第33話 最後の瞬間まで
「藤宮君に会いにきたのは本当。無性に会いたくなっちゃって」
「もしそうだとすると、どうして住んでいる場所が分かるのか知りたくなるな」
「私ね、あなたのファンクラブに入ってるのよ」
「ファンクラブで家の話も引っ越しの話もしていないが」
「ネットで調べれば、芸能人の住んでる場所なんてわんさか出てくるもんよ。直接の場所は載ってなかったけど。恋人がいるってラジオで言ってたけど、やっぱり倉木君なのね。週刊誌に彼の後ろ姿も載ってて、影武者の疑いもあったのよ」
「俺に会って、どうするつもりだったんだ?」
「お礼と、気持ちを伝えるために」
「腕時計の件か?」
「もっと前の話。いじめられていたとき、助けてくれてありがとう」
北山という女性は、確かによく一人で本を読んでいる印象を受けた。
「いじめ、られていたのか? 全然気づかなかった」
「クラスの女にね。ああいう体型だったから、馬鹿にされてた。でもあなたは庇ってくれた唯一の人だから。好きになるなってのが無理だったは」
「それはどうも」
「どういたしまして」
さらっと告白を受け、さらっと流す。
今はこれが有り難い。どうやっても彼女が望みそうな返事をすることができないからだ。
「倉木君は私に気づかなかったけど、必死に時計を探してくれた。どうしてこう、ふたりは優しいのかしらね」
「幸せに満たされてるからじゃないか? 幸せを感じていないとどうしたって他人に優しくできない。少なくとも俺はそうだ」
「あの頃も、幸せだった?」
「ああ。幸せで倉木しか見えていなかった。これを北山に届けることで、どう思うか分からないが」
防水ではないシンプルな時計は、落とした時間で止まっている。
「時計は壊れても、時間は有限だ。北山の幸せを祈ってる」
「……会いにきて、本当によかった」
「倉木には北山だったと伝えた方がいいか?」
北山は少し悩み、頭を振った。
「言わないで。元クラスメイトとしては気づいてほしかったけど、週刊誌見てるといろいろあったみたいだしね。私が会いにきたことで、ライバル増えるんじゃないかとか余計なことを考えさせてしまうかもしれないし。やっぱり知らないままの方がいいかも」
「分かった」
秋尋としても心配事を増やしたくない。最前の選択肢だと思えた。
見えなくなるまで彼女を見送り、秋尋は岐路に就いた。
「倉木……か」
忘れるわけがないが久々に窓夏を名字呼びした。
呼び慣れていたはずなのに、今では違和感がある。
一番近くにいるのは自分だと誇らしくもあった。
家に戻ると、カレーの香りが充満している。
「おかえり」
「ただいま」
二度目だが、何度やりとりしてもいいものだ。
「さっきの女の人は? 何か言ってた?」
「腕時計のお礼を言っていた。ありがとう、だそうだ」
「そっか。結局壊れちゃってたよね」
「防水仕様ではなかったからな」
「うん……」
「窓夏?」
窓夏の視線がテーブルに落ちる。あ、と声に出てしまったが、時すでに遅し。
「人生最大の二度目の失態を犯してしまった」
「二度? 一度目は?」
「中学の卒業式の日、お前と別れたこと。最悪だ……こんなつもりじゃなかった」
「いやあの……そんなに落ち込まなくても……。慌てて僕を捜しにきてくれたんだし」
正方形の箱が、テーブルの上に置きっぱなしになっている。
何が入っているかは一目瞭然で、将来を誓い合う大事なものなのに、こんなに物悲しいブツだとは思いもしなかった。
「見なかったことにはできないよな……」
「難しいけど……努力してみる」
窓夏の耳が赤い。こんなときも、かぶりつきたいくらい良い色に染まっている。
「え、今?」
「そ。今」
覚悟を決め、片膝をついた。
可愛いコアラのエプロンを身につけた彼を見上げ、正方形の箱を開く。
シンプルな銀色の指輪が二つ並んでいる。
「結婚して下さい」
「喜んで」
下さい、を言い終わる前に、前のめりで返事がきた。コアラも顔を突き出してくる。
「指輪、はめて?」
かつてこれほどまで緊張した経験はない。
一つ指輪を手に取ると、左手の薬指にはめた。
「いつサイズ測ったの?」
「お前が隣で寝てるとき。全裸で」
「全裸で、かあ。測りやすかっただろうね」
「邪魔するものが何もないからな」
お互いに笑い合い、窓夏も指輪を取り、秋尋の指にはめる。
「こうしていると、腕時計もほしくなるな。お揃いで買ったら身につけてくれるか?」
「もちろん。すごく嬉しい。高いのは止めてね」
「いくらくらいで高いのになるのか分からないが、譲歩する」
「僕らって、何度も結婚しようって話ししてたじゃない? こうなるのって夢のまた夢だと思ってた。山あり谷ありすぎて、こういう幸せは遠いものだと思ってたから」
まだ現実を受け止めきれないのか、窓夏は薬指を見て目が潤んでいる。
「山ばかり続くときもあるも思う。けど俺とお前の人生は約束されていて、ふたり一緒なのはこの先も変わらないから。ありきたりだけど、二度と離さない。中学卒業のときみたいな思いはもうたくさんだ」
「それ僕もだよ。どれだけ引きずって忘れられなかったと思ってるの」
鼻をくっつけると、こんな距離感でいられるのは窓夏しかいないと幸福感に包まれた。
窓辺へ続く青春に僕たちの幕が上がる 不来方しい @kozukatashii
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