第7話 あと一歩

 義務教育は終えると二度とやってこない。

 そんな気持ちを抱えたまま、三年へと上がった。

 受験のピリピリムードとはほど遠く、特待Aクラスは特にのんきなものだった。

「最後の球技大会だ。優勝目指していくぞ」

 担任はおおいに盛り上がっているが、クラスメイトはいまいちだ。

「ドッジボール、テニス、バレー、バスケ、バドミントン、将棋、チェス……とりあえず挙手にしようか」

 どれもこれも、スポーツが苦手な人にとっては地獄の単語が並んでいる。

 窓夏は手があげられず、しどろもどろになる。

「倉木君、手あげてないけどどれにする?」

「ど、どれもむり……」

「適当でいいよ、適当で」

「適当ってなんだお前らは! 最後の球技大会だぞ!」

 余計な担任の一言に、さらに嫌気が差す。球技を一生好きになる日はこないだろう。

「じゃあ、バドミントン」

「いいの?」

「一回戦で負けても誰も困らなそうだから」

「分かった。個人希望ね。藤宮君は? チェス以外ってことになるけど」

 秋尋も手をあげていなかったようだ。

 参加する部活動と同じ競技には出られないことになっている。

「じゃ、将棋」

 チェスと似たルールだろうが、彼ができるかは謎だ。

 放課後、体育館へ行こうとしたら、秋尋が声をかけてきた。

「どこに行くんだ?」

「負けてもいいやって思ってるけど、さすがに練習しようと思って」

「付き合う」

「いいの? 部活は?」

「今日はない。多分」

 ふふ、と笑いが込み上げてくる。分からないのは幽霊部員だからだろう。

「ちなみにだけど、経験は?」

「小学生のとき、体育の授業でやったくらいかな。僕の腕前見てびっくりしないでよ」

「三年間同じクラスだし運答神経くらい知ってる」

「頼もしいね」

 シャトルが大きく円を描き、ネットを軽々越えてくる。

 窓夏はラケットを大きく振るが、空振りに終わった。

「そもそも当たんないよこれ」

「そこからだな」

 秋尋は隣へきて、ラケットの持ち方や打ち方などを伝授してくれる。

 ラケットを持ち、力いっぱい振り下ろす。が、シャトルに当たらずむなしくも地面に落ちた。

 それを何度か繰り返しているうちに三回に一回、二回に一回と、確実に進歩はしていく。

 宙を舞うシャトルは向こう側の線の上に落ち、初めて点数を取れた。

 秋尋の打つシャトルはとにかく早い。目で追うのに必死だった。

「ちょっと休憩しよう」

 お互いに汗だくで、シャツが肌に張りつく。

 秋尋の素肌が透けて見えてしまい、窓夏は視線をせわしなく動かした。

「な、なに?」

「上、着ろよ」

 暑い、と言う前に頭から上着をかけられた。

「他の人に見られると俺の精神的によくない」

「僕の精神上もよくない。上着着てよ」

 お互いにらみ合いが続き、どちらかともなく吹き出した。

「あーあついあつい」

「ほんとだねー。この熱が続いたまま、一試合くらいは勝ちたいよ。せっかくあっくんが教えてくれたんだし」

「負けない気持ちを持つのは大事だ。負けるの前提で言ってたからな」

「あれ気にしてたんだ」

 何に出るか決めるとき、負けても誰も困らないと口走ってしまった。

「やっぱり夢は大きく持つべきだ」

「今の僕には難しいから、初戦突破を目標にするよ」

「ああ、地道な生き方が未来に繋がる」

「詩人みたい」

 笑ってしまったが、彼のおかげで前向きになれた。


 球技大会はクラスごとの対決となり、ほぼ優勝するのは三年のクラスだ。

 身体のできあがっておらず、気迫でも負けるため一年が勝てる要素はほぼなく、窓夏たちも二年前は散々な結果だった。

「気合いは充分だよ」

「がんばれ」

「あっくんも優勝するんだよ?」

「どうだろうな。将棋とチェスは違うから」

「ちなみに、将棋の経験はあるの?」

「少しだけ。おばあちゃんに教えてもらって、実家にいるときの唯一の楽しみだった」

「おばあちゃんとの想い出がいっぱいなんだね」

「ああ。優しかったからな。ちなみに優勝したら、ご褒美ある?」

 にやりとポーカーフェイスが崩れる。

「どうしよう、王子様のキスくらいしか」

「いいなそれ」

 真面目な顔で言うものだから、窓夏はぽすんとアッパーを背中に入れた。

「俺は本気で受け取った。王子様のキスをかけて、絶対に優勝する」

「冗談だよね?」

「冗談? 倉木が言ったんだろ」

「いやいやいや……ちょっと待って」

 眼鏡の奥で、目が本気だと言っていた。

 試合は午前中からトーナメント戦で行われる。一度負けてしまえば後がない。

 がちがちに緊張している二年生を相手に、窓夏は何度も向こうのコートへ入れていく。スマッシュなんて難しい技はできないが、確実さを返していった。

 地道な作業が繋がり、秋尋と約束した通り一試合は勝てた。

 二試合目は相手がテニス部所属という運の悪さで、残念ながら敗北したが、手を抜かずに最後まで決めた。

 将棋の試合を見にいくと、ちょうど秋尋が座っていた。

 真剣に駒を見つめる秋尋と、がっくりとうなだれる男子生徒。一目瞭然だった。

 相手の投了で秋尋は席を立った。

「よ」

「お疲れ様。すごいすごい」

「倉木は?」

「一回は勝ったよ」

「すごいすごい」

 お互い頭を撫でまくり、勝利を称えた。

 昼食は教室で取ることになったが、ほとんど生徒はいなかった。

「焼きそば作ったの? えらいね」

「あまりものを適当につめただけだ」

「からあげ食べる?」

「玉子焼き食べたい」

 弁当を差し出すと、肉よりも玉子を選んだ。

「玉子焼きって家庭の味出るよな。しょっぱいのと甘いのとあるけど、俺は甘い派」

「わかる。甘いとご飯が進むよねえ」

「作れる?」

「ふふ……練習しておく」

「お前ら、夫婦みたいだな」

 戻ってきたクラスメイトが茶々を入れてきた。

「夫婦? そうかな」

「なんで嬉しそうなんだよ」

「友達同士でも、そういう家族みたいな関係に憧れるから」

 横で秋尋がむせている。

 背中をさすると、効果はなかったようでさらにむせた。

 昼食後は球技大会の続きだが、窓夏はもう試合がない。

 気になるのは秋尋の試合だ。様子を見にいくと、余裕で勝ち続けて決勝まできていた。

 秋尋が決勝だと噂を聞きつけたのか、生徒の人だかりができていた。

「藤宮君やばくない?」

「負けてるの?」

「うーん……」

 状況は劣勢のようだ。秋尋は上を向いたり頭をかいたりと落ち着かない。

 相手は余裕そうで、駒をあまり見ずに時間を気にしている。

 先に一礼したのは秋尋で、珍しく眼鏡を外して眉間を揉みほぐしていた。

 女子生徒に囲まれる彼を見ていられなくて、窓夏はそっと教室を出た。

 クラスからは一つの競技も優勝できなかったが、一番いい線までいったのは準優勝の将棋だ。

 いい成績を収めたのに、秋尋はむすっとしたまま眉間にしわを寄せている。

 ホームルームが終わると、秋尋はすぐさま窓夏の側まできては、二の腕を掴んだ。

「帰るぞ」

 おめでとうとは言ってはいけない気がして、窓夏も口数少なく席を立った。

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