第22話 守りたいもの

 すれ違った生活に終止符を打つ。

 再び立った門の前で、腹筋に力を入れた。

 祖父の容態については聞いていたものの、いざ元気になった彼に会うとなると気がおかしくなりそうだ。

 門前払いをしたそうな出迎えに手を上げて答え、さっさと中へ入っていく。

「お待ち下さい! 宗家は本日、誰とも会う予定はございません」

「予定がないなら入っていいよな」

「そういう意味では……秋尋様!」

 襖の向こうには、顔色の良くなった祖父がお茶をすすっていた。

 頬は痩せはしたものの、まだまだ現役を通すというほど強い眼差しを感じられる。

「お久しぶりですね」

「何をしにきた」

「テレビをつけているということは、報道をご覧になったようですね。お騒がせして申し訳ございません。言い訳ですが、この家の特殊な事情や私の生まれの情報を売ったのも私ではなく、第三者である何者かです」

「当たり前だ。お前の生まれなど恥ずかしくて誰が口を開けるか」

「私は恥ずかしいと思ったことなどないのですけどね」

 祖父が口を開ききる前に、秋尋が言葉を続けた。

「残念ですが、芸能界とは汚い世界です。お金のためなら過去やプライベートも暴く。今回は運が悪かった」

「運が悪いとだけで、済ませられると思うのか」

 宗家として、自分の娘を離れに追いやった現在も世にさらされ、痛手を負ったのは違いない。

「秋尋様、なにを……」

 秋尋は畳に手をつき、頭も下げた。

「宗家の望みをお聞かせ下さい」

「お前の母親を下坂家へ嫁がせようと思う」

 下坂家とは、藤宮家の分家にあたる。今は下坂家が力は強く、祖父からすれば分家をねじ伏せたいとも思うし、力をつける家は手放したくないとも考えるだろう。

「それだけはご勘弁を。母は年齢的にも子を生むことは難しいです。下坂家へは私が行きます。彼らの跡継ぎは女性ばかりで、なんとしても男がほしいでしょう」

「ならばそれと、母を永久的に屋敷から追放する。それでよいな」

「はい。甘んじて受けさせて頂きます」

 子供だましの駆け引きに心底吐き気がした。

 宗家は母を渡すつもりなど最初からなかった。下坂家に男子がいるが、まだ未成年だ。母を犠牲にすれば、必ず息子がかばうと分かった上での行動だろう。

 秋尋は顔を上げてもう一度頭を下げた。

 襖を閉じて正文に会いに行こうとすれば、彼から姿を現した。

「一発殴っていいか」

「はい」

 遠慮なく、秋尋は拳を握り彼の左頬に当てた。

 息を吸う間もなく殴られた正文は体勢を崩し、廊下に尻をついてしまう。

「俺の恋人に余計なことを言った分」

「分かっています。申し訳なく思っています」

 手を差し出し、彼を立たせた。

「兄さん、さっきの話だけど……」

「ああ。下坂家に行くのは俺」

「倉木さんはいいの?」

「別れさせたかったんじゃなかったのか?」

「そうだけど……その、ラジオ聞いたんだ」

 熱い心を惜しげもなく生放送でぶちまけたのは、無駄ではなかったらしい。

「俺が誰と結婚しても、窓夏に対する愛は変わらない。執着心がひどいんだ下坂家はほしいのは跡継ぎであって、俺じゃない」

「けど……倉木さんは悲しむと思う」

 どの口がそれを言うか。

 秋尋はぐっとこらえ、別れの言葉を口にした。

「それじゃあな、元気でやれよ」

 あっさりしているが、これでいい。正文とは生きる世界が違う。

 離れの家は窓が全開だった。母が顔を出しこちらに気づくと、おいでおいでと手招きする。

「ちゃんと連絡してよ、もう。ご飯は食べた? 体調悪くない?」

「食べたし悪くない。中入るよ」

 母親というのは口うるさい。離れて暮らすと、嬉しくてたまらなくなる。

 部屋はダンボールで山積みだった。

「引っ越しの準備?」

「そう。離れから出て暮らすことになったのよ」

「家から追い出されるっていうのにあっけらかんとしてるな」

「お金は支給されるから、苦労もそんなにないしね」

 祖父と取引をしたが、取引にもなっていない。

 元から決まっていたことを、さも今決めたと言わんばかりに告げられただけだ。

「引っ越しする場所は、一緒に決めよう」

「子供じゃないんだし、別にいいわよ」

「心配させてくれ。俺からしたら、たったひとりの親なんだ」

「はいはい。今ね、候補をふたつくらいに絞ってあるから一緒に行きましょうか」

 母は席を立ってコーヒーを入れてくれた。

「メールでも聞いたけど、窓夏が来たんだって?」

「あんなに可愛らしい子だとは思わなかったわ。引っ越ししたらふたり揃って遊びに来やすくなるわね」

「ああ、必ず会いにいく。……悪いが早々に退散するよ。また近いうちに」

「もう?」

「人が来た」

 まだ熱かったがなんとかコーヒーを一気飲みし、立ち上がった。

 キスで火傷をどうにかしてもらおうと不埒なことを考えつつ、母に対面させまいとさっさと家を後にした。

「さなえ」

「秋尋坊ちゃん」

 大きなお腹を揺らし、恰幅のよい女性は乳母だ。豪快に笑い、怒り、何度も宿題を見てくれた、もう一人の母親。後ろには見張る男がいる。乳母がこちら側の人間であれば、男は向こう側の人間だ。

 睨んでも席を外すように言っても無駄だと知っているので、気づいていないふりをするしかない。

「さなえ、今までありがとう。それとわがまま言ってごめん」

「なにを言っているんですか。坊ちゃんがこんなに大きくなられて、いつも活躍を楽しみにしているんですよ」

「ありがとう。何度伝えても足りないくらいだ。抱きしめてもいいか?」

 さなえは一瞬驚いた顔をするが、頷いて手を広げた。

 エプロンの裾にそっと忍ばせたボイスレコーダーと名刺。

 重みにより、さなえは微かに顔を強ばらせた。

「いつもさなえは助けてくれた。意味の分からなかった算数の宿題も、さなえがいたから解けたんだ」

「それくらいたいしたことないですよ」

「本当に?」

「ええ、もちろんです」

 伝わった。それだけで充分だ。

 助けてくれた。たいしたことない。隠されたキーワードを元に、勘のいい彼女なら動いてくれるだろう。問題は藤宮の人間をかいくぐれるかどうかだ。

 背中を数回叩き、お互いに離れた。

 さなえは何か言いたげだったが、下唇を持ち上げた。

「じゃあ行くよ。さなえに届くように、もっと活躍してみせる」

「ええ、ええ。映画も楽しみにしています。秋尋坊ちゃんの一番のファンです。何かあってファンがいなくなっても、私はいつも味方ですよ」

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