第十七話「回復術師サンティ」

 安宿の窓から、日が差し込む。

 少し横になってみたものの、フィンは結局仮眠をとることさえできなかった。


 体は疲れ切っているのに、頭はいやにえている。


「行きたくねえなあ……」


 フィンは毛布を敷いた床に寝っ転がって、天井を眺めながら呟いた。


「どこへですか?」

「行きたくなかったら来なくていいぞ」

「旦那さま、質問の答えになってません!」


 クレイはベッドの上で、うんと伸びをして朝陽を浴びている。


「教会に行く」


 フィンは立ち上がって毛布を片付けた。

 しばらく考えてから、クレイはポンと手を叩く。


「ああ! あの、まっしゅぽてとの!」

「……その教会だよ」


 傷の治療を受けながら必死に命乞いをしていたベイブ。

 あのときベイブは、サンティの名前を口にした。



『それがあの女の……サンティの趣味なんだよぉ!』

『男をいじめ倒して、そいつを助けるフリをして、それから……それからぶっ殺すのが!!』



「………………」


 まさかそんなわけが、とフィンは思う。

 パーティーの中で、唯一自分に優しくしてくれていたのがサンティなのだ。



“冒険者殺し”



 そんな言葉が不意に頭に浮かび、フィンは頭を振った。


 絶対に、ありえない。

 ベイブが吐いた苦しまぎれのたわごとだ――しかし。


「確かめないってのも、気持ちが悪いな」

「旦那さま、ひとりごとばっかりです!」

「悪い悪い。下に降りよう。マーガレットさんが飯を作ってくれることになってるからな」


 1階に降りると、相変わらず筋骨隆々の女主人マーガレットが、食事を用意していた。

 皿の上にたっぷりの燻製くんせい肉と、目玉焼きが積みあがっている。


「アンタも、これでしっかり体をきたえな!」

「さすがにこの量は……」

「なんだい? うら若き乙女の手料理が食えないってのかい! あたしゃこれでも75だよ!」


 さすがにこれを全部自分の腹に詰め込んだら破裂してしまうので、いくらかこっそりクレイにも食べてもらった。


「ごちそうさまでしたー!」


 クレイは元気な声で、マーガレットにお礼を言う。


「教会で食べたまっしゅぽてとより美味しかったです!」

「当たり前さ! これから食事は毎回出してやるからね! 覚悟しな!」


 そう言ってマーガレットは、バチンと上腕二頭筋を叩いた。


「さすがに胃もたれしますよおば……、マーガレットさん……」

「平気ですよ旦那さま!」


 クレイも、自分のお腹をぽんっと叩いてみせた。


「そりゃ君は平気かもしれないけど……」


 引き締まったお腹の、どこにあれだけのものが収まるのかがさっぱりわからない。

 クレイはマーガレットと並んで、細い腕で力こぶを作ってみせた。



 ――こんなふうに、いつまでもバカ話をしていたいが、そうもいかない。


 フィンは思い切って、イスから立ち上がった。


「さて……行くか」

「気をつけて行ってきな!」

「ありがとうございますマーガレットさん。行ってきます」


 ぐずぐずしていても仕方ない。

 サンティと話をしなければならない。


 会って、話すだけだ。

 ただ一言、否定してもらえればそれでいい。




 朝は冒険者たちがクエストを受ける時間帯だ。

 リーンベイルの街は活気で満ちている。


 人の流れに逆らって、フィンとクレイは教会へと向かった。

 辿り着くと、今回は裏口ではなく、正門から入っていく。


「おはようございます」


 受付で、老いた修道女に声をかけられた。


告解こっかいでしょうか? 神父さまはただいま出払っておいででして……」

「いえ、そうではなく……サンティに会いにきました」


 そう言うと、修道女は目尻のシワを深くして微笑ほほえんだ。


「あら、彼女とギルドへですか?」

「そうではなく……お話したいことがあるんです」


 修道女としばらく話をする。

 彼女は修道長だということだった。


「では、応接室にご案内いたしますね」


 応接室は、清潔ながらも質素な部屋だった。

 壁にかかったセピア色の宗教画が、部屋を品よく見せている。


「しばらくお待ちください……サンティを呼んできますので」


 フィンとクレイはイスに座って、サンティを待った。

 しばらくすると、修道長がドアを開く。


 部屋に入ってきたサンティは、いつもと変わらぬほがらかな笑顔を浮かべていた。



「おはようございます、フィンさん」



 サンティは手にティーセットを持っていた。

 修道長が部屋の外から、そっとドアを閉める。


「今日あたり、クエストに呼ばれるのかと思っていたのですけれど」

「そういうわけにも、いかなくなった」


 ロンゴ、レレパスは逮捕されたし、ベイブは――。

 パーティーは実質、解散したようなものだ。


 サンティがどこまで知っているかは、わからない。


「しかし、私に会うためだけに教会にお越しになるなんて、珍しいですね」


 そう言って、サンティはカップに紅茶を注ぐ。

 優しい香りが、部屋を満たした。


「……昨夜ゆうべ、ベイブに会った」

「そうですか。なにかお話でも?」

「ずいぶんな話を聞いたよ」


 ティーカップが、フィンとクレイの前に差し出される。

 鼻腔びこうをくすぐる――香り。

 クレイがカップを手に取ろうとした。



 そのとき。



「飲むんじゃない」

「へ?」


 クレイはぽかんとしている。


「飲んじゃいけない。カップを置くんだ」

「はい……」


 素直に、カップはソーサーに収まった。


「ヤケドしてはいけませんものね」


 イスに腰かけながら、サンティが微笑む。



 その微笑みの奥にある真実を――フィンは確信した。



 フィンはじっと、手元の紅茶を見ながら口を開く。


「ケファ草をして乾燥させると、草の表面から水溶性の結晶が得られる」


 そう言って、ティーカップを持ち上げた。


「眠れない病気の者に、よく効く薬だ。だが悪い人間が使うこともある」


 わずかに目を見開いたサンティの目を、フィンはまっすぐ見た。


「独特の甘い香り……紅茶にまぎれさせたつもりだろうが、俺にはわかるんだ」


 良い狩人の知識は、数多の薬草に通じている。

 だから気づいた。


 ――気づいて、しまったのだ。



「……君がその悪い人間でないことを、願っていたよ」



 そうしてフィンは、ティーカップの中身を床にまいた。

 大きく立った湯気が、ステンドグラスから差し込む虹色の光に照らされる。


「“冒険者殺し”……君が、そうなんだな」



 それを聞くと、サンティは悲しげに微笑んだ。


 そして、フィンと同じように、紅茶を床にそそいだ。



直接・・そう呼ばれたのは、今日がはじめてです」



 サンティの穏やかな声は。

 いつもフィンを支えてくれていたサンティのものと、なんら変わらない。



「そこの小娘が元気そうにしているのを見て、覚悟はしていました。ベイブは失敗したのですね」

「君の差し金、ということで間違いないな」

「ええ」


 あっさりと答えるサンティ。

 フィンは深くため息をついた。




 こんなことは、知りたくもなかった。






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