第12話 腫らすまぶた

 居酒屋の個室の扉の前に立ち、呼吸を整える。

 いざ開けると、一瞬の間という耐え難い苦痛が襲ってきて適当な愛想笑いを浮かべた。

「倉木君?」

「は、はい……倉木です……」

「久しぶり! 元気だった?」

「うん。みんなも元気そうで」

 同窓会に集まっていたのは、十数人だった。

 事前に来ないと知っていながら、どうしてもあの姿を追ってしまう。

「おー、倉木か! この前テレビ出てたな!」

「先生、ありがとうございます」

 元担任の教師は白髪交じりになったが、笑顔は卒業式のときに握手をしたをときと変わらなかった。

「夢叶えたんだな」

「はい。動物園で働いています」

「ずっと生活部で頑張ってたもんなあ」

 彼は変わらずに教師を続けているという。

 涙ながらにしみじみと言う先生に、苦手と思えた熱血漢も悪くないと感じた。

 クラスでは目立つ側の人間ではなかったものの、すぐに倉木だと気づいた者もいた。理由は『変わらないから』らしい。

 一次会はそれぞれの今をお互いに話し、和やかな雰囲気のまま終わった。

 二次会の人数は半分になった。不思議なことに、学生時代はあまり話さなかった人たちとも今は楽しく話ができる。社会人になって人との距離感がつかめたからだと、大人になった気持ちだ。

「やっぱり藤宮君来なかったねー」

「倉木君は連絡したの?」

「えーと……したとしても来られないと思うよ」

 小さな嘘は、心にヒビが入っていく。

 藤宮秋尋。三年間の恋を彼に捧げて、キスを残して消えた人。

 十年越しに再会を果たし、あのときのように惹かれてしまっている。

 これではいけないと、太股に爪を立てて意識を逸らした。

 住む世界も違うのに、どうしたって戻れない。時間は後ろを振り向かないのだ。だったら、人も合わせて前を向くしかない。

「藤宮君っていいとこのお坊ちゃんなんでしょ? しかも中学生の頃からずっとモデルの仕事していて、卒業してからは海外でもやってたらしいよ」

「テレビで紹介されてたよね」

「あの頃から背も高かったしめちゃくちゃかっこよかったよ」

「分かる。女子たちが群がってたし」

「卒業式の日にサイン欲しかったんだ。でも藤宮君って確か出なかったよね?」

 彼は卒業式に出なかったが、こっそり裏の動物小屋へやってきたことは、誰にも話していない。

「倉木君が連絡取ってないんじゃ誰も連絡取れないかもねえ」

 話題を変えてほしいと思っていたところで、店員は揚げ物を持ってきた。

 ポテトに群がる手を見ながら、窓夏はぼんやりと考える。

 あのキスは別れのキスだと無理やり納得させた。

 キスの意味は聞いていないが、そう思わないと前を向けなかった。

 けれどまた出会い、なぜ別れのキスであれば目の前に現れないでほしかったと喉まで出かかる。

 いつの間にか二時間が経過し、二次会はお開きとなった。

 カラオケ店を出ると、大きな月が顔を出している。

 都会は星が見えない。実家とは違うのだと実感する。

 一歩ずつ前へ進んだ結果、夢は叶えた。けれど失ったものも大きい。

 いずれ失ったものを、また手に入れられるだろうか。

 月明かりに照らされて、大きな影が覆い被さった。

「倉木」

「うそっ……」

 呼ばれた窓夏は呆然としているのに対し、元クラスメイトたちは驚きの声を上げた。

 息を切らした秋尋は肩で深呼吸をし、大股で近寄ってくる。

「ひとめ会いたくてきた。倉木の実家に連絡入れて、場所を聞いた。俺の家にも同窓会の招待状を送ってくれたんだってな」

「うん、うんっ、送った。やだ、どうしよう。元気だった? すごい芸能人になっちゃったね」

「すごくない。まだまだだ。みんなに会えてよかった。次いつ会えるか分からないから」

「せっかく会えたんだからサインほしい!」

「私も!」

 困惑した秋尋は、渡されたペンを走らせた。

 書き慣れていないのか、時折止まりながらだ。

「悪かったな、参加できなくて」

「ううん。藤宮君が元気そうなのはテレビを観て知ってるから」

「次があったらぜひ参加したい」

「分かった。必ず招待状送るね」

 元クラスメイトたちに囲まれている彼は、昔と何も変わらなかった。

 窓夏は一歩後ろへ下がるしかない。

「倉木、送っていく」

「昔から仲よかったもんね。積もる話もあるでしょ」

「ああ、ある」

 彼女たちは窓夏がすでに秋尋と接触していたことは知らない。

 彼も久しぶりに会ったと装うので、ぼろが出ないよう余計な口を挟まないでいた。

 彼女らと別れると、ぽつんとふたりきりになる。

 月と街頭の明かりがふたりを照らすが、羽虫が目の前を通りロマンティックな雰囲気とはほど遠い。

「ほんとに送ってくれるの?」

「ああ」

 窓夏が足を踏み出すと、秋尋が後ろをついてくる。

「動画見たが、キリンの声聞いた。あんな感じで鳴くんだな」

「牛みたいでしょ?」

「まんまだったな」

 たまに無言の空気になるが、居心地の悪さは感じなかった。

 何か話さないと、と焦るより、心地よいと感じていたかった。

 マンションの前で止まり、窓夏は振り返る。

「ここなんだ」

「そうか」

「……寄っていく?」

 秋尋は眉毛を上げた。

「いいのか?」

「何もないよ? それでもよければ」

 心臓が悲鳴を上げた。一生分の鼓動を打ち鳴らしている。

 階段を上ると、普段は一つしか聞こえない足音が今は重なっている。

 手が震えて、鍵を落としてしまった。

 秋尋が拾い、窓夏は受け取る。

「中学生の頃の俺も緊張していた」

「僕を初めて呼んだとき?」

「ああ。俺の気持ちが分かったか」

「今、ものすごい理解した」

 お互いに笑い合うと、十年前に戻った気がした。

「お邪魔します」

「どうぞ。コーヒー入れるね」

 秋尋は物珍しそうにリビングを見回している。

「すげーぬいぐるみの数だな」

「でしょ? 本物を飼いたいって思いっていたら、大学時代から集めていたんだ」

 コーヒーをふたつテーブルに並べて、隣に座る。

「何を飼いたいんだ?」

 ぬいぐるみの種類は問わず、可愛いと思ったものを集めてきた。チーターやナマケモノと、はばが広い。

「犬かなあ。猫も好きだけどね。庭つきの家で、犬と戯れたい」

「それいいな。犬は好きだ」

 指が彼の手に触れて引っ込めると、秋尋は指を絡めとった。

「相変わらずおっきいね」

「ああ」

「あっくんはさ、」

「まだそう呼んでくれるんだな」

 秋尋は哀愁感を感じさせつつも、泣きそうに言うものだからどんな顔をしていいのか分からなかった。

「すごく懐かしい」

「あの頃に戻りたい?」

「それは嫌だな」

「はっきり否定されるとちょっとくるものがある」

 胸に手を置いた。ぐっさりと見えない何かが突き刺さっている。

「お前と一緒にいたくないとか、そういう意味じゃない。子供すぎて何もできないからだ。当時も苦しめるだけでお前に何もしてやれなかった」

「苦しかったこともあった。最後のあれ、なんなの。キスだけ残してさ、僕あれから恋人できないんだけど」

「俺も」

 ため息をつく瞬間も一緒だった。

「お前にキスしたせいで、それしか頭になかった。ああもう、どうしてくれるんだよ。綺麗なモデルと絡んだりするシーンなんて山ほど撮ってきたけど、お前じゃないって思ったら全然うまくいかなくて、しかめっ面しかできないんだ。何度もやり直しをくらったんだぞ」

「それ僕のセリフだよ。一生童貞のままだったらどうしよう。死ぬまであっくんを恨んでいくしかない」

「それいいな。お前に恨まれたら、一生俺のことを思ってくれるんだろ」

 秋尋の息が上がる。目は潤み、泣きじゃくる子供のような顔だった。

 ほぼ同時に、背中に腕を回した。

 ぎっしぎしと骨が悲鳴を上げるくらいに強く、遠慮なく、ひたすら相手を締めつけた。

 嗚咽が止まらなくなり、ふたり揃ってとにかく泣いた。まぶたも頬も腫れるほどに涙が流れ、襟元が色濃く染まっていく。

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