第2話 鶏の七不思議

 夏休みを迎えても、部活動は休みがない。

 動物相手では放っておけはしないし、なにより窓夏自身も動物たちに会いたくて仕方なかった。

 鶏小屋に向かうと、扉が空いているのに気づく。

「一、二、三、四……」

 五羽いたはずの鶏が、一羽いなくなっていた。

 待ちわびて鳴き続ける鶏に餌をやり、活動教室へと向かう。

「鶏が一羽いなかったんだけど知らない?」

 今日の活動は料理だ。何を作るかは女子が決めていたため、与えられる材料でうまくできるか試行錯誤するのも、活動の醍醐味だ。

「鶏? 五羽いなかったの?」

「うん。何度も数えたし見間違いじゃない。うわっああ……」

 まな板の上には鶏肉の塊が乗っている。

 窓夏は手をついて首を振った。

「変な誤解はやめてよ。これ買ってきたやつだって」

「ほんとに? 羽むしってない?」

「そんなわけないでしょうが。とりあえず鶏の確認しに行こっか」

 もう一度鶏小屋に行って数を数えると、四羽しかいなかったのに五羽に増えている。

「いるじゃん」

「おかしい。ちゃんと数えたよ」

「しかも鍵かかってたよね?」

「僕が餌やりしてからかけた」

「なら勘違いじゃないの? 鍵かけたんなら鶏は戻れないし」

 女子生徒は訝しむ目で見てくる。

 鶏たちは、いつものと変わらない様子で餌をつついていた。

「……かも。ごめん」

 数は足りている以上、窓夏が謝るしかなかった。

 今日の昼食は、炊きたてのご飯と鶏肉の照り焼きだ。

 レシピ通りに作ったので味は申し分ないが、先ほどの出来事もあり

、調理された肉に対して申し訳ない気持ちが残る。

 小さな疑問を残したまま帰ろうとすると、歓声が聞こえた。

 教室を覗いてみると、チェス部の活動中だった。

 真ん中に座っているのは、クラスメイトの藤宮秋尋だ。

 夏休み前にテストが戻ってきたとき「すごいじゃん」と褒めてくれたのが印象に残っている。今回は平均を上回ったのだ。

「すっげー! お前こんなにチェス強かったんだな」

「たまたまだ」

「たまたまでここまでできるかよ」

 チェス部の人は窓夏に気づくと、他のメンバーも一斉に振り返る。

「……倉木」

「知り合い?」

「まクラスメイト。俺帰る」

「おう! またな。たまには顔出せよ」

 秋尋は窓夏の背中を押し、ドアを閉めた。

「まさか夏休み中に会うとは」

「だね。久しぶり。チェス上手なんだね」

「少しだけな。帰る?」

「うん」

 自然な流れで一緒に帰ることになった。

 不思議な感覚だ。

「なんか食べた? いい匂いがする」

 秋尋は窓夏に顔を近づけた。

「う、うん……鶏肉の照り焼き。あ」

「どうした」

「そうだ。謎だよ。鶏が一匹いなくなったんだ」

 窓夏は一連の流れを説明した。秋尋は疑うわけでもなく、何度か相づちを打って耳を傾けてくれた。

「でも同じ部活の人と確かめに行ったら、ちゃんと五羽いたんだ」

「四羽のとき、鍵は?」

「そういえば……空いてた」

「出るときは?」

「僕が閉めて、見に行ったらちゃんとしまってて五羽に増えてた。特別な鍵は必要なくて、外から誰でも開けられるようになってるんだ。もしかして、信じてくれるの?」

「見間違いって可能性も捨てきれないが。ともかく今はちゃんといたんなら、様子を見たら? ケガしたわけじゃないんだろ?」

「うん……自信なくなってきた」

「自信持つのは大事。鶏肉の照り焼きもなかなかだったんだろ」

「めちゃくちゃ美味しかった」

「ちょっと付き合って」

「え」

 窓夏は立ち止まる。

「買い食いしたい。腹減って死にそうなんだ」

「びっくりした」

「何が?」

「付き合って、とか言うから」

「『付き合って』」

 演技口調で朗らかに、秋尋は口にする。

「もう! なんなのさっ」

「はは、パンくらい奢ってやるよ」

「やたー!」

 買い食いは厳禁なので、学校から離れたコンビニに寄り、菓子パンを奢ってもらった。

 ただのメロンパンではなくパンダの形をしていて、黒い部分はチョコレート味だ。

「もしかして、動物好き?」

「ばれちゃった。実は生活部に入ったのも、動物たちと一緒にいたいから」

「へえ」

 秋尋は焼きそばパンだ。中にハムカツも挟んである。

「ヤバい。美味すぎ」

「焼きそば好きだったりする?」

「あんまり食べないからな。ハムカツも」

「家でも?」

「そういうの、食卓に上がらない」

 複雑な家庭なのかもしれないと、これ以上聞くのは止めた。

「食べる? 耳の部分」

 千切って渡そうとしたが、秋尋は窓夏の手首を掴み、そのまま耳にかぶりついた。

「ちょっ……」

「耳、美味い」

「目も食べた!」

「全部美味い」

 正面から、初めて彼の笑顔を見た。

 一言二言しか会話をせず、人との距離に線を引く人。

 大人びた顔が子供に戻り、窓夏は頬を染めて今度は自らパンを差し出した。

「美味いよ」

 あまりに言い方が穏やかで、喉がつまる感覚になった。

 鶏肉の照り焼きを食べたからだ、と言い訳を並べ、食べかけの残りを彼に渡した。


 夏休みが終わり、久しぶりのクラスメイトと顔を合わせた。日焼けをしている者、眠そうに机に突っ伏している者と、様々だ。

 すでに秋尋は来ていて、本から顔を──ついでに口角も──上げた。

「………………」

 なんだか恥ずかしくなり、窓夏は視線を落とした。秋尋が首を傾げているのが見える。そのまま椅子に腰を下ろす。

「ねえ、知ってる? 鶏小屋の話」

「ああ、分かるよ。一羽消えたんでしょ? 次の日はまた五匹に戻ってたって」

「それそれ。本当なのかな」

「さあ。でも見たって人、何人もいるって。学校七不思議じゃんこれ」

 クラスが静まり返った。噂話が好きなのはたいていの人に当てはまる。窓夏にとっては噂ではないが。

「見に行ったら先生に見つかって怒られたよ。とっとと教室に戻れつてさ」

「先生が食べようとしてんじゃないの?」

 クラスメイトの冗談は、夏休みに食べた鶏肉の照り焼きが頭に浮かぶ。美味しかったのだから、なおさら罪悪感だ。

 担任の大きな声で一度は気持ちを切り替えたものの、放課後になるとまたもや噂話で持ちきりになった。

 鶏小屋は生徒で溢れていて、他の教師が対応している。

 教師は大きな口を開けてこちらを見たとき、

「僕、生活部です」

 と告げた。

 包囲網をかいくぐり、隣の建物から餌を出すと、鶏たちは待っていましたとばかりに鳴き声を上げる。

 数をかぞえると間違いなく五羽いるが、一羽元気がなかった。

 餌を見て立ち上がるが、どこか動きがおかしい。ゆったりしているというか、鈍い。

「体調が悪い?」

 声をかけてみると、鶏はこちらを見る。エサも一応つついてはいた。

「倉木」

 誰かに声をかけられるが、教師たちは戻っていったため回りには人がいない。

 もう一度呼ばれる方へ向くと、二階から秋尋が手を上げていた。

「よ」

「藤宮君」

「鶏の調子は?」

「うーん」

「倉木の調子は?」

「それはばっちり」

「そっちに行く」

 秋尋は一度顔を引っ込めると、一分足らずでやってきた。ほんのりと顔が赤い。

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