第21話 意地もプライドもいらない

 廊下で聞こえる足音に頭が冴えてきた。だがまぶたが石のようで動かない。

 部屋のドアが開いた。枕元に立つ人物に今すぐ抱きつきたい衝動に駆られるが、手も足も重かった。

──ごめんな。

 口元に暖かなものが触れ、すぐに離れていく。

 ドアが閉じる音がすると、安心しきって再び深い眠りについた。

 起きたのは正午に近い時間で、部屋に残る独特の香水の匂いが全身を痺れさせた。

 大量に消費したティッシュの山をくずかごに捨て、気だるい身体を起こしてシャワーを浴びた。

 冷蔵庫に入れてあったようかんがひと切れ無くなっている。

 なんだか嬉しくなり、牛乳とようかんで遅い朝食を取った。

 テレビをつけると、芸能人の熱愛についてコメンテーターが議論を交わしていた。秋尋の顔が映ったとたん、リモコンを向ける。

 静まり返る広い部屋にいたくなくて、マンションを出た。

 もう外に記者はおらず、近くのコンビニで雑誌と飲み物を買ってすぐに戻った。

 芸能人の熱愛は誰もが興味の対象となるネタで、良くも悪くも盛り上がる。

 高田の撮った写真も載せられていた。白黒で後ろ姿だが、職場の人間ならすぐに分かるだろう。

 一瞬、何の写真か分からなかったが、背景の飾りつけから中学時代の文化祭だと理解する。

 女子生徒に囲まれる中、上着を頭から被せて必死で隠してくれた彼。十年も前に撮られた画像がこんな形で蘇ってしまった。美しい想い出が汚された気がした。

 雑誌は二週に渡ってアキの恋愛特集だった。四ページにまで渡り、秋尋の過去が暴かれている。チェス部だったことも、家が有名な華道の家だということ、父親の行方が分からないこと。

 目玉は男と同棲していることだ。窓夏と仲良くマンションへ入っていく姿は、友達とルームシェアをしているでは通らない。腕まで組んでしまっている。

 今日、秋尋は生放送のラジオに出演する。いったい何を語るのか。

 端末でラジオを立ち上げると、CMが流れた。最期の審判を下される気分で、一秒一秒が長い。

 軽快な音楽とともにラジオDJが挨拶をする。人気のDJで、数年前に同性と熱愛があった人だ。

──まずはアキ君からご挨拶があるんだよね?

 爽やかな声が場の空気を和ませた。窓夏の緊張もいくらか解れ、気持ちが軽くなる。

──世間をお騒がせてしまい、申し訳ございません。いろんな方との噂があるようですが、真実は中学からの同級生とお付き合いをしているということだけです。相手は男性で、俺から好きだと告げました。会えなかった期間が長いんですが、気持ちは中学の頃から変わることはなかった。彼の働いている職場を知り、どうしても会いたくなって押しかけてしまった。ストーカーと言われようとも、絶対に離したくなかった。

 声が微かに震えている。知らない真実まで紛れ込んでいた。

──以上です。どうかそっとしておいて頂けると助かります。

 最後の一言は、力強い意思を感じた。迷いもなく、絶対に言おうと決めていた文章だった。

──お互いに好きだと言える人に出会える確率って、どのくらいなんだろうね。とても尊いものだと思っているよ。中学生のときの恋が実るなんて素敵すぎる。

──ありがとうございます。

 恋愛の話から膨らんで、初恋や想い出話に浸っていく。

 明日もまた騒がせることだろう。けれど、不思議と心臓を鷲掴みにされる感情にはならなかった。

 どんとこいと、強く願った。




 冷蔵庫に見慣れたようかんがあり、実家へ行ったのだと知った。

 和菓子屋有名店のようかんは、贈り物として扱われるものだ。実家の冷蔵庫にも必ず入っていた。

 ひと切れもらうと、力をもらえた気がした。

 今日は雑誌の発売日だった。

 どのような記事を書かれるかすでに目を通しているが、驚愕したのは中学生のときの文化祭の写真が使われていること。

 仕事に出る前、窓夏の部屋に寄ると、気持ちよさそうに眠っている。

 文化祭の写真が載っている。女子生徒に向けられた端末がこのような形で蘇るとは、一番残酷なのは人間だと思い知る。

 名残惜しく家を後にし、向かった先はラジオ局だ。

「ちょっとちょっと、暗い顔して来ないでよ。大丈夫だから」

「ご迷惑おかけしてすみません」

「迷惑だなんて思ってないって」

 さすがというか、いろんな芸能人をゲストに迎えるスタッフは、なんでもないと余裕綽々だ。

 少し遅れてDJが入ってくる。同性と恋愛していると公表した人だ。物腰柔らかで、女性ファンだけではなく年配者にも多いと肯ける。

「番組に入ってから、先に謝罪させて下さい」

「何に対して?」

 DJは一瞬真顔になった。

「世間を騒がせてしまったことについて、です」

「ああ……そういうこと。それなら冒頭で時間を取ろうか。あとは恋愛についてあえて話を広げるのもありかもね」

「苦しくないですか?」

 DJはぽかんとした。質問の意図が分かったのか、すぐに口角が上がる。

「どうして? 君は苦しいの?」

「大半の人が通る道を避けて、別の道を通っている最中なんです。何が正解なのか分からなくなるときがあります。でも、やっぱり好きだから絶対に他の奴には渡したくない」

「それでいいと思うよ。難しく考える必要なんてない。くねった道を進んで悩みに悩んでも、結局『好き』の一言に戻ってくるから」

「悩みましたか?」

「俺は好きならそのまま進んだね。悩んだというなら、君と同じで報道されたことだけ。いろんな方にご迷惑をかけてしまったから」

「ああ……なるほど。しっくりきました」

「ね? 単純に考えていいと思うよ」

 他のスタッフもにこにこと笑っている。

 こんなことで悩むなんて、子供だと思われているのかもしれない。

 けれど大人になりきれない子供であるのは事実だ。

 プライドも意地も捨て、守るものを優先する。

「さあ、そろそろ始まるから準備しようか」

「はい」

 柔らかな口調に緊張が解れ、秋尋はブースの中へ入った。

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