第4話 初めての彼の家

 不慮の事故というのは突如起こるもので、何があったのか把握するまで時間がかかった。

「大丈夫?」

「……………………」

「大丈夫? 聞こえる?」

 二度声をかけられ、窓夏は頷いた。

 辺り一面真っ白な部屋で、薬の臭いも混じり、保健室だと気づく。

「体育の授業中に倒れて、ここまで運ばれたのよ」

「ああ……」

「いきなり無理な運動したのが原因ね。それと水もあまり飲んでないでしょう? 念のため病院へ行った方がいい。今、おうちの方が来てくれるから」

 頬に固いものが当たり、顔を傾けるとピンクの箱が見えた。

「ここまで運んでくれたお友達が置いていったのよ」

「運んだ?」

「だっこして連れてきてくれてね。すごく心配してたわよ」

「背が高い、眼鏡の人?」

「そうそう」

 知る限りでは秋尋しかいなかった。何十人も生徒がいる中、さぞ注目を浴びただろう。

 それとあの仏頂面がどんな顔で抱き上げたのか、見たくもある。

 ピンクの箱は、牛の絵柄がついたいちご牛乳だ。甘ったるさが有名で知らない者がいないという、しかも学校限定の商品。百円出せば十円のお釣りが返ってくるのだから、怖いもの知らずで誰でも一度は購入した経験があるだろう。

 迎えは母が来て、すぐに病院へ向かった。

 体調は保健の先生が言った通り、軽い日射病だった。

 水を飲んで点滴を打ってもらうと気分も落ち着き、すぐに家に帰った。

 机の上にいちご牛乳を置く。

 もったいなくて、飲むことができなかった。

──いちご牛乳ありがとう。

 だっこされたなんて恥ずかしくてメールを送れなかった。

──どういたしまして。飲んだ?

 メールを続けられるチャンスだ。

──飲んでない。甘いんでしょ?

──甘いの好きじゃないのか?

──好き。

 メールがやや遅れて届く。

──ならよかった。好きだと思って。

──うん、好き。

 またもや遅れて届く。

──体調はどうだ?

──いい感じ。一応寝てるけど、普通に歩けるし食欲あるし問題ないよ。

──明日の映画はなしで、来週にしよう。

──元気だよ?

 予定が狂ってしまいそうなので、勇気を出して電話をかけた。

『最初から電話にすればよかったな』

「うん。あの、それで、映画は観るよ?」

『考えたんだけど、映画は映画館で観るだけじゃないんだよな。家で観る?』

「藤宮君の家で?」

『ああ。けっこういろいろ揃ってる』

「行きたいけど、急に行ったら迷惑じゃない?」

『誰もいないから大丈夫』

「おうちの人いなくて行ってもいいの?」

『一人暮らしだし。お手伝いさん来るかもだけど』

「お手伝いさん? 藤宮君ってどんな暮らしぶり? 興味が沸いてきた」

 中学生で一人暮らしとは、初めて聞いた。

 興味と心配が入り混じった言葉で投げかけると、自分のことなのに興味がなさそうに鼻を鳴らす。

『実家にいるよりはずっといい。親のすねかじってるけど』

「中学生なんだから、かじれるものはかじっていいと思うよ」

 電話越しに吐息が聞こえた。

 言葉少なめに明日の約束をし、電話を切った。


 駅前の約束より、十分ほど早く秋尋は来ていた。

「どうも」

「こんにちは」

 学校以外で会うのは初めてではないのに、緊張した。

「ここからそんなに遠くない」

「じゃあ学校からも近いんだね」

「まあな。体調は?」

「もうばっちり」

「絶好の映画日和だな」

 駅裏にあるマンションは、暗証番号を入力しなければならなかった。

「お金持ちの人みたい」

「金があるのは親」

「すねかじってるってそういうことなんだ」

「そ」

 エレベーターに乗ると、妙にそわそわした。

「落ちつかない。悪いことしてるみたいで」

「親になんて言ってきたんだ?」

「友達と遊ぶって言ってきた」

 エレベーターが止まると、身体に下からの圧迫感がある。

「襲ったりしないから大丈夫、多分」

 爆弾発言を残して、彼は奥から二番目の部屋に立つ。

 ドアが開くと、香水とコーヒーの混じった香りがした。

「おじゃまします」

 一人暮らしの部屋ではない。家族で暮らせるような広い部屋で、家具の数が見合ってなかった。

 ちょこんと置かれたテーブルとイス、中学生らしくもないシンプルな大人の部屋だ。しなびれた観葉植物がもの悲しい。

「なんの植物?」

「柚子。実がなる気配はなし。もらいものだから、どうしようもなくて置いてる」

 質問したかったことは事前に答えてくれた。

「肥料とかあげないといけないんじゃない?」

「かもな。俺は生き物の人生を背負えるほどできた人間じゃない」

「中学生なのに背負うものが大きすぎだよ……。それくらい命を大切にしてるってとらえられもするけど」

 携帯端末を出して、柚子、観葉植物と入れてみる。

「花言葉は、恋のため息だって」

「はあ……」

「あ、ため息」

「俺に似合ってないと思って」

「そんなことないよ。あと日当たりを好み、水をたっぷりとあげましょうだって。日当たりは大丈夫そうだね」

 ベランダの側に置いていて、直接太陽光も当たっている。

「水は……土が乾いてるよ」

「分かったよ」

 秋尋はボウルに水を入れて──ついでにコーヒーをセットして──もってきた。

 雑に水をかけると、土はすぐに吸い取り一瞬でなくなっていく。

「おお、いいね。水もお腹空いてたんだよ」

「も? 倉木も腹減りか。クッキーあるけど食べる? もらいもののやつ」

「食べたい。そんなにもらうの?」

「ああ。食べ物関係は助かる」

 誰から、とは聞けず、コーヒーができたと音が鳴った。

 ミルクたっぷりのカフェオレとコーヒー、そしてジャムが乗ったクッキーで乾杯し、秋尋はブルーレイをセットした。

「恋愛系?」

「そ。そこそこどろっとしてる系」

「うわあ。人の恋愛に首突っ込むのって作り物でも目隠しちゃう」

 パッケージはアクション映画のようなデザインだ。

 女性が銀行へ入っていくシーンから始まる。

 マスクとサングラスをかけた数人の男が現れ、女性が人質に取られた。

 銀行へ強盗をした男性、人質にとられた女性がのちに出会い、恋愛関係になる話だ。

 濡れ場は多いし男性は強盗は続けるし、胃が痛む。

 男女が絡みが始まると、窓夏は横目で彼を盗み見た。

 コーヒーカップを片手に真剣な眼差しをしていて、すっきりとした目鼻立ちに目を奪われる。睫毛が陰を作り、まばたきのたびに揺れる。

「……倉木」

 身体を揺さぶられ、まぶたを開けた。

 薄暗い部屋の中、テレビ画面はエンドロールに突入している。

「ごめっ。うそ……」

「つまらなかったか?」

「そんなことないよ」

「映画を観て眠くなるのは、脳がつまらないと反応しているからだそうだ」

 秋尋はふたつのカップを手にし、ソファーから腰を上げた。

 今度は紅茶をもらい、飲み慣れない味にミルクをたっぷりと入れる。それとビスケット。

 秋尋はミルクティーにビスケットを浸し、たっぷりと染み込ませると、口へ運んだ。

「びっくりの馴染みのない食べ方って顔してる」

「ええ?」

「ダンキングってやつ。外だとできないな」

「僕もやる」

 固めのビスケットは紅茶を含むとぐにゃりと曲がる。甘い紅茶に塩味の強いビスケットはよく合った。

「美味しい」

「な」

「藤宮君の家ではよくやるの?」

「俺だけ。だから実家ではできない」

 遠くを見つめる秋尋は、近くて遠い存在だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る