪いこと、しちゃったか?」
「とんでもないです……」
くぐもった声で、クレイは言った。
「嬉しくても、こうなっちゃうみたいです。私も不思議です……」
「……そういうもんか」
フィンはイスに座ると、再び矢づくりに精を出す。
20本ほど作ったころ、クレイはすうすうと眠っていた。
「んむぅ……旦那さまぁ……」
毛布を抱きしめて、くちもとが緩んでいる。
幸せな夢を見ているらしい。
「明日はギルドに行くか」
フィンは床に毛布を敷くと、ランプの灯を吹き消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます