第27話 まどかのきめたこと

 アルコールの香りで鼻がやられそうになる。

「すみません、円くんとお散歩してきていいですか? ここだとお酒の香りが強くて辛そうです」

「助かるわ。ごめんなさいね、アキさんと仕事の話をしたくて」

「お気になさらないで下さい。僕も船は初めてで、見て回りたい気分ですから。円くん、行こうか」

 窓夏は秋尋と目配せをして、席を立った。

 何か企んでいそうで、円は身体を固くする。

 手を引かれるが、止めてほしいと言えない状況だった。

 一度財布の件に関して迷惑をかけている。もし反抗したら、何を持ち出されるか分からない。

 横を通る男女がこちらを見て、可愛い男の子と言う。不愉快でたまらなかった。大人になりきれていない、ただの子供。なんでもできるんだぞと言いたくても、結局は大人に世話をかけている。

「ここで何か飲もうか? アイスとか食べる?」

「ジンジャーエールが飲みたい」

「分かった」

 ジンジャーエールと言ったのに、ついでにアイスクリームまで用意された。

「僕はコーヒーだよ。飲める?」

「まあまあ」

 さらに子供扱いされると思い、苦いとは言えなかった。

 ふと横を見ると、男女がアイスクリームを食べさせあっている。

 そんな様子を窓夏はじっと熱い視線を送っている。

 幸せそうな人たちを見ると、無性に壊したくなった。

「男同士で付き合うって気持ち悪くない?」

 言った後ですぐに後悔した。

 一瞬だけ目にどす黒いもやが宿り、すぐに元の目に戻る。

「人それぞれだね」

 窓夏はそれだけを口にすると、カップに口をつけた。

 ごめん、ごめんなさい──。

 口にしたくとも、言葉も気持ちも流れていく。

「気持ちは分かる。自分が幸せを感じていないと、他人をむちゃくちゃにしたくなる。ただ心の破壊行動をしたところで、円君の幸せはやってくるわけじゃない。ちなみに僕は痛くも痒くもないんだよ。誰がなんと言おうと、優先すべきものがあるから。それを言われたからって、離れる選択肢は端からない」

 強い意思は目に宿り、窓夏は小さな少年を射抜く。

 鬼のように怖かった。誰かに助けを求めたくて、けれど浮かぶ顔は父と母だ。結局、ただの子供だ。自分でなんとかしようという気持ちは生まれない。

 ならば……せめてつぎはぎであっても、破壊したものを元通りに戻したい。

「俺……やっぱり財布の件、謝りたい。さっきの女の人にも、親にも」

「うん。それがいいと思う。けど女の人はどこにいるか分からなくなっちゃったね。まずはお父さんお母さんとお話ししようか」

「大人だから、そういう……平気そうな顔できるの? 俺、さっきひどいこと言ったのに」

「乗り越えたものが大きいからだよ。大人子供は関係ない」

「乗り越えたもの?」

「君も感じたように、男同士の恋愛って厳しいから。よく恋愛は自由とか、好きになったら関係ないとか言うでしょ? あれ嘘だよ。世の中は偏見にまみれてる。仮に僕が彼と手を繋いで歩いたとして、悪い意味での視線を浴びる。男女ならアイスを食べさせていてもそんなことはないのに」

「それでも一緒にいるんだ」

「そうだね。これからもね」

 偏見にまみれている世界で、窓夏はこの世のものとは思えない美しい笑みを見せた。

 天使や女神がいれば、彼のことだと思わずにはいられない。

「窓夏」

 どちらが呼ばれたのか分からなかったが、円も一緒に振り返った。

 円ではなく、恋人の窓夏を呼んだ秋尋は、帽子から覗く目が優しい。

「あっくん」

 あっくんと特別に呼ぶ窓夏は指先まで幸福に包まれていて、細い指を迷いなく秋尋は掴む。そんなふたりを、父と母は見て微笑んでいる。

「まあ、アイスとジュースをごちそうしてくれたのね。ご飯もろくに食べないのにこういうのは食べるんだから」

「僕がコーヒーを飲みたかったので、付き合ってもらっただけです。いろんなお話しをできて、とても楽しかったですよ。円君は、勉強や習い事よりもやりたいことがあるみたいですね。僕が言うのもおこがましいですが、話を聞いていただけたらすごく喜ぶと思います」

 母の目が鬼のような形相から少しだけ人間の目に変わった気がした。

 他人に慰められるのもプライドが許さないし、これは自分の問題だ。

「あの……さ、ちょっと話があるんだ」

 円が話を向けても、父と母は意外そうな顔もしなかった。

 それどころか、覚悟を決めた顔だった。

 頭一つ分高い秋尋は、こちらを見て大きく頷いた。

 この二人はこうなることを初めから知っていたのだ。財布を盗む段階から、知っていたに違いない。

 見透かされて、人としてやってはならない過ちを見られて、恥ずかしさと肩身の狭さでどうにかなりそうだった。

「ごめん……俺、すごく悪いことをしたんだ」




 部屋に戻ってきてからシャワーを浴び、待っている間にテレビをつけて布団に転がった。

 うとうとしていると、いつの間にか出てきたのか秋尋がテレビを消し、横になった。

「タオル一枚って……ちゃんと着てよ」

「どうせ脱ぐし問題ないだろ」

 腰に巻いたタオルに釘付けになり、ダイヴしてくる身体は熱がまだこもっている。

 腰に当たるそれはまだ柔らかいが、性的な悪戯か秋尋は腰を揺らしてくる。

 かと思えば、胸に顔をうずめて頭を押しつけてくる。

「子供なの? 大人なの?」

「どっちもだな。ああ、いい匂いがする。せっけんの体臭が混じった香りっていうのか? 甘酸っぱい」

「変態なの? 変態なの?」

「こら」

 尻をわしづかみにされ、むずむずした感覚が襲ってきた。

 ただの戯れではあるが、期待せずにはいられない。

「財布の件、よく分かったね」

「あんな小さな子供がひとりでいたからな。それに見たことがあった。まさか仕事で世話になっている社長が来てるなんて。息子の名前もマドカだと聞いていたから、記憶にあったんだ」

「すごい偶然だったよね。魔が差すのは誰にでも起こり得ることだけど、やっぱり見ていて気持ちいいものじゃないね」

「あっちのマドカ君はなんて?」

「ご両親に不満があったみたい。注がれる愛情の行き違いだと思う」

 愛情がないとは思わない。尋常ではない可愛がり方は、子供には重苦しく、伝わるとも思えない。

「金持ちのボンボンは悩みがなさそうに見えるけどな、違うベクトルの悩みを抱えてるんだ」

「あっくんが言うと、説得力ある」

 身近で見てきたからこそ、分かる痛みだ。勉強にも恋愛にも家柄がつきまとい、手柄もすべて家柄に奪われる。

 秋尋の努力も、すべて金持ちだからと片付けられることが多かった。

「なんだ?」

「んー、なんとなく?」

 頭を撫でてみると、秋尋はまんざらでもない様子だ。

 ついでに腕枕をしてみると、頭が徐々に下がっていく。

 首筋、鎖骨、二の腕とキスが落ちるが、期待すると性器に血が集まっていくのを感じた。

「──っ……あ…………」

 胸の突起に吸いつかれ、甘い痺れが股間に直結する。

 性的な吸いつきではないが、どうしても次を求めて期待してしまう。

 胸を吸うのは、安心を求めての行動だそう。頭を抱え、臀部の辺りをとんとん叩いてみれば、次第に弱まっていく。

「あっくん?」

 社長相手に気を張っていたのだろう。

 疲労が見え隠れする顔は今は安心しきっていて、窓夏は乳首を抜いて頬にキスを落とした。

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