第26話 心欲の過ち
お礼をしたいと言い張る女性に対し、円は声を出せずに首を横に振るしかなかった。
拾ったのではない。ただの犯罪者で、お礼を言われる筋合いはない。
「じゃあ、お名前を教えてくれる?」
「ま、円……」
男はこちらを見て、ちょっと笑った。
名前をばかにされたようで、悔しさが滲む。
女みたい、ダサい名前だと言いたいに違いない。
「これ、あげる」
女性がポケットから取り出したのは、キャンディーだった。
子供騙しの安そうなお菓子に辟易しながらも受け取った。
手を振る女性に軽く頭を下げ、いらないキャンディーをしまう。
「なんで助けたの」
「どうしてだろうね」
男は笑っている。
「どうするつもり?」
「どうって?」
「警察に突き出すの? こういうのって刑法ってやつに引っかかるんでしょ」
「ずいぶん難しいこと知ってるね」
男はソファーに座ろうと言った。
「おうちの人はどこにいるの?」
「さあ。仕事だからどっか行った。部屋にいないし」
「じゃあひとりなんだ」
「うん。お兄さんも?」
「ううん。恋人と一緒だよ」
臆することなく、堂々と言う。
恋人。小学生でも彼氏彼女の関係を持つクラスメイトはいるが、公園へ行ったり一緒に帰ったりする程度だ。
大人の恋愛に興味があるも、なんだか気恥ずかしい。
「どんなことするの?」
「手繋いだり、ふたりでお出かけしたりかな」
「なんだ。子供の恋愛みたいじゃん」
「ふふ、そうだね。子供みたいにわいわい騒いでるよ。トランプしたり、肩並べてテレビゲームしたりだとか」
「どのくらい付き合ってるの?」
「ずっと一緒にいるよ。中学のときの同級生なんだ。会えなかった期間もあったけど、他の人を好きになったりしなかったから。気持ちは十年好きかな」
「そんなに?」
「さっきの女の人も、大恋愛中みたいだよ。財布に彼氏の小さな写真が貼ってあった」
話を蒸し返され、押し黙ってしまう。
「中身を確認するより、財布に貼ってた写真を確認してた。とても大事だったんだね」
「なんで警察に行わないの? 船の上だから?」
「過ちを犯したかもしれないけど、中身を盗らずに彼女の手元に渡った。人のものを盗ってしまうのは、本当に物欲があったとか、心欲があったのかどちらかだ。君はお金に困ってないよね?」
男は少年の着ている衣服を見ている。
全身ブランドに身を包んでいるのは、自分の趣味ではない。すべては親の都合だ。
「フランスにも展開してるんだよね、そのブランド」
「どうして知ってるの?」
学校に着ていっても、誰もブランドに触れる人はいなかった。
気づいてもらえて、嫌いでも少しだけ鼻が高い。
「お兄さんの知り合いがね、ちょっとブランドに詳しい人がいるんだ」
「あー、それで」
「ブランドはあまり好きじゃない?」
「親が作ってるだけ。着させられてる。本当は嫌い」
「回りに振り回されるってつらいよね。自分の気持ちは吐き出してもいいと思うよ。本当はもっと着たい服があるんだって」
「今日、ケンカしたんだ。塾とか行きたくないって話したら、ビンタされた」
初対面の人に話すのは勇気がいったし、話しやすくもあった。
友達じゃない、赤の他人だからこそだ。それと優しい口調が心を無理やりこじ開けてくる。
「お兄さんが君のお父さんとお母さんに話してあげようか?」
「えっいいよ。なんでそこまでしてくれようとするの?」
「ちょっとしたお礼かな。間接的にね、僕の大事な人がお世話になってるんだ」
「大事な人……」
直感だが、大事な人と言うのは恋人だろうと思った。
恋人の話をするとき、彼は頬がだらしなく緩む。目元が優しく細くなるのだ。
入り口で父と母が辺りをきょろきょろしている。とっさに縮こまってしまった。殴られた後、ごめんなさいもしていない。
隠れるか逃げてしまおうかと腰を浮かせたとき、隣のお兄さんが早く立ち上がり大きく手を振った。
「あっくん、こっちこっち!」
『あっくん』と呼ばれた大男は人差し指をかざし、しーしーと焦っていた。
「わ、ごめん……」
お兄さんは口を両手で隠し、小さな声で謝った。
「ったく、なにやってるのよ! どうして部屋にいないの! ……本当に申し訳ございません。うちの子が勝手に出歩いてしまったみたいで」
「いえいえ、ソファーでおとなしく座っていましたよ。大きな船といえど、子供が遊ぶようなものもないですし、暇になってうろうろしたくなる気持ちは分かります」
母親ががみがみとうるさいが、円は横にいる男が気になって仕方ない。どこかで見たことがある。
男は円に気づくと、片目を閉じてウィンクした。
「…………あ」
ドラマで見たことのある人だった。
父が作ったブランドのモデルをしているアキ。
いろんな意味でテレビの世界を騒がせた人。
彼を養護する人もいれば、クラスの女子はファンだと言っていたのにいきなり毛嫌いするようにもなった。
そしてお兄さんはあっくんと呼んだ。
パズルのピースがはまっていき、探偵になった気分でもあり、驚きで声が出なくなった。
「まさか……恋人って……」
「どうかした?」
「……なんでもない」
胸の奥がぞわぞわする。なんせ初めて出会ったのだ。同性愛者という人に。
気持ちとは裏腹に、父と母はぜにお礼がしたいと何度も頭を下げている。
「窓夏、せっかくだから一緒に食事でもしないか?」
最初は自分が呼ばれたのかと思い顔を上げたが、こちらを見ていなかった。
秋尋の視線はお兄さんに向かっている。
「言ってなかったね。僕も窓夏っていうんだ。さっき、君の名前に笑ったわけじゃなくて、同じ名前なんだなあって嬉しくなっただけ。男で『まどか』も珍しいでしょ?」
窓夏は手を差し出してくる。恥ずかしいし、こんなところクラスメイトには見られたくなかったが、仕方なく手を伸ばした。
食べ放題のフロアではなく、一つ先のステーキが食べられる店に向かった。
秋尋と窓夏はずっと仕事の話をしている。秋尋は特に鞄のデザインが好みだと話せば、父は嬉しそうに頬を緩めた。
テーブルには、向こうに父と母、両隣に秋尋と窓夏を挟んで座った。
窓夏はテーブルにつくなりメニュー表を差し出してくる。
「どれがいい?」
「これ」
「いいね。ハンバーグなら僕も大好きだよ」
窓夏はお構いなしに話しかけてきた。
両親は秋尋とずっと話をしていて、こちらを見向きもしない。
円は警戒していた。いつ窃盗の件をばらされるかひやひやしていたからだ。
注文が来ても、窓夏は当たり障りのない話をする。学校はどうだの、友達とどんなことをするのだの、肉を飲み込むたびに聞いてきた。
大人の考えていることは分からない。父も母も、同性愛者であるこのふたりも。
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