第13話 お友達から

 泣きすぎたせいで、頭が痛かった。

 ソファーにふたりで倒れて目を瞑ると、まだまだ疲労が押し寄せてくる。

 昨日と同じ体勢で寝ていたせいで、腰も背中も痛くて仕方ない。

 秋尋はまだ眠っていた。大事そうに胸に窓夏を抱え、起きる気配がない。

 窓夏はシャワーを浴びようと、腕をどけた。

 大人になった秋尋の腕は、しっかりと筋肉がついていて重い。

 浮き出る青筋を撫でると、目が開きそうになり慌てて離した。

 温めのシャワーを浴びて起きると、秋尋はまだ眠っていた。

 朝食は目玉焼きとソーセージを焼いて、パンをトースターに入れる。香りにつられたのか、秋尋の目が開いた。

「俺……何もしてないよな?」

「起きていきなりどうしたの?」

「……なんでもない。トイレ」

 そそくさとリビングを出ていく彼をしり目に、食パンを二枚焼いた。

「ふー……」

「パンでいい? 焼いちゃってるけど」

「ああ。好き」

「座ってて。僕が用意するから」

 テーブルに朝食を並べ、ふたりは無言のまま食べ始めた。

 話すよりも、まずは空腹を満たすのが先だ。

「美味い」

「それはよかった。焼いただけなんだけどね」

「焼き加減が好き。パンの焦げ目とか」

「分かる。好みあるよね。けっこうしっかり焦げ目がついたパンが好きなんだ」

 朝食を食べたあとは、ふたりで片づけをした。

「昨日のことだけど、」

 秋尋は話を切り出した。

「やっぱり、こういうのはよくないと思う」

「え」

 窓夏自身、思っていた以上に悲惨な声が出て驚いた。

「部屋に来たり、ふたりきりでご飯食べたりってこと?」

「違う。俺たちはもう大人なんだ。昔みたいにあやふやな関係のままでいていいわけがない。あーだから……」

 秋尋は頭を強くかく。寝癖はついたままで、修学旅行の朝も、こんな彼を見たことがなかった。

「お友達からお願いします」

「いくじなし」

 窓夏は声を上げて笑った。

「その通りだな。否定できない」

「それって、仕事やおうちが邪魔しているの?」

「家だな。そのためには、ちゃんと話さないとって思っていた。俺と初めて会ったとき、どう思った?」

「どうって……背が高くて同じ中学生には見えなかったよ。ひとりだけ大人びていたし」

「俺さ、ハーフなんだよ。ほとんど母親の血を受け継いだのか、あんまりそうは見えないけど。母親が華道の家に生まれた人で、父親がイギリス人」

 前に彼はお茶にお菓子を浸して食べていた。あれはイギリスで行われている食文化で、日本ではなじみがない。

「お母さんとお父さんはおうちにいるの?」

「母親だけ。父親は顔も見たことがない。母さんは多くは語らないんだ。イギリスへ旅行しに行ったときに出会ったって言ってた。行きずりの相手だったのか、本気で好きになった人なのか、俺には分からない」

「そうだったんだ……」

「異国の血が混じっている俺は家業を継げない。古くさい考えなんて言うのは簡単でも、当事者ははっきり言えない。弟がいるっていったが、いとこにあたる人なんだ。同じ家で家族と同じように過ごした。弟が家業を継ぐ」

「仲いいの?」

「どうだろう。ケンカはしないけど、一線引いている感じ」

「愛があれば乗り越えられるって簡単な問題じゃないね」

「そう言ってもらえると救われるよ。本当に難しいんだ。だからこそ、越えたいとも思う」

 秋尋は安堵の息を吐いた。

 来たときの緊張は今になってほどけたようで、ソファーにだらりと腰かけている。

「僕はどうしたらいい?」

「難しいことを頼んでいいか?」

「うん」

「側にいてほしい。もう離れ離れは嫌だ。十年は長すぎた」

「結婚の申し込みみたい」

「それ込みで」

「ずっと一緒にいる。キリンの声が聞きたくなったらものまねだってする!」

「ほーう。やってみて」

 わざとらしくせき払いをし、牛に似た鳴き声を上げる。

「ここまでひどいとは思わなかった」

「ひどいよ! けっこう自信あったのに!」

「はは、でも可愛い。ああもう、ずっと言いたかった」

「可愛いって?」

「ああ。窓夏は可愛いよ」

 広がった両手を合図に、大きな胸に飛び込んだ。

 好きだと告げたわけでもないし、曖昧すぎる関係だ。

「もう大人だから。ふたりで困難を乗り越えていこうね」

「ああ」

 目が合い、彼の顔が近づいてくる。

 あと数センチというところで、窓夏は顔を背けた。

「いやか?」

「覚悟ができたらしたい。これ以上ないってくらいにとびきりのがいいから」

「分かった。簡単にするものじゃないな、十年も待たせたんだから」

 額だけこつんと合わせ、微笑み合った。

「次の休みにでも十年越しのデートでもするか?」

「する!」




 小さかった少年は、立派な大人へと成長していた。

 子供だった手は爪や指がかさつき、仕事の大変さが表れていた。

 綺麗にしなければならない自分の手とは対照的で、手を繋ぐのすら恥ずかしくなった。

「アキ君、そろそろ時間だよー」

「はい」

 芸能界ではクールやミステリアスという位置づけで、あまり笑うなだの変なキャラクターを設定されてしまった。

 もともとおしゃべりではないので、愉快なキャラクターよりは気疲れはない。

 キリン役で出演したアニメが完成し、今日は映画についての雑誌インタビューだ。

 記者と挨拶を交わし、和やかな雰囲気のままイスに座る。

 どのような内容かを聞かれ、打ち合わせ通りに簡潔に答えていく。

 新人の記者であればお互いにウィンウィンの関係を築けるが、ベテランともなれば、いかに相手を引き出すかという意気込みが違う。

 話はいつの間にかプライベートまで及んできて、秋尋は少ない言葉数をさらに絞る。

「今までデートはどういうところへ行ったことがあるんですか?」

「デートらしいデートは。中学生の頃から仕事ばかりでしたので」

「アキ君ほどハンサムなら、周りが放っておかないでしょう?」

「そんなことはないです」

「中学生の頃はモテモテだった?」

 言葉につまる。モテていたというのはあながち嘘ではない。

 仕事の間は思い出さないようにしていたのに、浮かんできた顔がどうしても離れない。集中できないのだ。会いたくてたまらなくなる。

 目を光らせたの記者は、弱点だとばかりに突っ込んでいく。

「ほら、当時付き合っていた彼女とか……」

「すみません、ありがとうございました」

 大きな声で、マネージャーが満面の笑みを見せる。

 時間の十分はすでに過ぎており、秋尋も立ち上がってお礼を述べた。

 部屋にマネージャーとふたりきりになると、

「上手い返しができないです」

 秋尋は小声で呟いた。

「下手なことを答えられるより、ずっといいんだよ。もしかして、彼女いる?」

 彼女と言われれば複雑だ。付き合っているわけではないが、候補はいる。

「いてもいいんだけどさ、絶対にバレないようにね。せっかく作ったファンクラブも減っちゃうんだから」

「そういうものですか?」

「女の影があると分かれば、女性ファンはあっという間に離れていくよ。芸能界は汚いところだけど、外に見せるのは夢だ」

「肝に免じておきます」

「じゃあ次の場所に行こう」

 自分ではない何かになるというのは楽しい。だが失っていくものも多い。秋尋は嘘を吐き続けるたびに、卑しい自分になっていく気がした。

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