第十五話「魔法剣士ベイブ、退場」
フィンはそっと矢筒に手を伸ばす。
決別のときが来たのだ。
屈辱の日々との、決別のときが――。
風が起こり、木の葉が舞い上がる。
燃え落ちた住居の煙を、さらっていく。
――火花が、舞った。
「舐めるなよ“盗っ人”がァアアアア!! 【サンダー】ッッ!!」
剣が振り下ろされた瞬間、フィンは矢をつがえ、弓を引き絞りつつ、足先で地面に円を描いた。
振り向いたとき、すでにベイブの剣先からは【サンダー】が放たれている。
矢を射たところで、それは止められない――
――はずだった。
「なにッッ!!」
フィンが矢を放った瞬間、ベイブの【サンダー】は、その矢に“落雷”した。
まばゆい火花が森を照らし、地面に焦げた矢が突き刺さる。
「バカなッッ!?」
ベイブは2発目の【サンダー】を放とうと剣を振り上げるが、フィンのスピードは“その域”にない。
フィンが放った次の矢は、ベイブの【サンダー】を待たず、正確にその膝を射貫いた。
「ぐああああああああああっ!!」
ベイブは悲鳴を上げながら、樹上の住居から地面へと転落した。
「……“鉄の矢”は高いんだが、持っておくもんだな」
フィンが放った1本目の矢は“鉄の矢”だった。
それが避雷針となり、ベイブの【サンダー】を吸い寄せたのだ。
「いてえ……いてえよおおお!!」
フィンはベイブの悲鳴を無視して、アジトへ続くハシゴを上る。
松明に照らされた狭い住居に入ると、クレイは両手両足を縛られていた。
「怪我はないか?」
「……はい」
元気な返事が返ってくるかと思いきや。
クレイの返事は、本当に小さかった。
フィンはクレイの拘束を手際よく解いていく。
「遅くなってすまなかった。
「いえ、その……そんなことはなく……」
クレイは、自由になった指先を、ちょん、ちょんと、つき合わせている。
松明の明かりのせいだろうか、その顔は妙に赤く見えた。
「あの……わたくし……誰かに救い出された……というのは……初めてでして……」
「それはまあ、そうだろうな」
魔物の王、凶鳳イビルデスクレイン。
それがさらわれて人間に救出されたなんてことは、歴史上あり得ない話だろう。
「貴重な経験をしたな。どんな気分だ?」
「胸がきゅうって……いえ……その……なんでも……ないです……」
「なんでもないなら、よかった」
いつも
「あと……旦那さまに名前を呼ばれたの……初めてで……」
「そういや、そうだったな」
「……また……呼んでほしいです」
松明に照らされて、うるんだルビーの瞳が、上目遣いにフィンを見た。
くちびるが少し、震えているように見えたのは、気のせいだろうか。
「……あとでいくらでも呼んでやる」
ぶっきらぼうに言ったつもりのフィンだったが。
自分の声色が、思いのほか優しいことに、我ながら驚いていた。
フィンはいつになくしおらしいクレイを連れて“ドブイタチ”の住居を出た。
木の下に目をやると、まだベイブが悲鳴を上げている。
「矢を! 矢を抜いてくれ! ぎひいいいい! 痛いよぉおおおおお!!」
「……あいつの面倒も見なくちゃ、だな」
フィンはハシゴを下りると、うつ伏せになっているベイブの体をひっくり返した。
「早く! 早くしてくれ! いてえよおおお!!」
「抜くときも痛むんだがな」
「へ?」
ベイブの膝に突き刺さった矢を掴むと、フィンはそれを勢いよく引き抜く。
――肉のちぎれる音がした。
「ぐあああああああああああ!!」
「悪いな、矢に“返し”がついてるんだ。こればかりはどうしようもない」
刺さった矢が、容易に抜けないための仕組みだ。
「ひいいい! 殺さないでくれええええ!!」
「そんな気はない、治療くらいはしてやる」
フィンは鉄の矢を拾って、ベイブのかたわらに突き立てた。
そして革袋を取り出し、えぐれた傷口に治療薬を塗ってやる。
「すまねえ……本当にすまねえ……! 俺がバカだった、許してくれぇ……」
ベイブは涙と鼻水を垂らしながら
「わかったから歯を食いしばってろ。
「うぎいいいいいいッッッ!!」
激痛に耐えるように、ベイブは必死にフィンの服の
フィンはそれに構わず、丁寧に薬を塗っていく。
「なぜこんなことをした」
「やりたくてやってたわけじゃねえ!」
ベイブは泣きじゃくりながらフィンにすがりつく。
「信じねえかもしれねえけどよォ……今までお前をいじめてたのだって、俺の本意じゃねえんだ!」
フィンの手が、止まった。
「何か、理由があったのか?」
「そうなんだ! 脅されてたんだよォ! その小娘を誘拐したのも! どれもこれも、俺が考えてやったことじゃねえ!」
「脅された……? 誰かの差し金ってことか?」
ふうっ、ふうっ、と痛みに耐えながら、ベイブは信じ難いことを口にした。
「サンティだ!」
フィンは耳を疑った。
「全部サンティに命令されたんだよぉッ!!」
フィンの口から「馬鹿な……」と、言葉が漏れた。
ベイブの全身には耐え
嘘を
「あのサンティが……なんでそんなことを?」
「それがあの女の……サンティの趣味なんだよぉ!」
ベイブはほとんど泣き叫ぶようにして言った。
「男をいじめ倒して、そいつを助けるフリをして、それから……それからぶっ殺すのが!!」
パーティーで、ただひとりの味方であったサンティが。
「………………」
さすがにベイブの言葉を、そのまま信じるわけにはいかなかった。
しかしフィンは考える。
ここまで痛めつけられたベイブが、意味もなく、こんな
――いまここで考えても、答えの出る問題ではない。
「だから、本当に、今まで、本当にすまなかった!! 許してくれえ!!」
「ああ、それはもういい。だから二度と、妙な気を起こすんじゃないぞ」
「わかった! わかったよぉ! 今日から心を入れ替えるって誓う! 約束する! 悪かったよぉ!!」
フィンの手当てがひとしきり終わったところで、樹上の住居から、クレイがすとんと降りてくる。
「行こうか」
「はいっ!」
ふたりはベイブに背を向け、歩き出した。
「………………ざッけんな……」
蚊が鳴くよりも小さな声で、ベイブはそう呟く。
音を立てないように、そっと剣を握る。
そうして寝そべったまま、ゆっくりと振り上げた。
「生きて返すと思ったかバカが!! 【サンダー】ッッッ!!」
剣が青い雷を帯びたかと思うと、剣先から雷撃がほとばしる。
ベイブの“悪あがき”は、無防備なふたりの背中を強襲するかと思われた――
――が。
「んなッ!!」
剣から放たれた雷は、まっすぐベイブへと落下した。
――正確には、ベイブのすぐそばに突き立てられていた、“鉄の矢”へと。
「ぎいやあああああああああああああああッッッッッ!!!!!!」
今までで、いちばん大きな悲鳴が、ベイブの肺からしぼり出された。
ゼロ距離から、自身の【サンダー】をまともに喰らったベイブは、もはやピクリとも動かなくなる。
「………………」
フィンは振り返り、黒焦げになっている哀れなベイブを見つめた。
そうして、悲しげに呟く。
「俺はな。お前が、心の底から謝ってくれているんだと、思っていたんだ……」
ベイブは、何も答えない。
「行きましょう、旦那さま」
クレイが、フィンの袖を引く。
フィンは静かに
「……ああ」
ふたりは、ベイブを背にして歩き出す。
背後で、住居がまたひとつ、焼け落ちる音がした。
「………………」
サンティに、真実を問いたださなければならない。
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