第28話 告げられない想い

 告げられなかった想いは風にも波にも流されることがなく、いつしか後悔という形で心に留まってしまっていた。

 ゼミの飲み会でなんとしてもアピールしようと、唯一自分だけが言える持ち前の武器を披露した。

「私のお姉ちゃん、芸能界にいるんだ」

 子役から活躍している人で、一度は名前を聞いたことがあるだろうと、少しだけ世間に話題を提供した人だ。

 本当なら使いたくない方法で「姉が芸能界にいて美人なのにお前は?」とか「姉と比べて妹はぱっとしない」と言われたためだ。年頃でクラスの男子にからかわれたとなると、余計に劣等感が溜まっていく。

「なんて言う人?」

 斜め前に座っていた『好きな人』は、意外にも一番食いついてきた。芸能界なんて興味なさそうにいつもホワイトボードとノートを見比べているのだから、溜まった劣等感はこのときばかりは吹っ飛んでいった。

「結衣野みどりでモデルやってるんだ」

「そうなんだ。聞いたことあるよ。CMにも出てるよね」

「芸能界に詳しいの?」

「いや……それほどでも……」

 食いついたわりには曖昧に濁し、目の前のコーラを口にした。

 勇気を出さなければ、ここで終わってしまう。

 余分に働き続ける心臓に手を当てながら、美里は勇気を振り絞った。

「今度、お姉ちゃんが仕事場へ見においでって誘われたんだけど……一緒にいく?」

「いいの? 無関係だけど」

 無関係と言いつつ、自分の言葉に傷ついたようで苦しげに唇を曲げる。Tシャツのコアラもしわがより、苦しそうに見えた。

「友達だって言えば入れると思う」

 友達と自分が言った言葉なのに、ひどく傷ついた。友達以上、あわよくば恋愛関係になりたいのに、世の男女はうまくいかない。

「じゃあ、連絡先交換しようか」

「うん」

 手の震えに気づかれませんように、と祈りながら交換した。

 彼が誰かと交換しているところは見たことがない。第一号なら、なお嬉しい。

「楽しみにしてるよ」

 連絡先だけではなく笑顔までゲットできて、気持ちがばれないように何度も頷くしかなかった。


 少しのおしゃれと新しい口紅をつけ、待ち合わせ場所に向かった。

 相変わらずアニマルプリントのシャツだが、彼なりのこだわりがあるのだと知った。

「倉木君、おはよう」

「おはよう、美里さん」

「もしかして、あまり眠れなかった?」

 窓夏の目の下にはうっすらと隈ができている。

「暑くて、眠れなかったんだ」

 窓夏は視線を外し、行こうと促した。

 これ以上話すつもりはないと、天気の話題へ無理やり変えられた。

 真夏の太陽に黒い髪が照らされ、火照った頬に汗が流れる。

 儚さが際立ち相手は男子なのに守ってあげたい欲求が沸く。

「着いた。ここだよ」

 ロビーで招待状を見せると、窓夏へじろじろと良からぬ視線を送ってきた。

 美里はすかさず「友達です。連れていくと、姉から許可をもらってます。姉は結衣野みどりです」と早口で言い切った。

 ロビーの女性は一度電話をかけ、すぐに七階だと案内してくれた。

 エレベーターの中の彼は、どこか遠くを見ていて心が側になかった。

「倉木君って、芸能人に興味あったの?」

「……ちょっとだけ」

 彼はそう言うと、苦しそうな表情をする。興味があるようには見えなかった。知りたいのに、目を背けなければならない何かがあるのか。

 重苦しい雰囲気の中、七階へ到着すると、目に飛び込んできたのはカメラの光だ。

「お姉ちゃん……」

 モデルとしては背が低いが、負けじとポーズを決め、小さな身体が大きく見えた。

 隣にいる窓夏は落ち着かない様子で、視線が定まらずにあちこち忙しない。

 四、五人のモデルと共に撮影を終えたみどりは、妹の存在に気づきすぐに駆け寄ってきた。

「美里、来てくれたんだ」

「うん。やっぱりみんな背高いねー」

「悪かったわね。私だけ小さくて」

「ちっちゃいけど、かっこよかったよ」

 『かっこいい』は姉に対する最大の賛辞だ。姉は『かわいい』よりも『かっこいい』を好んだ。一人の人間として戦う術があり、勝ち取った生き様を褒められているようで嬉しいという。

「そちらは? 彼氏?」

「違うよ! 倉木窓夏君。同じ大学のゼミの人。興味あるみたいだったから誘っただけ」

「倉木です。よろしくお願いします」

 みどりは窓夏のファッションを見て、何か言いたそうにこちらを見てくる。

 絶対に口にするなと視線を送り、話題を変えようと頭をフル回転させた。

 尊敬しかない姉であっても、他人のファッションに口を出すのは御法度だ。プロであれば、なおさら言ってはいけないと美里は考えている。

 センスなんて人それぞれでいい。これが倉木窓夏だからだ。

「ねえ……倉木君。よければカメラで撮ってみない?」

「え……僕がですか?」

「男子用の新作の服があるの。一般の人にも着てもらって、ぜひ感想をほしいなあって話してたんだ。ね、そうだよね?」

 みどりが声をかけたのは、カメラをチェックしていた男性だ。

「それはいいね。仕事は終わったし、着替えて撮ってみる?」

「ちょっと待って下さい。モデルみたいなこと、僕は……」

 そこまで言いかけて、窓夏は口を閉ざしてしまった。

 拳を強く握り、二言目には「やらせて下さい」だ。

「あ、やってくれるの? ぜひぜひ。服を渡すから、あっちで着替えてきて」

「はい。よろしくお願いします」

 嫌がっていたのに急展開だ。戦場に戦いに行くかのような気迫を見せる窓夏は洋服をひっつかみ、大股で試着室へ向かっていく。

 美里はわけが分からなかった。目立ちたがりのタイプでもないのに、何が彼を戦士とさせたのか。きっかけなんてなかったはずだ。

 三十分ほど経過すると、どよめきとともに彼が現れた。

「ど、どうかな……?」

 戦士がいつもの窓夏に戻っているが、見た目はモデルそのものだった。

 軽く化粧を施され、髪型も緩めに後ろへ上げている。

 全身ブランドはいただけなかったが、持ち前の整った顔立ちや大きな目は負けていなかった。

「じゃあこっちに来て、何枚か撮ってみようか」

「はい!」

 他のモデルたちは興味深そうに視線を送っている。

 ライトの前に立ち、かちこちだが言われた通りのポーズを決めると、それなりに見える。

「髪をかき上げてみようか……そう、顔を下げて、視線はこっちで」

「彼、いいじゃん」

 野暮ったい服に隠された才能はまだ蕾のままだが、確実に開花されつつある。

 ライトを浴びるたびに指示がなくても咲き誇り、一輪の大花は存在感で人々を黙らせた。

「誰かに恋をしているみたいな顔、できる?」

 カメラマンからの無謀な注文に、窓夏は押し黙った。

 頬を染め、目を伏せれば瞬きすら忘れるほどの色気に惑わされる。

 香水のつけていない身体からはフェロモンを撒き散らし、欲情を醸し出した。

「やっぱり……好き」

 小声では姉の耳にも届かないが、せめて彼に届いてほしいと、強く願った。

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