第三十三話「さらばリーンベイル」
翌日の朝。
マーガレットは、たっぷりとバターの載った山盛りのパンケーキを焼いてくれた。
「寂しくなるねえ」
マーガレットは、感慨深げだ。
「クレイ、あんたのおかげでフィンも変わったけどね、あたしだってずいぶん変わったもんだよ」
少なくとも体型は明らかに変わっているが、そういう話ではないだろう。
「腰や膝の痛みが取れただけじゃない……思えばあたしはヘンクツなババアだったよ」
そう言って、フィンに微笑みかけた。
「ずいぶんと男を上げたね、フィン。王都で、うんと出世しな!」
「はい……マーガレットさん……」
パンケーキを食べながら、フィンは目もとがうるんでくる。
思えばこの女主人にも、ずいぶんと世話になった。
クレイが来るまでは、こんな関係は考えられなかった。
「この味も、最後だと思うと寂しいですね」
フィンがそう言うと、マーガレットにバァンと背中を叩かれた。
鼻からパンケーキが飛び出しそうになる。
「こんな安宿の飯で満足してんじゃないよ! それで収まる男かい、あんたは!?」
「それでも……」
目もとを袖で拭って、フィンは言った。
「パンケーキ、美味しいです……」
「しめっぽいこと言うんじゃないよ!」
見れば、マーガレットも少し涙ぐんでいた。
「ほら、食い終わったんなら行った行った! 馬車を待たせてるんだろう!?」
「はい」
フィンは、マーガレットに深く深く頭を下げた。
「本当に! お世話になりました!」
マーガレットは笑みを浮かべて答えた。
「こっちこそ、楽しい毎日だったよ。いってきな、フィン」
「いってきます、マーガレットさん」
宿から外に出ると、街中の人が集まっていた。
フィンが出てきたのを見て、真っ先に駆け寄ってきたのは鍛冶屋だった。
「渡したいものが、あるんだ」
そう言って、分厚い麻袋を差し出してきた。
「矢じりが、たんと入ってる。王都に俺より腕がいい鍛冶屋がいるかどうか、わからないだろう?」
「そりゃ、そうに違いない。お代は……」
「いらないよ、取っといてくれ……今までの詫びだ」
「……ありがとう」
次に現れたのは服屋だ。
「私は服を用意したわ!」
そう言って、包みを渡してくれる。
「よくサイズがわかったな」
「服屋の目をなめないでちょうだい。温泉に入ったときにじっくり見たんだからね!」
じっくり見られていたらしい。
服屋の目もとには、くまができていた。
夜なべ仕事で塗ってくれたらしかった。
「丈夫な生地で作ったわ。狩人の服は破れやすいでしょう?」
「そのとおりだ、ありがとう」
思えば、いま着ている自分の服はもうボロボロだった。
このまま王都に行っていたら、恥をかいていたかもしれない。
武器屋からも声をかけられた。
「俺から弓を……と思ったんだが、愛用の得物があるなら、それを使うのが一番だ」
そう言って差し出したのは、弓の弦だった。
「こいつは……ロウシクジラのヒゲじゃないか!」
「ああ、狩人に渡せるもので、これより良い品はウチにはねえ」
ロウシクジラのヒゲは、弾力に富み、丈夫で切れにくい。
「ありがたい!」
「俺たちがあんたにしてきたことに比べれば、安いもんさ」
それからも次々と街の人が贈り物をしてくれて、フィンの両手はいっぱいになった。
「フィン・バーチボルト……」
最後に進み出たのは、ギルド長だ。
「ようやく、君に報いることができた……本当に……」
しかしとうとう、その涙腺が決壊した。
「本当に良かったよお……」
その場にしゃがみこんで、すんすんと泣き始めた。
フィンの出世が、よほど嬉しかったのだろう。
「大丈夫ですか? ギルド長」
フィンはそう言って手を差し伸べる。
「うん……」
ひっくひっくとしゃくりあげながら、ギルド長は立ち上がった。
「昨日は、我慢してたんだ。でも、みんなに見送られる君を見ていたら……本当に……」
「すまない、なんて言わないでくださいね。感謝しています、ギルド長」
そうしてフィンは街の人々みんなを見渡す。
「本当にありがとう!」
フィンは、満面の笑みで言った。
「いってくる!!」
その声に、街の人々から歓声が上がった。
「いってらっしゃい!」
「気をつけてな、フィン!」
「王都いちの冒険者になれよー!!」
みんなの応援を背にして、フィンとクレイは馬車に乗り込んだ。
ビロード張りの立派なクッションに腰を下ろす。
「馬車に乗るなんて、いつぶりだろうな」
リーンベイルには、ビンツ男爵の私物を除けば、固い木の座席の馬車しかない。
そのビンツ男爵はというと――。
「二度と帰ってくるなァアアアアアアアアアアアアア!!」
街の人々の声に混じって、叫びまくっていた。
「この疫病神め!! 二度とリーンベイルの地を踏むことはゆるさぁあああああああんッッ!!」
それを見て、みなは
「ああやって、フィンを
「ビンツ男爵ったら、素直じゃないんだから……」
強制的に善人として生きることを宿命づけられたビンツ男爵。
真正直に心の底から吐き出した言葉を信じる者は、ひとりもいなかった。
ビンツ男爵は、これからも慈善家として生きていくのだろう。
その
街の人々の声援に押されて、馬車が動き出す。
「……………………」
もしクレイが現れていなければ、今頃自分はどうしていたのだろう。
相変わらずベイブたちにいびられ続ける毎日の中、街の人々にも疎まれて。
最後には“冒険者殺し”サンティに命を奪われていたかもしれない。
楽しそうに窓外を眺めている、銀色の後ろ姿。
彼女がいなければ――。
「……クレイ」
銀色の髪が、振り返った。
「どうなさいました? 旦那さま」
「いや、なんでも……」
そう言いかけて、思いとどまる。
「なんでもないって、ことはないな」
フィンは、クレイのルビー色の瞳を真っ直ぐに見た。
照れくさくなってしまうけれど、だからといってなにも言わない理由にはならない。
「今まで、本当にありがとう、君の“恩返し”のおかげだ。それがなければ俺は……」
フィンの言葉に、クレイはにっこりと笑って答えた。
「“今まで”なんてよしてください、私たちはこれからですよ!」
クレイはフィンの手をそっと握る。
「わたくしこそ、ありがとうございます、なにもかも旦那さまのおかげです」
あの日の森での出会い。
それを思い返すように、クレイは言った。
「あのまま森で朽ちる運命にあったわたくしが、こんなに幸せで……不思議な気持ちです」
「俺たちは、お互いがいないと、もうこの世にはいなかったんだな」
クレイの手をフィンが握り返す。
長いまつげが、微笑みの中に重なった。
それが、ぱっと開く。
「旦那さま、それより新しい暮らしのことを考えましょう!」
「それも、そうだ」
そうしてふたりは今、新天地に向かっている。
わくわくしないと言えば嘘になる。
「いっぱい幸せになりましょうね!」
「何があるかなんてわからないから、保証はできないぞ」
フィンの言葉を聞いて、クレイはにっこりと笑う。
そうして、ルビー色の瞳でフィンをまっすぐに見た。
「旦那さまがいれば、それだけでわたくしは幸せです! どこにいたって!」
「けっきょく、どこでもいいんじゃないか」
ふたつの笑顔を乗せて、馬車は街道を進んでいく。
「それにまだ“恩返し”は終わってませんから!」
「お手柔らかに頼むよ」
このさき、王都ではさまざまなことが待ち受けているのだろう。
当たり前のことだが、出世したからといって、楽な仕事が待っているわけではない。
それでも――フィンはクレイの笑顔を見ていると、どんな困難でも乗り切れるという気がしてくる。
自分の妻だと言い張っている、魔物の王。
その銀色の髪と、無垢なルビー色の瞳が、馬車に射す夕陽に光り輝いていた。
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第二章にて、ひとまず本作は完結となります。
読んでいただき、本当にありがとうございます。
引き続きコンビで続編なり新作なり、どんどんアップしていこうと画策しておりますので、よろしければSNSのフォローなどしておいていただけると大変喜びます。
読者の皆さまに次回作をご提供できる日を心待ちにしております。
今井三太郎/マライヤ・ムー
最強無敵チート魔王のガチ恩返し 今井三太郎 @IMAIX
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