第八話「初夜でしたので」

 住宅街をずっと歩いて、街の中心部まで行くと、教会がある。

 件の“冒険者殺し”のせいか、もう夜更けだというのに表門付近は憲兵たちが巡回ていた。


 フィンは憲兵に見つからないよう裏手へ回ると、なるべくそっと裏口の扉を叩いた。


「はい、どちらさまでしょう」


 出てきたのは、サンティだった。

 優しい眼差しが、カンテラの灯りに照らされていた。


「俺だ、フィンだ」


 フィンが小さな声で告げると。


「そしてその妻、クレイ・バーチボルトです!」


 クレイはフィンに腕を絡ませたまま、バチンとウィンクした。


「うおい!」

「はい?」


 クレイは不思議そうな目で、フィンを見上げた。

 フィンは慌ててささやく。


(親戚って話だっただろう!)

(妻も親戚でしょう? ゼロ親等です!)


 サンティを見ると、無表情で硬直していた。


「フィンさんの、おおおおおおくさまで、でで……」

「違うんだ、誤解だ! なんというか、そう、知り合いなんだよ! 冗談が好きなやつで!」


 フィンが必死に弁解すると、クレイは胸を張った。


「はい! 冗談は好きですよ! ではここでひとつ小咄こばなしを……」

「そういうの今はいらないかな!」


 サンティのカンテラがカタカタと震えている。


「お知り合い……すごく親密なお知り合いですのね……ふふ……」

「いや、なんというか妹みたいなもので……」

「それはそれは……仲の良い“妹”さんですねえ……」


 口角をひきつらせながら、サンティは笑みを作ろうとしていた。


「はい! おしどり夫婦です!」

「お願いだから、ちょっと黙っていようね」


 フィンはクレイの腕をふりほどくと、サンティに近づいた。


「頼む。俺もこいつも、今晩泊まるところがないんだ」

「“恋人の宿”でもお泊まりになればよろしいんじゃないですか?」


 サンティは冷たい目でフィンを見据えた。


「いや、こいつはそういうのじゃない。部屋もふたつに分けてくれるとありがたいくらいだ」

「それは当然のことです」

「この街で頼れるのは君しかいないんだ。だから、頼むよ」


 ふう、とため息をついて、サンティは言った。


「わかりました。教会は来るものを拒みません。粗末な寝床でよろしければ、お貸しいたしましょう」

「すまない、恩に着るよ」


 フィンの言葉に、サンティはどこか不機嫌そうに答える。


「……神様のおぼしめしですから」



 そうして、フィンとクレイはなんとか宿を確保することができた。


「ご案内いたします」


 カンテラを持ったサンティに、ふたりはついて歩く。

 夜の教会は静かだ。


 外に面した渡り廊下に出て、しばらく歩くと救貧院きゅうひんいんの宿にたどり着いた。


 壁はひび割れ、すきま風が吹いている。

 きれいに掃除されてはいるが、そのせいでかえって建物の傷み具合があらわになっていた。


 街から集まる喜捨きしゃだけで、宿を維持するのは大変なことなのだろう。


「さきほど申し上げた通り、2部屋に分かれて泊まっていただきます」

「大丈夫です! ベッドひとつに無理矢理収まりますから! なんなら上に乗って……いや旦那さまが上のほうが……」


 サンティの頬がひきつった。


「……フィンさん、ここは神聖な神の家ですよ?」

「別の部屋で! 別の部屋でお願いします!」

「承知しました」


 そうして、フィンとクレイは古びた鍵を渡された。

 2部屋は、すぐ隣だった。


「あいにく、ここしか空いていないのです」


 サンティは真顔でくちびるを噛んでいた。


「ほんとうに、すまないな……」

「これが私たちの務めですから」


 ぎこちない笑顔で、そう答える。


「夜遅くにすまなかった」


 フィンが頭を下げると、サンティは目を細めた。


「では、おやすみなさい。良い夢を」


 きびすを返して、立ち去っていく。

 フィンたちも、自分の部屋へと向かった。



 そのとき。



「……あの小娘、なんとかしないと」



 フィンの耳になにか、妙なつぶやきが聞こえたような気がした。

 たぶん誰かの寝言だろう。


「ほら、さっさと寝るぞ」

「一緒の部屋が良かったですぅ!」

「ダメだ。規則は規則だ」


 フィンは自分の部屋に入ると、さっそくベッドに寝ころんだ。


 ――あの安宿よりも固いベッドだ。


 シーツはところどころ破れて、縫い直したあとがある。

 それでも、清潔なせっけんの香りがしていた。


 費用の限られた中で、できる限りのことをしてくれているらしい。

 だがいまのフィンには、夜風をしのぐ屋根と壁があるだけでもありがたいことだ。


「……サンティには、明日改めて礼を言わないとな」


 相変わらず、フィンには返せるものがない。

 また、借りが増えてしまった。


 いつかきっと彼女の恩に報いなければ。

 そんなことを思いながら、心身ともに疲れ切ったフィンは深い眠りに落ちていった。



 ………………。


 …………。


 ……。



 翌朝。


 窓からの日射しを浴びて、フィンは目を覚ました。

 いつもの朝だ。

 固いベッドに、薄い毛布、かたわらに温かくて柔らかい感触。


 フィンはいつものように大きく伸びをして――。


「……ん?」


 温かくて柔らかい感触。


「……んんん?」


 隣を見ると――女の子が小さな寝息を立てながらすうすうと眠っていた。


「うおっ!!」

「むにゃ……ん、もう……朝ですか……?」


 クレイは目をこすると、上体を起こし、しなやかな体で伸びをした。


「なんで君がここにいるんだ!」

「初夜でしたので!」


 クレイは目覚めばっちりの笑顔でそう言った。

 言葉の意味は、あまり理解していないようだが。


「さあ旦那さま、おはようのキスをしましょう! 文献によると人間のつがいは日常的に唾液を交換するそうですよ!」


 ルビーのような瞳をらんらんとさせながら、クレイはフィンに顔を寄せる。

 長い睫毛が朝日に輝いている。


「待て、そもそも俺たちはつがいじゃない」

「なにを仰いますやら。ともに初夜を過ごした仲ではありませんか!」

「そもそも君、どうやって入ってきたんだ。カギをかけておいたはずだぞ」


 フィンが部屋の入り口に目をやると、そこにドアは存在しなかった。

 ただ下に降り積もった燃えカスが、昨夜の蛮行を物語っている。


「初夜の前には薄い木の板など、なんの障壁にもなりはしません」

「毎回ドアへの当たりキツくない? ドアかわいそうじゃない?」


 フィンは困ったように下を向き、ため息を吐いた。


「……まったく、こんなところをサンティに見られたら」



「見られたらどうなるんですか?」



 その声にフィンがはっと顔を上げると。

 燃え落ちたドアの向こうで、サンティが頬を引きつらせていた。

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