第二話「結婚なんて夢のまた夢」

 帰り道、フィンは自分の汚れた靴を見て、またため息をつく。


「いつまで、こんな生活をしてりゃいいんだろな……」


 ふと目を上げると、向こうから冒険者たちが歩いてくる。

 フィンはなるべく目を背けようとしたが、冒険者のひとりと目が合った。


 別の道を行こう。

 そう思ったが、遅かった。


「おい、お前“盗っ人のフィン”だろ?」


 冒険者のひとりがフィンをにらみつける。

 それを聞くと、残りの連中が口々に言った。


「聞いたことがあるぜ、ロクに働きもしないパーティーの寄生虫だって」

「あげくの果てには仲間のアイテムを盗むって話じゃねえか」

「おまけに万引きの常習犯らしいな」


 フィンは肩を落とす。

 “よくない噂”というのは、これだ。


 冒険者が、フィンの上着につばを吐いた。


「お前みたいなクソ野郎がいるから、俺たち冒険者の評判が悪くなるんだよ!」


 もちろん、どの話も身に覚えはない。

 しかしフィンの悪い噂は、リーンベイルの街中に知れ渡っていた。


 レレパスとロンゴがあちこちで言いふらしているのだ。

 “マト”が他のパーティーへ逃げないように。


「くたばれ、ギルドの面汚しが!」


 冒険者は鎧を着た肩を、思い切りフィンにぶつけた。

 フィンはバランスを崩し、尻もちをつく。


「行こうぜ」


 彼らはそのまま通りの向こうへと消えていった。


「……いってぇ」


 鎧をぶつけられた肩が痛む。

 関節を痛めたかもしれない。



「あの、フィンさん?」


 振り向くと、ひとりの女が立っていた。

 パーティーメンバーのひとり、回復術士のサンティである。


「こりゃ、恥ずかしいところを見られたな」

「弓使いが、肩を痛めちゃいけませんよ」


 彼女はフィンに優しくしてくれる唯一のパーティーメンバーだった。

 サンティの杖が緑色に輝くと、肩の痛みが引いていく。


「ありがとう……悪いな、俺なんかのために【ヒール】を使わせちまって」

「そんなこと言わないでください。大切な仲間じゃないですか」

「そう言ってくれるのは、君くらいのもんだよ」


 それを聞いたサンティは、ほがらかな笑みを浮かべた。

 さきほど飲んだワインのせいか、頬がほんのり赤くなっている。


「次のクエストも、頑張りましょうね」

「ああ、【ヒール】ありがとう。暗くなる前に帰った方がいい。“冒険者殺し”に出会わないとも限らない」


 冒険者を相手にした殺人事件が、最近この小さなリーンベイルの街を騒がせている。


 そうなると、フィンとしてはサンティを送り届けるのが筋なのだろうが。

 とはいえ“盗っ人のフィン”とふたりでいるところを誰かに見られでもしたら、また面倒なことになりかねない。


「お互いに気をつけましょうね」

「ああ、ありがとうサンティ。君も気をつけて」


 最後にもう一度お礼を言って、フィンはサンティと別れた。


 言葉ではなく、形にして感謝を示したいところではあったが。

 金もなく、悪評まみれの冒険者に返せるものなどあるはずもない。


 おかげでサンティには、借りがたまっていくばかりだ。


 せめて明日の生活に困らないほどの金があれば。

 悪い噂など笑って飛ばせるほどの名声があれば。


 ため息まじりに見上げた空を、銀色の星が流れていった。



「結婚、してえなあ……」


 いまさら叶うはずもない夢を、フィンはぼそりと呟いた。



 ………………。


 …………。


 ……。



 しばらく歩くと、宿屋に着いた。


 扉をくぐると、機嫌の悪そうな宿の女主人ににらまれる。

 フィンは軽く会釈えしゃくをした。


「どうも……」

「あー、腰が痛い、ひざも痛い」


 ほとんど無視。

 これもいつものことだ。


 ぎしぎしときしむ階段をなるべく音を立てないようにのぼり、フィンはようやく自分の部屋に辿たどり着いた。


「ふう……」


 やっと落ち着ける。

 フィンは弓矢をたなに置き、固いベッドに座った。


 背を丸めて、少ない“お小遣い”を手のひらで転がす。

 また、ため息が出た。


「なんかいい仕事、ねぇかなあ……」


 これは口癖のようなもので、ひとりになったフィンを相手にしてくれる場所はどこにもなかった。

 さっきの、悪い噂のためだ。


 何度もリーンベイルの街を去ろうと考えた。

 しかしここを離れるにしたって、それには先立つもの、ようするに金が必要である。

 だがこの街で金を稼ぐには、ベイブの下につくしかない。


 生き方など、そう簡単に変えられるものではないのだと、フィンは痛感する。

 どこにも行けず、何者にもなれないフィンは、あのパーティーで耐え続けるしかないのだった。


「この先もずっと、こんな毎日が続くんだろうな……」


 なにも変わらないことへの恐怖。

 それを日増しに、ひしひしと感じていた。


 さきほどのサンティの笑みを思い出す。

 ふと再び“結婚”という言葉が頭に浮かび、フィンは首を振った。


「こんなオッサンと結婚したい物好き、いるわけないよなぁ」


 “結婚”という言葉は、たちまち“あきらめ”に塗り替えられる。


 それも今日、何度目かわからないため息とともに、どこかへ消えてしまった。

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