第二十七話「男爵自慢の庭、温泉水没事件」

 地図に従って最後の水源に辿り着いた頃には、もう昼を回っていた。

 川の水量が減った原因――詳しい調査が必要かと思っていたが。


 水源にひろがる光景を見れば、一目瞭然いちもくりょうぜんであった。


「なるほど、やつらのせいか……」


 フィンは川上にある巨大な“ダム”を見上げた。

 そこからひょこひょこと顔を出すのは、イッカクビーバーと呼ばれる、体長2メートルほどの魔物だ。


 頭に大きなツノがあり、それで魚や木の実を突いて採る。

 自分の口では届かないので、採ったものをお互いに食べさせ合うという、特徴的な生態をもっている。


 そしてもっと特徴的なのは、彼らが築く巨大なダムだ。

 彼らは丸太や木の枝を使ってちょっとしたダム湖、つまり自分たちのテリトリーを作るのだが、そこで問題が起こっていた。


 ダムの隣に、深い谷へと続く大きな溝ができているのだ。


「この水源から下流の川に流れるはずの水が、谷底にれてたってわけだ」


 コルネ川の水量減少の原因がわかった。

 フィンは一応試薬を使って水質を確かめると、状況を観察して書類に書き込む。


「よし、クエスト完了だ。帰ろう」


 フィンがそう言ってきびすを返すのを、クレイが制した。


「あのダム、壊しちゃえば解決じゃないですか?」

「今回のクエストは、あくまで調査だ。それより先は俺たちの仕事じゃない」

「でも、たぶんこれを解決しようとする連中は、あいつらを殺しますよ」


 必要以上の命を奪わないのが狩人のルールだと、さきほど伝えたばかりだ。

 奪わずに済む命ならば、フィンとしてはなるべく奪いたくはない。


 クレイはそれを、きちんと理解しているらしい。


「確かに……それは」


 かといって、いまダムを壊しても、イッカクビーバーはまた懲りずにダムを作り始めるだろう。

 そうなればまたダムを壊すために別の冒険者が送り込まれる。


 イタチごっこのはじまりだ。

 根本的な解決のためには、イッカクビーバーを根絶やしにするしかない。



「少し、考えさせてくれ……」


 もしどうしてもイッカクビーバーを殺さなければならないとすれば。

 いっそのこと、自分が楽にしてやるという選択肢ものぼってくる。


 獲物を苦しまずに殺せる矢毒を、フィンは持ち合わせている。

 剣で首をねられ、魔法で焼かれるよりは、ずっとマシに違いない。


 しかし――。



「お困りですか?」


 クレイが、くいっと首をかしげる。


「ああ、お困りだ」

「問題は下の川の水の量なんですよね? 水を増やせばよくないですか?」

「それができりゃ、苦労はしないよ」


 フィンの言葉を聞いたクレイは、満面の笑みを浮かべた。


「旦那さまに苦労をさせないのが、賢い妻というものです!」


 クレイは空に向けて、両手を上げた。


「【グラウンドバーーーーーイブレーーーーーショーーーーーン】ッッッ!!!!」


 その手を、地面に叩きつけた。



 ――ドッゴォンンンンン……!



 巨大な爆発音が、地面に吸い込まれる。

 イッカクビーバーが驚いて、ダムからぴょこんぴょこんと飛び跳ねた。

 そうしてしばらくすると――地面が小さく震え始める。


「……いま、何をしたんだ!?」

地脈・・を刺激しました。まあ見ていてください、水の量がいっぱい増えますから!」



 クレイがそう言った瞬間、目の前の地面から、巨大な水柱が空へと昇った。



 ――ぶしゅううううぶしゅううううどぶしゅううううううう!



 水柱は、山のあちこちから湧き上がる。


 地脈とは、山や大地にとっての血管のようなものだ。

 山に眠っていた大量の地下水が、地脈の活性化によって一斉に吹き出した。


 水はうねりながら乾きかけた水路に注ぎ込み、川下へと流れていく。


「これで解決ですね!」

「いや、解決……だけど……」


 山を動かすだけのパワーが、あの小柄な体のどこに眠っているのだろう。

 フィンはあらためて、クレイの力の底知れなさを思い知らされた。


 ひょっとすると、また余計なことをしてしまったのかもしれない。

 そんな考えがふとフィンの頭をよぎる。


 だがそれよりも。

 無駄な命を奪いたくないというフィンの意思を、クレイは汲んでくれた。

 それが、心の底から嬉しかった。


「なんだ、その……ありがとう、君はすごいよ」

「“良妻賢母りょうさいけんぼ”として、当然のことをしたまでです!」

「……母ではないな」

「時間の問題です!」


 小さな鼻をフンと鳴らして、クレイはフィンにしがみついた。



 ………………。


 …………。


 ……。



 いっぽう、領主の館。


 ビンツ男爵は【治癒の薬草】でボロボロになった庭をどうにか修繕しようと、庭師たちに怒鳴り散らしていた。


「早くこの忌々しい草をどうにかするんだ! なにをちんたらやっている! なんのために貴様らを雇ってやっていると思ってるんだ!!」

「そうは言っても男爵さまぁ、こいつぁ抜いた先からいくらでも生えてきてキリがありませんぜ」


 庭師がそう言うと、ビンツ男爵は頭から煙でも出しそうな勢いで、足もとの【治癒の薬草】を踏みつけた。


「キリがあろうがなかろうが、庭師だろう! どうにかしろジジイ! もとの美しい庭に戻すんだ!! わしの自慢の美しい庭に!!」


 これだけビンツ男爵が焦っているのにも理由がある。

 明日には、王都の貴族であるモルデン侯爵がリーンベイルの街に着いてしまうのだ。


 ビンツ男爵は、この館にモルデン侯爵を招待することになっている。

 この薬草に覆われ、荒れ果てた庭に。


「こんな庭を見られたら……わしは破滅だ!!」


 王都ウルカンヘイムの貴人は品格を重んじる。

 こんな庭を見れば、下手をするとリーンベイル統治を罷免ひめんされてもおかしくない。


「くそっ!! なんでこんなことにっ!!」


 計画がなにからなにまで狂ってしまっている。


 ビンツ男爵は、悪徳商人ヂェルミの【治癒の薬草】買い占めにも関与していた。

 そもそもモルデン侯爵来訪の理由は、【治癒の薬草】の供給についての相談なのだ。


 ヂェルミがたんまり貯め込んだの【治癒の薬草】をいくらか渡せば、モルデン侯爵に大きな恩を売ることができる。


 そう考えていたビンツ男爵の庭を飲み込んだのが、その【治癒の薬草】なのであった。

 もはや、いくらでも抜いて持っていってくれという有様だ。


「まったく、見るだけで腹立たしい雑草だ……。わしの金の像が無事だったことだけが唯一の救いだな……ん?」



 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……



「じ、地震じゃあっ!!」


 庭師たちがその場で座り込む中、地面がピシピシとひび割れ始めた。


 そして――。



 ――どぷしゅううううううううううううううううううう!!



 上がったのは巨大な水柱――ではなく湯柱だった。

 山のはるか地底、リーンベイルの街へと続く地脈をクレイが揺るがしたことで、温泉が湧いたのだ。

 見れば、街のあちこちから湯柱が上がっている。


 しかしビンツ男爵の庭に湧いた温泉の規模は、その中でも群を抜いていた。



「バカなァアアアアアアアアアアアアアアア!!」



 地面が陥没かんぼつし、温泉が渦を巻きながら何もかもを飲み込んでいく。


「ひえええええっ! わしの金の像がぁあああああああああ!!」


 ビンツ男爵の姿を模した、趣味の悪い像が倒れて、温泉の底へと沈んでいく。

 純金でできているこの像は、膨大な私財をつぎ込んで作らせたものだった。


「かえせええええ! わしの金の像! があっぷ! があっぷ!!」


 温泉に飛び込んで、ビンツ男爵は必死で金の像をすくいあげようとする。

 しかし、人間の力で像が持ち上がるはずがない。


「があっぷ! がぶるるるがぶがぶがぶ!」


 駆けつけた憲兵が、必死でビンツ男爵のでっぷり太った体を引っ張った。


「危険です! その趣味の悪い像はあきらめてください!」

「いやじゃああああああ! わしの金の像ううううううううう!!」


 ビンツ男爵が救い出された頃には、ご自慢の庭は巨大な池と化していた。

 そこにいた誰もが、体中をびしょ濡れにして、あんぐりと湯気の上がる池を見つめていた。




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