第10話 枯れない涙

 学生時代の友人と連絡はほとんど取っていない。

 それぞれの生活があり、風の噂で聞く程度だ。

 仕事をすぐに辞めた者もいれば、結婚して子供を儲けた者もいる。

 学生時代の彼らしか知らないので、不思議な気持ちだ。

 苦手な鏡を見てみると、中学生からあまり変わらない姿のままだった。

 夢を叶えて毎日は幸せのはずなのに、心は満たされていない。

 テーブルに置きっぱなしだった端末に、メールが届いている。

──たまには帰ってきなさい。

 大学へ入学と同時に一人暮らしを始めて、しばらくは実家に帰れないほど忙しかった。

 学生時代を思い出していたせいか、母のメールを見たらじんわりと目の奥に痛みが走る。

──今日戻っていい?

 急なメールでも母は喜んでくれた。

 朝早くから実家に向かうと、掃除中の母に小言を言われたが、自室はあのときのまま綺麗になっていて、またもや泣きそうになった。

「帰ってきたのって大学以来かしら?」

「そうだね」

「仕事はどう?」

「キリン可愛いよ。僕に懐いてくれているし」

「キリンって懐くの?」

「慣れるよ。僕以外だとそっぽを向くし」

「そういえば、この前テレビに出たでしょう? なんで教えてくれなかったの?」

 この前とは、子キリンについて取材を受けたときの話だ。

「言いたくなかったんだよ、もう」

「親としては、息子か頑張っている姿を見られるのは誇らしいわ」

「……ちょっとじーんときた」

 ふと、棚にある封筒に目がいった。

 窓夏宛になっている。

「あとでそっちのマンションに送ろうかと思ってたのよ。電話も来てね、中に入っているハガキで送り返してほしいって。中学のときのメンバーで同窓会をやるんだって」

「え」

 つい先日のようにめまぐるしく想い出が巡っていく。

 運動会や体育祭、なかなかテストの点数が上がらなくて悔しい思いをしたこと。

 そして、生まれて初めての失恋も経験した。目の前からいなくなった彼を思い、閉じ込めていた感情が溢れに溢れた。

 ああ、好きだったのだと。時間が経てば忘れられると信じていたのに、思い込みはただの幻想に過ぎない。

 自室に戻り封筒を開けてみると、電話番号を書いている紙がある。

 窓夏はさっそく電話をかけた。

「もしもし、倉木窓夏です」

『うそ? 倉木君? 久しぶり! この前テレビ見たよ。元気そうで変わってなかったねえ』

「あはは……まあね」

 当時の副委員長も変わっていなかった。

 しばらくはお互いの大学時代や仕事の話をして、さっそく本題に踏み込む。

「今月末の日曜日? ぜひ参加させてほしいな。他には誰が集まっているの?」

 聞きたいことは後者だ。心臓がいつもよりせわしなく動く。

『今はまだ五人くらいかな。そうだ。倉木君って藤宮君と仲良かったよね? 連絡取れないかな。実家にかけづらくて。こうなったら意地でも会いたくなっちゃってさ』

「さあ。中学卒業してからもう連絡取ってなかったんだ」

 事実であり、これが秋尋との距離だった。一度も連絡がなく、こちらからもかけていない。

『そっかあ……残念』

「っていうか僕の家にはかけられたのに、藤宮君の家はかけられないってどういうこと?」

『あんな立派なお家じゃ無理よ。住んでいる次元が違いすぎる』

「住んでいる次元?」

『華道の跡取りよ。おじいちゃんもお父さんも世界で活躍する人だし』

「うそ……」

『知らないの? 仲良かったんでしょ? ただ藤宮君って特殊な生まれ方をしたとか、噂が立ったことがあったわね。本当か分からないけどね。じゃあそろそろ切るわ』

「うん。日曜日に会おうね」

 電話を切り、気持ちを落ち着かせようとベッドに座った。

 華道の跡取りなんて、聞いたことがなかった。秋尋の口からは、一度も出ていない。

「嫌で逃げていた……?」

 ひとりでマンションに住んでいた理由も含めて想像できるが、本人の口から聞かないと分からないことだらけだ。

「会いたいよ……あっくん」

 優しくて残酷なキスを残し、彼は消えた。

 あのキスは想い出ではなく、呪いだ。卒業してから十年も経ったのに、いまだに恋人もできないし引きずっている。

 ふたをして溢れないようにしていても、ちょっとの刺激でこうしてだめになる。

 二度と会えないだろう。おそらく彼は同窓会へは参加しない。


「ちょっと、大丈夫? その顔どうしたの?」

「動物の映画観ちゃって……」

 昨日考えた理由を並べて、なんとかごまかした。

 まぶたも頭も重い。まさか中学時代の失恋を思い出して号泣しただなんて、言えるわけがなかった。

 キリン舎では変わらずにキリンたちが出迎えてくれる。

 掃除と餌やりを行っていると、側から離れない子キリンが首を下げて頭を差し出してきた。

 しばらく撫でていると満足して顔を上げるが、掃除する窓夏の後ろをついて回る。

「お母さんが心配してこっちを見てるよ?」

 キリン舎の外では、子キリンをじっと見つめる親キリンの姿だ。

「ごめんね、あとちょっとで終わるからね」

 親キリンに声をかければ、耳を動かした。

 掃除を終えてキリン舎から出ると、親子揃ってようやく外に出てきた。

「すみません」

 背の高い男性が立っていた。帽子を深く被り、サングラスをしている。

 動物園へ来るにはなかなか珍しい格好だ。

 訝しみながら男性を見ると、彼は慌てて帽子を深く被る。

「あの、キリンに詳しいですか?」

「一応、担当ですけど……」

 男性はキリンと窓夏を交互に見ながら、声のトーンを落とした。

「聞きたいことがあって……キリンって、どんな鳴き声ですか?」

「……………………」

 低くて、落ち着いた声だ。

 あれだけ泣きはらしたのに、また目の奥が緩む。

 一瞬で昨日泣きはらした記憶と、中学の想い出が押し寄せてくる。

「…………どうして、」

 髪の色も変わっている。体格も筋肉質になっている。

 けれど、声はどうしたって変えられない。

「あっくん」

「……倉木」

 涙の湖を作った原因である、藤宮秋尋だった。

「夢、叶えたんだな」

 秋尋は餌を食べるキリンを眺める。

「う、うん……動物園で働きたいって言ってたもんね」

 時間が過去に戻ったように、心臓の高鳴りと反比例して普通にできる会話がおかしい。

 キリンを見つめる秋尋。落ち着かない窓夏。

「ああ。覚えている」

「どうしてここに?」

「キリンについて知りたくて。鳴き声ってどんな感じ? ずっとここにいたら聞ける?」

「難しいと思う。担当の僕ですら聞いたことがないし」

 しばらく無言の空気が流れる。

 秋尋はサングラスを外した。

「あー、その、仕事どうだ?」

「楽しんでいるよ。ずっと動物を触れ合っていられるし。あっくんは?」

「まあ、楽しいかな」

「どうしてキリンの鳴き声が知りたいの?」

「ちょっと仕事で必要なんだ」

「仕事……」

「また来るよ」

「待って!」

 とっさに服の袖を掴んだ。

 全身から野生の臭いをさせていて、香水を香らせる秋尋とは対照的だ。

 申し訳なくなり、掴んだ袖を離した。

 秋尋は下りていく手を眺めながら、

「どこか、おすすめのデザートが食べられるところある?」

 そう言うと、窓夏の髪についた葉を払った。

 窓夏は俯くしかできなかった。

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