第3話 ふたりの秘密

「あの鶏だよ」

「餌は食べてるけど」

「さっきはちょっとおかしかったんだ」

「生活部の先生に言った方がいいかもな。それと、今朝なんだよ」

「今朝?」

「機嫌悪かったのか?」

「ああ、あのとき」

「そ。あのとき」

「そんなんじゃないよ。うまく説明できないけど……なんか恥ずかしかった」

 秋尋に顔を覗き込まれ、またもや顔を逸らす。

 自分でもコントロールできないもやもやに「久しぶりだから緊張した」と結論づけた。

 職員室にいる部活動の教師へ説明すると「大丈夫」だと一言。それだけだ。解決へ導く方法もないのに、任せるしかなかった。

「チェス部行かないの?」

 職員室までついてきた彼に問うと、

「さっき顔は出した。帰ろう」

「うん。それにしても不思議だよね。鶏が消えたり増えたり」

「倉木が見たのは本当だったんだな」

「でしょ?」

 窓夏は得意げに言う。

「朝も昼もそういう現象が起こるみたいだし、夜とかどうなんだろ」

「確かめてみるか?」

「どうやって?」

「侵入」

 さらりと言い、眼鏡の奥に笑みが映る。

「本気? 夜に中へ入るの?」

「怪奇現象なら夜に起こるもんだろ」

「そうだけど……でも、」

「倉木」

 秋尋は立ち止まり、振り返った。

「ごめん。無理言った。夜の学校に興味があっただけだ」

「僕は大丈夫。鶏が心配たし、入ってみたい」

 秘密を作るというのは、胸をときめかせる。

 決行は土曜日の夜だ。何食わぬ顔で平穏に授業を終え、そのまま帰る。

 駅前のコンビニで待ち合わせして、学校へ向かった。

 私服で見る彼は大人っぽく、窓夏は目をしわしなく動かしながら足を早めた。

「校門しまってるよね」

「ああ。けど正面突破しかない」

 厳重に鍵までかけてあり、びくともしない。

 秋尋は足をかけて簡単に飛び越えていく。

 真似をして乗り越えようとするが、足の長さがそもそも違う。

「そこに足かけて。一歩ずつ上に」

 頂点まで達したが、思っていた以上に高い。

「ほら」

 秋尋が手を差し出したので、反射的に重ねた。

 子供のように抱き上げられ、簡単に下ろされてしまう。

「複雑」

「身長はそのうち伸びる。気にするな」

 頭までぽんぽんされてしまう始末だ。

 校舎裏に回り鶏小屋に向かうと、昼間の現象が再び起こっていた。

 鶏小屋は解錠されていて、鶏が一羽消えている。

「鶏が開けられるわけないよな」

「内側からは鍵の開け閉めはできないよ。でもこれって誰でも簡単に開けられるんだよね。ここの取っ手を下げるだけだから」

「見てみろ」

 視線の先には、鶏の羽根が落ちている。

「向こうみたいだな」

 前を歩く秋尋を追いかけていくと、事務員のいる建物の前に着いた。校舎は真っ暗だが、この建物は誰かいるのか明かりがついている。扉の前にも羽根が落ちていた。

「開けるぞ」

「え、待って」

 制止も聞かず、秋尋はノックもせずに扉を開けた。

「ひいっ」

 事務員が女性のような悲鳴を上げ、椅子から飛び起きた。

 机には鶏がおとなしく座っていて、もう一人の男性も驚いた顔をする。

「すみません。鶏がいなくなる事件について知りたくて、夜に来てしまいました」

「君はここの生徒?」

 もう一人の男性が、穏やかに話しかけてくる。

「はい。動物の世話をしています。生活部なんです」

「とても真面目で優しい子だ。今ね、鶏の体調を診てるんだ」

「もしかして、獣医さんですか?」

「ああ。ここの教頭先生と友達でね、元気のない鶏がいるから診てほしいって頼まれていたんだ」

「一羽いなくなるっていうのは、ここの建物に連れてきていたからか」

「その通り。鶏小屋だと場所も狭いし、見慣れない僕がいると鶏たちも落ち着かないからね。一羽ずつ連れてきて、他の子たちの体調も診ていたんだ」

 鶏はおとなしく、黙って目を閉じている。

「もうおばあちゃんだからね。若い鶏たちと比べると動きは鈍くなってるけれど、体調には問題ないよ」

「良かった。元気がないからどうしたのかと思っていました」

「様子をしっかり見てあげてね。それと……」

 獣医は事務員と目配せした。

「変な噂を立ててしまって、申し訳なく思っているよ。君たちにお願いなんだけど、できれば他の言わないでほしいんだ。鶏のことを話してしまうと、人が集まってストレスになってしまう。獣医としてもそれは避けたい」

「分かりました。学校の七不思議の一つとしておきます」

「ありがとう」

 その後は事務員に結局怒られてしまった。

 帰り道、夜空には大きな月が顔を出している。

「あーあ。月がきれいだなあ」

「……そうだな」

 秋尋は振り向き、微笑みながら呟いた。

「事件解決したね。まさか獣医さんが関わっているなんて少しも思わなかった」

「ああ。秘密ができた。卒業まで口を滑らせずに過ごさないとな」

「ふたりだけの秘密だね」

「そうだな。本当に、綺麗だ」

「月?」

「それも」

「も?」

「秘密」

 鳥の巣になるくらい、秋尋は窓夏の頭をぐしゃぐしゃにする。

 太陽に照らされてもいないのに、窓夏は顔が熱くなった。




 二年に上がり、少し短くなった袖に手を通す。

 クラス替えによって変わったクラスも椅子も机も、まだ馴染まない。

 あのときと同じ光景で、彼は相変わらず本を読んでいる。

 秋尋はこちらに気づき、微かに笑みを零した。

「よしお前たち! 明日はマラソンをやるぞ!」

 新学期早々入ってきた担任は、恐ろしいことを言ってのける。

「先生、ここ進学クラスなんだけど。しかもA。マラソンなんて必要ないですが」

 女子生徒がだるそうに口を挟む。

「勉強も大事だが、お前らはまだ中学生だろう? 体力をつけるのも勉強の一環だ」

「だる」

「休もうかな」

「言っておくが、体育の成績に影響があるからな」

 ブーイングが起こったところでチャイムが鳴る。

 今日は式だけなので、あとは帰宅だけだ。

「倉木」

 大人びた女子の視線を浴びながら、窓夏は顔を上げる。

 一年の頃から注目を浴びつつあったが、彼が密かな人気だとクラスに入ってから知った。女子生徒の視線はほぼ彼が独占している。

「帰ろう」

「うん」

 秋尋と約束したわけではなかったが、自然と席を立った。

「風邪引いた?」

「なんか、喉が痛い」

「声変わりだな。大人の仲間入りだ」

「明日、風邪だって嘘ついて休めないかなー」

「だるいよな。俺も休みたい」

「藤宮君は運動神経ばつぐんじゃん」

「マラソンは体力あるかどうかごまかしがきかない。そこ、危ない」

 溝にはまりそうになり、秋尋は腰を掴んで引き寄せる。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「こういうのって、映画とかであるよね」

「あー、そ、うん」

「なにその返事」

 しどろもどろになる秋尋に、つっこまずにはいられない。

「恋愛ものの映画でなら、観たことあるな」

「映画好きなの?」

「まあまあ観る。ジャンル問わず」

「おすすめとかある?」

「好みあるからなあ。今はお前が好きそうな動物系はやってなかったはず」

「藤宮君のおすすめが知りたい」

「面白いか分かんないけど、新しくやってる恋愛映画ならこれから観ようと思ってる」

「CMでやってるやつ?」

「それ。行く?」

「行く!」

 窓夏は勢いよく答えた。またもや溝に落ちそうになり、腰を支えてもらう。

「細いな」

 またもや頭をぐしゃぐしゃにされた。

 お構いなしな行動は、心を荒々しくさせる。波がやってきて、残る理性を奪っていく。

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