第6話 近づきたい

 物置部屋として使われている教室に連れてこられ、ようやく視界が広がった。

「もう、どういうこと? なんで逃げ回ってるの?」

「答えにくい質問だな。あまり言いたくない。飯買ってくるから、ここで待ってろ」

 一度出ていった秋尋は、ビニール袋を下げて戻ってきた。

「お好み焼き、焼きそば、肉まん、あんまん、ポテチ」

「シェアしながら食おう」

 食べ盛りがふたりも揃えば、炭水化物なんてあっという間に無くなっていく。

 残りのポテトチップスをつまみながら、窓夏は先ほどの出来事をぼんやりと考えていた。

「あっくんのお母さんやお父さんって、文化祭にくる?」

「急にどうした?」

「僕の勘だけど、あっくんが追われていたり一人暮らしだったり、家族のこととか、全部繋がっている気がして」

「一人暮らしと家族は繋がっているな。楽しい話じゃないからしたくないだけだ。倉木の親は?」

「お父さんは普通のサラリーマンで、お母さんは専業主婦。どっちも来ないってさ。恥ずかしいし来なくていいって言った。お母さんは来る気満々だったけど」

「仲良くて羨ましいな」

「いいのかなあ? あっくんの家は仲悪いの?」

「仲悪ければ、良くなる可能性もちょっとはあるんじゃないかって思う。でも、悪いとは違うんだ。温度の上がり下がりすらない。火で温めても、溶けない氷って感じだ。元々が冷えすぎていて、どうにもならない」

「テクノロジーだねえ」

「お前な……」

 秋尋は微かに笑う。

 普段はポーカーフェイスであまり表情の変化が乏しい分、窓夏は彼の笑顔が好きだった。ふわふわと気持ちが浮かぶような気分になる。

「普通に話せてよかった。あっくんと最近全然話せていないから」

「席も遠くなったしな」

「そうそれ。それが一番大きい。僕の席からだと、あっくんが何の本を読んでいるのかも分かんないし」

「前に俺の家に来たとき、倉木に嫌な思いさせたから、頭を冷やす時間が必要だった」

 例のキス未遂事件だ。気にしているとは思いもしなかった。

「別に友情にヒビ入ってないよ?」

「お前震えていたし」

「ああいうの初めてだったから驚いただけ」

「男同士でなんとも思わないのか?」

「夏目漱石の坊ちゃんとか、江戸川乱歩の孤島の鬼とか、本の影響もあるせいかな。別にこだわりがないし、むしろ憧れすらあるんだよね」

「名作だな。坊ちゃんはよかった。孤島の鬼は、とにかく怖かった。ガキの頃読んだせいか、余計にトラウマなんだ」

「孤島に潜り込んでからのシーン?」

「いや、人の気持ちのすれ違いが。とことん報われなくて、怖かった」

 廊下で女性の声が聞こえ、声をひそめた。

 悪いことをしているわけではないが、ふたりの時間を邪魔されたくないとも感じた。

 左手が大きな手で覆われる。先ほど繋いだときもだったが、秋尋の手は熱い。

「たまに、逃げたらどんなに楽かって思うときがある」

「逃げてもいいよって単純に言えるけど、実際はそうはいかないよね。義務教育だって、義務ってしがらみがあるから通わないといけないし」

「大人になったら、そういうのは無くなるのかっていつも思う」

「うん。社会人は大変で子供が楽って絶対そんなことはないよ。選択肢がある大人が絶対楽」

「恋愛も自由で羨ましい」

「恋愛は子供も自由にできるんじゃない?」

「そうでもない。俺が自由恋愛をしたら、いろんな人に迷惑がかかる。倉木にも」

「僕? 迷惑はかからないよ?」

「そう言ってもらえるだけで救われる」

 離れた手は頭を撫でた。

 手を繋ぐのと頭を撫でられることを天秤にかけた結果、窓夏は彼の手を掴んだ。

「どうしたら、あっくんのいる世界を救えるのかな」

「生まれる前からやり直すしかないな」

「それは僕が困る。会えないかもしれないじゃん」

 ふわふわする感情に名前をつけられる気がした。

 認める勇気がなく、中学生の今を大事にしたくて蓋をしてしまう。

「歯がゆいなあ」

「分かる。俺も同じ気持ち。もうすぐ受験生だけど、またふたりで遊びに行こう」

「卒業しても、遊んでくれる?」

 秋尋は一瞬固まった。何かを考え、じっと動かない。

「俺もそう望むよ」

 曖昧で不安になる答えだった。


 文化祭から一週間が過ぎても、落ち着くどころか秋尋の回りはさらに騒がしくなった。

 先輩後輩問わず、廊下には彼を一目見ようと生徒が集まる。

 担任の大声に去っていく彼女たちを見ると──大声を張り上げる体育会系教師でも──この先生が担任でよかったとほっとした。

 また話せない日々が続くのかと思っていたが、心配をよそに秋尋から一緒に帰ろうと誘ってくれる。

「あっくん人気者だねー」

「人に見られると買い食いもできないな」

「本当は中学生だとだめなんだけどなあ」

「腹減らねえ?」

「減った」

「素直じゃん。俺ん家来る?」

 気恥ずかしかったが、窓夏は頷いた。

「ネットで良いもの買ったんだ」

「おお、なんだろ」

「楽しみにしとけ」

 ちょっとした秘密基地気分でお邪魔した。

「柚子成長してない?」

「ちゃんと水やりして、ホームセンターで肥料も買ったんだ」

「えらいえらい」

 おもいっきり背伸びをして頭を撫でた。むなしくなった。

「いつ実がなるのか分からないけれど、ついたらやるよ」

「うれしい。楽しみにしてるね」

「で、良いものの正体はこれ」

 テーブルに置いたものは、たこ焼き器だ。

「文化祭で食べ損ねたから買ってみた」

「すごいすごい! 冷凍食品じゃなく、自分で作るんだ」

「そ。ネットで見ながら作る」

「いい時代だねえ」

「テクノロジーだな」

 一から作るわけではなく、たこ焼きセットなるものがあり、あとはすでに切られているタコや紅しょうがなどを入れるだけだ。

 初めて作るわりには秋尋は上手く、きれいな丸い形に整えられていく。

「どうしよう、惚れちゃう」

「やめておけ。お返しできるものはたこ焼きくらいしかない」

「今はそれでいいよ」

 ひと回り大きなたこ焼きを乗せられた。マヨネーズやソースもたっぷりかかり、最後に青のりで完成だ。

 食べ盛りがふたりも揃うとすぐに皿は空になり、窓夏は次は自分だと立ち上がった。

「あっくんどうしよ、こんなに入れていいの?」

「丸から漏れるくらいがいい。じゃないと綺麗な丸にならない」

 変な声を上げつつ助けを求めると、秋尋は背後に回り、覆い被さってきた。

「くるくるする感じ。……油引いたっけ?」

「……………………」

「倉木?」

「ああ! 引いてない!」

「やばいなこれ。とりあえずかき回そう」

 右手が覆われ、力がこもった。

 ほとんど何もしておらず、これなら秋尋がひとりでした方が早い。けれど窓夏は緊張と心地よさが合わさり、されるがままになっていた。

 手だけではなく、耳にかかる息も熱かった。

「なんだろ……数学で習っていない形ができたよ。円形? 円錐?」

「これはな、いびつっていうんだ」

「あ、やっぱり?」

「とりあえず食おう。味は美味いはず」

 味はまぎれもなく、保証されたたこ焼きだ。

「生地はしっかりしていれば味はたこ焼きになるけど、ちょっと物足りない感じ」

「だな。次はホットケーキの生地でやろう」

「たこ焼き器で? いいねそれ。僕やっていい?」

 秋尋は困惑した顔になった。

「一回失敗したから次はできるってば」

「や、そうじゃなくて。また失敗すればいいのにって、不埒なことを考えてた」

「なにそれ?」

「なんでもない。期待してる」

 挑戦したたこ焼き型ホットケーキは、二度目でありうまく丸い形になった。

 背中は寂しいが、味は最高だった。

 秋尋はどんな気持ちでいるのか分からないが、たこ焼きを食べているとき以上に無口だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る