第二十六話「自由な冒険者、フィン」

 大木にもたれ、クレイと肩を並べて、フィンは眠りのふちにいる。


 ――しかし。


 タマリスが枝を渡る音――無害。

 ヤガラドリの飛び立つ音――無害。

 ゴブリンの小さな群れ、ただし距離は遠い――わずかに警戒。


 体と精神を休めながらも、狩人の耳はさまざまな情報を拾っている。


「んん、旦那さまぁ……」


 クレイの寝言――無害。


「だめですよぉ……そんなところに手を入れちゃぁ……」


 ――無害。


「旦那さまがぁ……その気ならぁ……」


 ――無害。


「わたくしもその気になっちゃいますよぉ……」


 ――無……危険。


 フィンはぱちっと目を開けて、反射的にその場から飛び退く。

 クレイはちょうどフィンのいた場所の木の根を、わしわしと鷲掴わしづかみにしていた。


「うへへ……旦那さま……まるで木の根っこみたいに……ふにゃ?」


 よだれを垂らしながら、クレイがゆっくり目を開けた。

 フィンはクレイの銀色の髪に乗った落ち葉を払ってやる。


「おはよう。まったく、どんな夢を見てたんだか……」


 むにゃむにゃとまぶたをこすりながら、クレイは頭を上げた。


「おはようございます、旦那さまぁ……」


 クレイはうぅんと伸びをして、とろんとしたルビー色の瞳をフィンに向けた。


「いえなに、旦那さま体の一部から植物が育っている夢を見ていまして、それはそれは立派な大木でした!」

「見る夢を選べとは言わないが……とにかく朝飯にしよう」


 フィンはクレイに水筒を渡して水を飲ませ、自分の喉もうるおした。


 それから、上空を過ぎ去ろうとするヤガラドリに向けて、素早く矢を放った。

 1羽、続けて2羽。

 ぼとり、ぼとりと地上に落ちる。


 狩人にとって、ヤガラドリは可食部の多い、ありがたい獲物だ。


「旦那さま、この矢には“返し”がついていないのですね」

「小さな獲物だと、肉がえぐれちまうからな。矢は使い分けてる」


 ヤガラドリを拾い上げると、フィンはそれをクレイに差し出した。


「俺は火を起こすから、羽をむしっておいてくれ。できるか?」

「できますけど……ナマで食べちゃダメですか?」


 むくむくした鳥を両手に持って、クレイは舌なめずりをする。


「いちおう人間の格好をしてるんだから、人間の食べ方をしような」

「わかりました! 旦那さま!」


 クレイがむしむしと羽根を散らかしている間に、フィンは火を起こした。

 ツルツルになったヤガラドリの下ごしらえをする。


 そしてその丸々とした身に、枝を突き刺した。

 フィンは片方を、クレイに渡す。


「これを火であぶるんだ、枝を焼いちまわないようにな」

「ありがとうございます!」


 皮がジリジリと焼けてくると、火に脂が落ちて、ジュウッと音を立てる。


「まだですかね? まだですかね?」

「もうちょっとだ。ゆっくりこう、回しながら炙るんだ」

「かしこまりました!」


 クレイは魔物だから、ナマの鳥を食べたところで腹を壊すことはない。

 けれどもせっかくなら習慣として、人間の食べるものを食べさせてやりたいとフィンは思っている。


「そろそろですか? そろそろですか?」


 フンフンと鼻息荒く、クレイは串を見つめている。

 よほどお腹がすいているらしい。


「……もういいだろう。待て、そのままかじりつくんじゃないぞ」


 フィンは革袋から塩を取り出して、焼き鳥に振ってやった。


「これでできあがりだ。ヤケドしないように食えよ」

「ご安心ください! わたくしはマグマを飲み込んでもヤケドなんてしませんから!」


 クレイは口の端からよだれを垂らしながら、ぐっと胸を張った。


「それではいただきます!」

「いただきます」


 ヤガラドリは脂が多く、身もぷりぷりしている。


「おいひーです! 旦那さまのお料理!」

「こんなのを料理なんて言ったら、マーガレットさんに叱られる」


 フィンは少し笑って、鳥の肉をかじった。

 クレイも嬉しそうに串にかじりつき、骨も残さず食べてしまった。


「旦那さま、もっともっと食べたいです! 飛んでる鳥、全部落としましょうか!?」

「ダメだ、いまので十分足りただろう。必要以上の命を奪わないのが狩人のルールだ」

「そういうものですか」

「ああ、そういうものだ」


 ふむふむと、クレイは頷いた。


「それじゃ、水源に向かうか……ん?」


 クレイはじーっと、ルビー色の瞳でフィンを見上げている。


「どうした? まだなにかわからないことでも……」

「……私のくちもと、汚れてないですか?」

「そういえば、そうだな」


 フィンはハンカチを取り出した。

 くちびるについた脂をぬぐってやると、クレイの頬が赤くなる。


「その……ありがとうございます……」


 恥ずかしいなら自分で拭けばいいと思うのだが、どうもこれが気に入ってしまっているらしい。

 変なクセをつけてしまった。


「さあ、最後の水源に向かうか」

「はい! 旦那さま!」


 クレイの表情がぱっと明るくなって、フィンは少しホッとする。

 もじもじモードに入っているクレイを見ると、どうも落ち着かない。


 とはいえ。


 誰に指図されるでもなく、自分のペースでクエストをこなせるのは、本当にありがたい。

 パーティーの下でこき使われていたころは、自由など欠片もありはしなかった。


 ようやくまともな“冒険者”になれた気がする。



 フィンはクレイに尋ねた。


「なあ……“冒険者”は楽しいか?」

「はい! とっても!!」


 クレイは長いまつげを重ねて微笑む。

 その答えを聞いて、フィンも笑顔を返した。



「そうか……俺も楽しいよ」



 ふたりは意気揚々と山を登っていった。



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