#9 痴漢です!

「行ってきまーす!」


両親はすでに仕事でいないが、もはや習慣となった挨拶だ。家に誰もいなくても、

ついつい言ってしまう、「行ってきます」。


茶色の髪の毛をおさげにしているのはいつもと変わらないが、今日はりんごの飾りが

ついているヘアゴムを付けて見た。春とはいえまだ肌寒いので、白の長袖トップスに

黄色のセーター、ベージュのチノワイドパンツというズボンというコーディネートで

{flowerアレジメント}の事務所へと行く。ピンク色の肩掛けバッグの中にはスマホに

財布、オーディションの時のパンフレット、ハンカチ、ティッシュ、お茶の入った

ペットボトルを入れていた。


{flowerアレジメント}は家から十二駅も離れているため、早めに出ないといけない。

{flowerアレジメント}は例えるなら、東京駅や名古屋駅、大阪駅から降りてある

事務所だ。


「えっと、駅のキップ……!」


ついに三期生と顔合わせが出来るんだと思うと、早めに出る以前に余裕を持てる

時間に外出したものの、あせってしまう。急いで駅のキップを買って、改札を通み、

そして地下鉄の電車へと乗り込む。時間帯が昼のため、空席がちらほらと目立って

いた。――しかし。


「う、ふぇ、うう……」

「?」


ポスンと、席の端っこに座った花鈴。そのままパンフレットやスマホを見る前に、

今にも泣きそうで震えた声を聞いた。ふと左上を見てみると、席の端にある金属棒を

掴んで、こちらを見ている少女が居た。目には涙が溜まっており、顔が赤面して

いる。


「うう、うううう……!」

「(え……え?!)」


少女はこちらが気付いたことに気付くと、ちらちらと自身の後ろに目をやった。

気になった花鈴が背伸びをするフリをして覗くと、手が見えた。


「っ!」


少女の両手は金属棒を掴んでいる、しっかりと。では、その手は…?そう思った

花鈴が注意深く見てみると、なんとその手は少女のワンピースの下部を撫でたり、

擦ったり、手を押し付けたりしている。その手を目線で追ってみると、少女に背を

向けたスーツ姿の男性が居た。カバンをぶらさげた手で新聞を読み、片手は少女の

ワンピースを執拗に触っている。


「(こ、これって……。)」

「ふ、ぅ…、ぇ、く……。」


花鈴が確認するように少女に目をやると、少女はこく、と小さく頷いた。

――痴漢だ。


「(ちょっとだけ、我慢しててね)」

「っ……?」


花鈴が力強く目で訴えると、少女は不思議そうな顔をした。しかし花鈴は迷うこと

なくスマホを取り出し、カメラアプリを起動する。バレないように音声も

シャッター音もフラッシュもオフにし、慎重にその手へとズームする。そして、

静かに写真を撮った。そして息を吸い、


「痴漢です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


と叫んで男性の手を掴んだ。すると男性はぎょっとしたが、すぐにへら、と笑う。


「なんだい嬢ちゃん、昼から大声だして」

「あなた、今その女の子に痴漢してましたよね?!」

「え?何のことだい。私はただ新聞を読んでいただけだ。」


しらばっくれるスーツ姿の男だが、今の大声を聞いてなんだなんだといろんな人が

こちらを見ていた。


「ふざけないでください、今この手で痴漢してたでしょう?!私、見てたんですから!!!」

「おお、怖い。そんな叫ばないでくれよ。私が痴漢をしたことになっちゃうじゃないか」

「なるも何も、してたからっ――」

「いでででで、手をそんなに強くつかむなんて!お嬢ちゃん医療費でも払いたいのかな?」


ワザとらしく男性は痛がりつつ花鈴の手を振り払う。


「第一、証拠がないじゃん。ていうかその子がしたなんて言ってないし」

「え……」


痴漢から解放され、息を整えていた少女に話題が振られ、少女はしどろもどろに

なる。


「それは貴方が痴漢したから「あー、やだやだ。知ってる?そういうのって、“こじつけ”って言うんだよ。」っ」

「近頃は痴漢してないのにこじ付けてくる女子高生とかが多くてねぇ。大体、その子だって君のグルかもしれないじゃないか。二人がかりで私を痴漢の犯人に死体だなんて……え?」


ニヤニヤしながら言う男性だったが、花鈴が掲げたスマホを見て硬直した。

写真には、泣きかけている少女の後ろで新聞を読んでいる男性。しかしその手が

痴漢をしていることは、ハッキリとしていた。

証拠を得てから声をかける方が、こちらにとって有利だ。しかしその場合、被害者は

その分耐えなければならないというデメリットがある。


「これ、貴方ですよね?顔だってきちんと写ってますし、貴方の手も。」

「き、君!そういのは肖像権で――「うるさい」?!」


ふと、今まで黙っていた少女が低い声でそう言った。


「肖像権だ医療費だっていう前に、痴漢をするなこの外道が。バッチリ証拠だってあるんだよ、さっさと謝罪して大人しく警察に連行されてなさい!」

『〇〇駅、○○駅、お出口は左側です』

「え、あ、うわわわわっ」


少女がズイ、と男性を扉に追い詰めると同時に、駅についたため左側の扉が開く。

そして男性のいた扉はちょうど左側であり、突然のことに倒れることとなった。

当然それには電車を待っていた人もビックリ唖然としているが、少女は構わず駅に

居た駅員に向かって


「この人、痴漢です!!!!」


と、叫んだ。

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