第11話 キリンのヒロ

 キリン舎から少し離れたところにあるレストランへ案内した。

 ここ最近できたばかりで、他の店よりも値段が高いが、相応の味を提供してくれる。

「パンダレアチーズケーキがおすすめだよ。ふわふわしていて雲をイメージするくらい柔らかいの」

「担当はキリンなのにおすすめはパンダか」

 ごもっともなつっこみを受けてしまった。

「残念だけどそこまで人気になる動物でもないから。動物園といえばパンダ、コアラっていうくらい。僕からしたら可愛くて仕方ないんだけどね」

「そういうものか」

 再び沈黙がおとずれた。

「じゃあ僕、そろそろ行くね」

「待て」

 今度は秋尋が窓夏の腕を掴む。

「あー、その……元気だったか?」

 ちぐはぐでおかしな会話だ。

 あの頃に戻ったようだが、会えなかった十年は簡単にうめられるものではない。ふとした瞬間から緊張に包まれる。

「いや違う。違うくないけど。……キリンの声を聞かないと困るんだよ」

「困る? どうしてそんなに切羽詰まっているの?」

「倉木さん?」

 同僚の高田が声をかけてきた。秋尋はサングラスをかけてそっぽを向き、一歩後ろへ下がる。

「どうしたの?」

「高田さん、キリンの鳴き声って録音してたりします?」

「確かあったはず。倉木さんがここで働く前の映像だけど」

「それって借りられますか?」

 高田は怪しげな秋尋をじろじろと見る。

「こちらのお客様が、どうしても聞いてみたいっておっしゃるんです。キリンマニアみたいで」

「聴くだけなら構わないと思うけど……でもファイルがけっこうあるよ? 探せる?」

「大丈夫です。探せます。ありがとうございます」

 高田はまだ秋尋を訝しみながら見ている。

 やがて去ると、秋尋はどっかりとイスに座った。

「誰がキリンマニアだ」

「違うの? すごい執着心だなあって思ってた。次はいつ来られる? それまでに用意しておくよ」

「次は……そうだな。連絡する」

「うん」

 できるだけ平常心で、頷いた。

 彼はメモ帳を切り、電話番号を書いて渡してきた。

「俺の番号」

「ありがと。僕のは変わってないから」

「そっか」

 震える手を右手で押さえつけ、何でもないと装いながらポケットに入れる。

「じゃあ、そろそろ行くね」

「ああ」

 去ろうとすると、またもや呼び止められた。

「俺も」

「ん?」

「番号変わってないから」

 秋尋はもうこちらを見ていなかった。

 足を組み、メニュー表をめくっている。

 そんな姿にまたもや泣きそうになり、窓夏は早歩きでレストランを後にした。


 夕食を作る気にもなれなくて、冷凍食品を解凍して食べた。

 濃い味つけのはずなのに味がしなかった。

 身体の熱を冷やそうと、床に寝そべる。

 突然やってきた嵐は心を乱し、味覚までも狂わせていく。

 元から大人びていたが、さらに魅力的になっていた。

 つい昨日のことのように想い出が蘇り、最後の別れを思い出しては強く目を瞑った。

 想い出を蘇らせたくなくて、テレビをつけた。普段あまり触れないせいか、リモコンが白っぽく埃を被っている。

 映像は芸能界の話へ変わる。3Dを用いたアニメーションの声優の紹介に入った。

 犬、パンダ、猫、ナマケモノ、キリン、アライグマなど、動物たちが人間の魔の手から逃れ戦おうとするストーリーだ。

 キリン役の紹介のとき、見たことのある人物が映り、窓夏は勢いよく起き上がった。

「あっくん?」

 窓夏は呆然としたまま画面から視線を外せなかった。

 元々は中学生の頃からモデルとして活動し始め、海外でも日本でも俳優デビューするとアナウンサーは説明する。

「芸能人だったんだ……」

 彼の一面を知り、納得できる部分が多かった。

 中学生の頃はあまり目立とうとしなかったこと、顔を隠すように度が入っていない眼鏡をかけていたこと、女子生徒が彼を追いかけ回すようになったこと。

 将来の夢も告げないまま目の前から消えたのも納得した。

 成功するかも分からない世界に飛び込むには、生半可な気持ちではどうにもならなかったはずだ。

 異世界で映る秋尋は、学生時代の面影がありつつ、窓夏の目には過去を捨ててしまったように見えた。


 仕事がひと段落して弁当をつまんでいると、高田が前の席に座る。

「この前のキリンの声だけどさ、動画サイトに載せるっていうのはどう?」

「動物園のチャンネルに? すごくいい案だと思います。なかなか聞くこともないですし」

「キリンマニアの彼にも伝えておいて」

 口の中のミートボールが飲み込めなくなってしまい、緑茶で流していく。

「どこかで見たことある気がするんだよね」

「そうですか?」

「でもどうしてレストランにいたの?」

「お腹空いたとかで、レストランの場所聞かれたんです」

 高田はいまいち納得がいっていないようだが、パンを食べ始める。

 何か聞きたそうに見ているが、窓夏は視線も合わせず弁当に視線を落とした。


 二度目の出会いはすぐにやってきた。

 昼食を終えてキリン舎へ行こうとすると、見たことのある後ろ姿が映り、声をかけてみる。

「あっくん?」

 秋尋は驚いて目を見開くが、すぐにポーカーフェイスに戻った。

「よ」

「久しぶり」

「ああ」

 まるで中学生の頃に戻ったようだった。あのときも短めな言葉で挨拶を交わし、下校を共にしていた。

 動画サイトへ上げる話を伝えると、秋尋は感謝の言葉を口にする。

「キリン役、おめでとう」

「見たのか?」

「ニュースであっくんが映っていてびっくりした。キリンの声知りたがってた理由ってそういうことだったんだね」

「喋るのは鳴き声をまねた声じゃないが、参考までに知りたかったんだ。休憩終わったのか?」

「うん。さっき」

 子キリンがこちらに気づき、近寄ってくる。

「やっぱり分かるんだな。親まで見てるぞ」

「心配で仕方ないんだろうねえ」

「そろそろヒロの名前公募しないとね」

 いきなり現れた高田は、窓夏を焦らせた。

「ヒロ?」

「うちのキリン担当がこっそり呼んでいる名前ですよ」

 秋尋は子キリンと窓夏を交互に見やる。

「いい名前ですね。公募せずにそのまま使ったらどうですか? ヒロ」

 秋尋に名前を呼ばれると、子キリンは耳をせわしなく動かして顔を向けてくる。

「ほら、ずっと呼ばれているから慣れていますよ。来てくれるお客さんの意見を聞くのも大事でしょうが、一番大切キリンはいきなり名前を変えられたら、きっと戸惑うかと思います」

 どう話題を切り替えるかてんやわんやになっていると、高田はすぐにその場を去った。

 話題を変えようと、窓夏は違う話題へ切り替える。

「そういえば、同窓会のお知らせがきたんだ。副委員長があっくんの家にも電話しようとしたんだけど、恐れ多くてできなかったって。月末の日曜日は難しいよね?」

「残念だけど仕事。俺の家のこと聞いたのか?」

「ちょっとだけ。華道の家元の子だって。全然知らなかった」

「だから友達になれたのかもな。俺は跡取りじゃないから自由だけど」

 友達と聞いて、胸の痛みと懐かしさが同時に襲ってきた。

「そうなの?」

「ああ。弟がいる。普通は兄が後を継ぐものだけど、俺の家はいろいろ事情があるんだ。仕事中悪かったな。あとで同窓会の感想を聞かせてくれ」

「うん。分かった」

 胸の痛みはふと軽くなった。

 同窓会の感想が知りたいと言うのは、まだ繋がりを持っていてくれるということだ。

「仕事頑張れ」

「あっくんもね。ありがと」

 言葉数がそれほど多くないのは、昔から変わらない。

 人がやけに多く集まっている。視線の先は秋尋だった。

 一部気づいた人もいるようで、秋尋に声をかけようか迷っている人もいる。

「じゃあまた」

「うん、またね」

 秋尋は逃げるようにその場を去った。

 何か聞きたそうにしている女性から逃れようと、窓夏もキリン舎へと入った。

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