第三十話「リーンベイルの住人たち、集う」

 男爵の庭を温泉施設に作り替えるという、途方もない作業のなか。

 庭師でもギルド職員でもない、憲兵・・が、シャベルを握っていた。


「つちおいしい、つちいっぱい」

「あんたは……!」


 憲兵は、シャベルで泥を台車に積み上げていく。

 気づけば何人もの憲兵たちが、作業を手伝っていた。


「いったいどうして……」


 フィンの言葉に、強面こわもての憲兵隊長が答える。


「どうしてもこうしてもあるか。部下が勝手に始めたことだ。だからこうして俺たちも、勝手に始めさせてもらっている」


 憲兵隊長はそう言うと、大きな岩を転がす手を止め、真面目な顔でフィンと向かい合った。


「……というのは建前でな。その、なんだ。あんたに、なにかをしてやりたいのさ。なんの罪もない冒険者を“盗っ人”なんて呼んできたんだ。酷いこともたくさんした」

「……………………」


 その真剣な態度に、フィンも作業の手を止める。


「みんな怖れていたんだ。あんたが“ドブイタチ”を潰したからじゃない。みんな、謝るのが怖かったんだ。許してもらえないんじゃないかって」


 憲兵隊長は、ふたたび大きな岩に手をかけた。


「だが今の、必死に頑張るあんたを見て思ったんだ。復讐を怖れることが、そもそもの間違いだった。あんたが許す許さないにかかわらず、俺たちにはまず、やるべきことがあったんだ」


 すこしの沈黙のあと、憲兵隊長は思い切った様子で言った。


「フィン・バーチボルト。今まで本当にすまなかった。謝るのが遅くなってすまない。今さら遅いかもしれないが、俺に償いをさせてくれ……俺たちに、あんたを手伝わせてくれ!」

「…………………」


 フィンは、すぐには答えることができなかった。

 胸の中から、これまでの仕打ちを、真摯に頭を下げる憲兵隊長をなじる言葉は出てこない。


 わだかまりがないとは言えない。

 しかし、それは彼らに対する恨み・・ではなかった。



 そんな憲兵隊長とフィンの様子を見てか、遠巻きに眺めていた街の住人が声をかけてくる。


「フィン、俺にも……手伝わせてくれ」


 ベイブたちがいた頃は、フィンをバカにして、見下していた。

 “ドブイタチ”を壊滅させたあとは、ただ復讐を恐れていたリーンベイルの住人が。

 不器用ながらも、フィンに協力を申し出たのだ。


 まだ目を合わせるのは怖いらしい。

 だがその行動は、彼なりの贖罪なのだと、フィンは理解した。


 男を皮切りに、次々と街の人々が声を上げる。


「お、俺も手伝う!」

「私にもなにかさせてちょうだい!」


 気づけば、フィンのまわりには多くの人々が集まっていた。

 その誰もが、フィンの言葉を待っている。



「……ありがとう」



 長い沈黙のあと、フィンはようやくその一言を口にした。



 そうしてとうとう、街をあげての大仕事が始まった。

 温泉が、どんどんそれらしくなっていく。


「フィン・バーチボルト、俺たちは大工だ。できることはないか?」


 道具を肩に担いで、男たちが並んでいる。


「あんたら、街の修繕はいいのか?」

「仕事の途中で、あんたが縛り首になるって話を聞いてね。こうしちゃおれんと思って来たのさ」

「ありがたい……!」


 大工には、簡易な脱衣場を建ててもらうように頼んだ。

 彼らは早速作業を始める。


「これならいける……いけるぞ……!」


 作業のめどが見えてきた。


「もうしばらくしたら、昼飯だよ!」


 マーガレットは巨大なカゴを担いで、山ほどのパンとチーズを運んでくる。


「パン屋が大盤振る舞いしてくれたよ!」


 街中の力が、この温泉に集まってきていた。

 フィンはうるんでくる目元を、袖で拭った。


「旦那さま、目にゴミでも入りましたか?」

「ああ……そんなところだ」

「こっちはもうすぐ終わるぞ!」


 太陽がてっぺんを過ぎ、みんなでパンとチーズを分け合った。

 そうして再び、作業に精を出す。


 作業は夜を越え、そして翌朝まで続いた。

 交代で休みを取りながら、それでも確実に仕事は進んでいく。


 土砂が取り除かれ、温泉に岩の囲いができ、脱衣場が建ち――。


 朝日が、山の向こうから昇り始めた。



「完成だ……完成だーッッ!!」



 フィンが叫ぶと、うおおおおおっ、と街中の人が歓声を上げた。

 めちゃくちゃだった館の庭に、とうとう立派な公衆浴場ができあがったのだ。


「やりましたね、旦那さま!」

「ああ、君も手伝ってくれてありがとう……みんなありがとう!」


 もはや、フィンを怖れる者はいなかった。

 しかしその誰もが、もう体力の限界を通り越している。


「疲れた……もう動けねえや……」

「じっくり体を休めてえ……」

「なにか、疲れが取れるような……」


 街の人々が口々に言い合うその中心で、温泉がほこほこと湧き出ている。

 【治癒の薬草】の甘い香りは、その疲れを芯から癒すことを保証していた。



「………………」



 誰もが疲れ切った、その目の前に温泉がある。


 我慢ができようはずもなかった。





 ………………。


 …………。


 ……。




 ビンツ男爵とモルデン侯爵は、馬車に揺られながら、リーンベイルの領主の館へと向かっている。

 その途中で【治癒の薬草】をたっぷりと詰め込んだ行商隊の一団と出会った。



「これほどの量の【治癒の薬草】を用意してくれていたとは! リーンベイルは王都を救う泉だ!」

「その……はい……お褒めにあずかり……」


 悪徳商人ヂェルミと組んだ【治癒の薬草】買い占めも失敗に終わり、ビンツ男爵はへらへらと笑うしかない。

 ここで「私の手柄です!」とまで言い切る度胸はないのが、ビンツ男爵だった。


「それにビンツ男爵、貴殿の庭は美しいと評判だそうではないか。私はしっかりと手入れされた庭を見るのが好きでね」

「まことにそれは……素晴らしいご趣味で……モルデン侯爵のお目にかないますかどうか……」


 ビンツ男爵のでっぷりとした頬に冷や汗がつたう。

 あのフィン・バーチボルトは、庭を修復できたのだろうか。

 どうしても、花の咲き誇っていたあの光景を取り戻した、自分の館が想像できない。


「田舎の庭です……なにもたいしたことは……」

「そう謙遜するものではないぞ、ビンツ男爵。庭というものは、金をかければ良いというものではない」


 そうして馬車は街へと入る。

 広場の向こうが領主の館――なのだが。


「あれが……貴殿の庭か?」



 眼前に広がっていたのは、大浴場だった。




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