第24話 好きな道を歩みたい

 忘れていたわけではないが、情事のあまりの気持ちよさに話が流れていってしまった。

 隣で寝ている穏やかな寝顔を見ていると、すべてを任せたくなってしまう。

「っ…………」

 起き上がると頭痛に襲われ、置き薬を一錠飲んだ。完全な寝不足だ。

 情事が二時間にも及び、結局また睡眠時間が削られる。幸せな悩みすぎる。

 仕事の準備をしていると、マネージャーから電話がかかってきた。

 内容は週刊誌記者が接触してきたというもの。

 昨日の今日で、早すぎる動きに緊張が高まる。

 名残惜しいが、家を出るしかない。

 向かった喫茶店でマネージャーと合流し、遅れて記者がやってきた。緊張した面持ちで、頭を下げた。

「実は、たれ込みがありまして……。私はやりすぎじゃないかと上に言ったんですがね」

 記者は保険をかけることを忘れず、見覚えのあるボイスレコーダーがテーブルに置かれる。

 秋尋は真顔で、知らないふりを貫き通した。

「これは?」

「ちょっと聞いてもらえますか?」

 神妙な顔つきで、けれどどこか興奮気味にボイスレコーダーのボタンを押した。

 何を流れるのか分かっているため、驚くふりはなかなかに難しい。

 余計なことは言わず、黙って耳を傾けた。

 見覚えのある声が聞こえ、呆気に取られているマネージャーを横目に見た。

「これはどういうことだ?」

「驚きました。録音されていたんですね。どうもこうも、そのままです」

「下坂家は、確か分家でしたよね」

「ええ。とは言っても、家同士は付き合いがあっても俺自身はまったくないんですが。これをたれ込んだのは身内……ですよね。家での会話ですし、外から録音はとても無理だ」

「これを持ち込んだ人は、涙ながらに話をして下さいましたよ。あなたが好きな人と一緒にいられる道を選んでほしいと。私はこの記事を載せたいと考えています。ぜひ許可をして頂きたいです」

 どの口で言うのか、と膝の上で拳を作った。

 人の恋愛事情は許可を取らずに載せても、家庭の事情は許可を求める。彼の背後を考えるが、力ある家に怯えているようにしか思えなかった。それでも利用できるものは利用したい。

 秋尋は考えるふりをし、力なく頷いた。

「すみません、なんというか……。とても疲れました。いろいろありましたから」

「この話を聞かされたとき、お付き合いしている方と別れるつもりだったんですか?」

「結婚は下坂家と話をしなければならないと考えていました。俺の気持ちだけではどうにもならない問題ですから。家の事情で結婚という道はあるかもしれませんが、愛することはできないと伝えるつもりでした」

「これはまた正直ですね。若いのにご立派というか、誠実と言っていい」

「相手からの印象は最悪でしょうが」

 記者は腕時計を見た。それを合図に、マネージャーは立ち上がる。

「そろそろ時間ですね。くれぐれもよろしくお願いします」

「こちらこそ。そちらの事務所にはいつもお世話になっております」

 そういえば、同じ事務所の俳優も撮られていたなと思い出す。そんなものだ。他人の恋愛なんて、ときが経てば記憶が薄れる。

 記者が帰るのを見送ると、マネージャーは肩を下げた。

「次から次へとすみません」

「君が悪いわけじゃない。にしても、今回の件は前より大事になるかもしれない。覚悟してくれ」

「はい。何か聞かれたら誠実に対応するつもりです。もちろん、向こう側の家にも」

 自分のことで手いっぱいで、窓夏の仕事の話をほとんどしていなかった。

 彼は職場の人間に写真を撮られ、売られてしまった。さぞかしショックで落ち込んだだろう。嫌でも顔を合わせなければならず、誰にも相談できずに苦しんでいる。下っ端であろう立場上、支えになるものがあってほしい。




 職場の異変が起こったのは、二週間が過ぎてからだった。

「これはなんだ?」

「辞表です」

 言われるであろう言葉を想像して何度も練習を重ねた『辞表』を口にした。

 上司は頭を抱え、わざとらしく息を吐いた。

「本人の意思は尊重したいがな。まずは理由を聞こうか」

 見透かされたような目は心に痛く、窓夏は目を逸らした。

「いろいろと、ご迷惑を、かけるからです」

 射抜く目で見つめられるとだんだん声が小さくなるが、上司の耳には届いたようだった。

「芸能雑誌の件は、耳に入っているかと思います。間違いなく、映っているのは僕です。そのせいで、動物を観にきたお客様ではない人たちが溢れてしまっているのも事実です」

「その責任を取りたいということか」

「はい」

 力強く頷いた。

「あの写真を撮ったのは誰だ?」

「え?」

 想定してはいなかった質問に、固まってしまった。

 逃がさないと強い視線が肌を刺し、窓夏は震える唇を開くしかなかった。

「高田……さんです」

「やっぱりか」

「やっぱり?」

 窓夏は顔を上げ、訝しむ目を向けた。

 上司はおもむろに立ち上がると、今まで見たことがないほど頭を下げた。

「え、ちょ、なんで……?」

「高田は甥にあたる。勤務態度の問題もあって、注視していたんだ。まさか裏でこんなことをしでかしていたとは……」

「高田さんはどちらにいらっしゃるんです? 今日勤務のはずなんですが、控え室にもいなくて」

「高田なら辞めた」

「え?」

 大きな声が出てしまった。対照的に、上司はもう一度謝罪の言葉を口にする。

「責任を取るという名目で、今の君と同じように辞表を出した。私はそれを受け入れた。彼は二度と君の側に寄らないと誓った」

「そうだったんですか……」

 知らないところで、もう一つの事件が起きていた。どうすることもできなくて、謝罪するのもおかしな話で、窓夏は口を噤んで何も言えないでいた。

「もちろん君のせいじゃない。何も気にする必要はない。もしよろしければ、辞表を撤回してもう一度ここで働いてはくれないだろうか」

 上司はまたもや頭を下ろし、願いを乞う。

 願ってもいない話だった。

「大好きな場所でまた働けるなんて、光栄です。けど心配なこともあって、噂は七十五日といいますが、まだまだ僕は追われている身です。ご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」

「君にはまったく非がないし、表舞台には出ないように仕事をこちらで調整する」

 ここまでしてもらえて、嫌だとは首を触れなかった。

 むしろ有り難い話で、無職になった後を考えていたくらいだ。

 窓夏は涙目になりながらも「お願いします」と伏し目がちに呟いた。

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