第二十三話「薬草大暴落事件」
リーンベイル近郊にある大邸宅の、ある一室。
悪徳商人ヂェルミはグラスでワインを飲みつつ、王都からの手紙を読んでほくそ笑んでいた。
「薬草不足はまだ続いているらしいな……ウヒヒヒ、狙いどおりだ」
王都では供給不足により薬草の値段が、従来の20倍にも跳ね上がっていた。
なにせ薬草がなければ、冒険者や兵士は傷を癒せない。
すると領内を脅かす魔物への対処に、手が回らなくなる。
魔物が増えれば、一般市民への被害も増えてさらに薬草が不足する。
薬草不足はまさに、国家の一大事なのだ。
ところが、悪徳商人ヂェルミの広大な倉庫には、箱に詰められた【治癒の薬草】が山積みになっている。
今これがすべて王都に運ばれれば、多くの者が助かるにも関わらずだ。
――しかし。
「これは……まだまだ値段が上がるぞ……もっとだ、もっともっと買い占めてやる」
ヂェルミは舌なめずりをする。
「リーンベイルで採れる良質な“ブツ”は、ひとつ残らず俺の手にあるんだからな……」
冒険者たちがかき集めた【治癒の薬草】を、ヂェルミは片っ端から買い占めていた。
輸送隊に賄賂を渡して、本来王都に届くはずの薬草を自分の懐に貯め込んでいるのだ。
そして値段が限界まで吊り上がったところで、独占した在庫を売りさばく。
差額で楽して大儲け、ヂェルミは笑いが止まらない、という寸法だった。
「ウヒヒヒヒ、この買い占め……うまくいけば、俺は大陸一の大金持ちだ!」
ヂェルミはこの
それだけ、この“
「金は頭を使って上手く稼がねえとなあ。俺はバカな連中が汗水たらして稼いだ金で、ヌーク島にデカい別荘を建てて、女を山ほどはべらせて暮らすんだ……ウヒヒヒヒ」
そのとき、部屋のドアが激しく叩かれた。
「ヂェルミ様! 大変でございますぅううううう!!」
「なんだァ? 騒々しい」
入ってきたのは、ヂェルミが雇っている使用人だ。
ぜいぜいと肩で息をしている。
「リーンベイルで……【治癒の薬草】が大繁殖しました……っ!」
「ほう」
ヂェルミはニヤリと笑う。
「最近は暖かくなってきたからな。ようし、それも全部まとめて買い占めろ!」
「そんなもんじゃねえんです! まっ、ままま、窓の外を見てください!!」
「そう騒ぐな、商人というものは常に冷静に……」
カーテンを開いた瞬間、ヂェルミは口の中のワインを吹き出した。
「な……そんな……バカな……」
リーンベイルの街があったところに、巨大な緑色の山ができていた。
ヂェルミのワイングラスが、床でパリンと割れた。
「あれがぜんぶ【治癒の薬草】なんですぅ!! あれじゃあ、もはや雑草……」
使用人が言葉を言い終えるまでに、ヂェルミは失禁しながら崩れ落ちた。
「ウヒ……ウヒヒ……ヌーク島で……別荘……女……ウヒヒヒヒヒ……」
リーンベイルで採れる【治癒の薬草】は、苦味も少なく歯ごたえも爽やかだ。
ヂェルミが借りられるだけの金を借り、全財産をかけて集めていた【治癒の薬草】。
それが今日からは、貴重な治療薬から庶民に優しいお手軽なサラダとなった。
………………。
…………。
……。
「死傷者はいないか!?」
【治癒の薬草】の山に埋もれながら、憲兵隊長が叫んだ。
「ひとりもいません! なにせ怪我をした瞬間、全回復するので!!」
「なるほど一理ある!!」
大きな被害はというと、ボロボロになったビンツ男爵の庭くらいのものだった。
補修が必要な建物がいくつか出たが、それらは大工や冒険者がなんとかしてくれる。
街の人々は喜んで、せっせと【治癒の薬草】を集めた。
しかし抜いた端から次々と新しく生えてくる。
大繁殖の原因は不明だが、こんなにありがたいことはない。
「こいつは新しいリーンベイルの特産品になるぜ!」
「王都の連中、こいつを見たら泣いて喜ぶだろうな」
「ああ、これなら格安で譲ってやれる。ありったけの荷車をかき集めろ!」
善良な商人たちは、目の前に広がる緑色の景色を見て、満面の笑みを浮かべた。
――彼らはそれで良かったのだが。
「本当に申し訳ないッッ!!」
冒険者ギルドの執務室で、ギルド長は深々と頭を下げた。
「まさか【治癒の薬草】がこんな大繁殖を起こすとは予想できなかった……。君たちにクエストを斡旋した手前、なんと言って詫びればいいか……」
「頭を上げてください、こんなの誰も予想できませんから」
フィンとしては、後ろめたいことこの上ない。
なにせすべてはクレイの仕業なのだ。
「いっぱい【治癒の薬草】が採れるようになりましたよ! 褒めてください!」
「お願いだ、今だけは黙っていてくれ。頼むから」
フィンとクレイのやりとりをよそに、ギルド長は、深くため息をついた。
「これだけ【治癒の薬草】が大繁殖したとあっては、さすがにクエストを取り下げざるを得ない……。この私としたことが……君の傷に塩を塗りこむような真似を……ッ!!」
悔しげにテーブルを叩く。
職務に対し、なによりも誠実さを重視するギルド長のことだ。
それゆえに自分で自分が許せないのだろう。
ちなみに今年で3X歳になるそうだが、この真面目すぎる性格のせいでいまだに独身を貫いているらしい。
かつてベイブが彼女のことを“行き遅れの女騎士”と呼んでいたのを思い出す。
「なんたる不覚……なんたる不義……ッ! 君たち冒険者の生活を預かるべき、長たるこの私が……ッ! 私はなんのために……なんのためにこの仕事を……ッ!」
フィンの後ろめたさは、どこまでも加速していった。
「ギルド長にはなんの責任もありませんから! ほんとに、草1本分もありません!」
申し訳なさを通り越して自己嫌悪に
いっぽう、事件を起こした張本人は、ニコニコと機嫌が良さそうだった。
「草は外にいっぱい生えてますよ!」
「そうだね!」
引きつった笑みを浮かべながら、フィンはクレイの銀色の髪をわしわしと撫でた。
悪気があってのことではないから、叱るわけにもいかない。
ただ、商品流通の仕組みについては、いろいろと教える必要がありそうだ。
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