第34話

 人は満たされない時何をするのか。――そう、無茶をする。

 刺激が足りていないから刺激を求めて普通ではしないような事をする。

 俺は、砂漠のようなその荒れ果て山の中で、いろいろと複数の事を同時並行に行いながら、スコープを覗き込んでいた。


「敵が来たぞー……ありゃぁレイダーだな」


 U.S.A.の中で極秘裏に公開されているニューロン暗号の一つを片付けながら、俺はそう言い紙白のアシストに入った。


『レイダーの一団確認、バタフライ1・2突撃する』


 約三キロ離れたそこで柊と葛藤さんがレイダーたち敵集団に強襲を掛けていた。

 後衛の俺達は悠々自適なものだ。敵が襲ってこない事を良い事に各々自由に過ごしている。と、言っても一応警備任務の作業範囲内での自由行動であり、俺はアフガン近辺のハイジャッカー達の提供されているニューロン暗号片を調べながら、紙白の狙撃管制も同時進行している。


『ショット……ワンヒット』


「ワンヒット。了解。……こいつは、捻くれてるなあ」


 狙撃記録を付けながら見やるその映像はデータコードである。1から9とAからZまでの文字列であるが俺のスマートグラスは俺の使いやすいようにチューニングされていて、その文字列が立体映像として見える。その立体映像は抽象画のような、曼荼羅の様にも、不定形な形に見て取れ、その色の一つ一つに、形の形状に意味があるのが分かる。

 こればっかりは説明が出来ない。意識の全てを言語化できないように、感情の全てが言語化できないように、これも言語化が難しい分野の話だ。

 強いて言うのなら精神医学。それに類する分野の話であり、これも高速・強奪ハイウェイ・ハイジャックの重要なキーファクターだ。

 精神医学であるが、脳機能の可視化が出来るようになった現代でも、このメッシュネットワークのノード、ニューロン暗号への高速・強奪ハイウェイ・ハイジャックは複雑怪奇で、それこそ精神が形のないあやふやな定義とされていた時代のような、そんなものを哲学する様に難しい分野だ。


『それやってて楽しいの? 。もう逮捕された人物のテンプレートでしょそれ?』


 紙白がそう言ってくる。

 そうだ、これはU.S.A.が極秘裏公開している国外諜報部員用の思考テンプレート例でしかない。だがこのテンプレートは人の最も考えている思考の代表格の例であり、だいたいこれが突破できたなら大抵の人間のスマート端末に侵入でき、そしてその思考にメッシュデータ因子を書き込む事が出来る。

 強く正解というものがない分野だから、一部ニューロン暗号が突破できたら意識のどこかしらを書き換えられるから、俺の解答した不完全なものでも全体で見れば8割方が合っていてそれで合格になる。

 この時代で奇行に走る人間がいると基本的にそいつはパーか強奪ハイジャックされた模造犯だ。

 精神観測士はその資質から今や引く手数多だ。班長曰く、俺はその精神観測士資質があり得るから、このスマートグラスを与えてくれて今もそれを成すべく日々精進している。が。


「暇だぁ」


 ある程度の数を熟してきて分かってきたことは、宗教圏の差異がニューロン暗号の強度に密接に関係しているようであり、宗教観、死生観がニューロン暗号強度を左右している。神を信ずるか否か、そして人の死について感じているか否か。

 言語体系にも左右されている。

 ベンジャミン・ウォーフが提唱した言語的相対論、簡単に言えば言葉が人間の現実を構成するという仮説である。

 日本人が虹を見て色を数えるとその数は七つと答えるだろう。だが海外の一部の地域では六色と答える。言語の幅がそれだけしかいないから現実をその言語以上に語れず、思考はそこで止まると言うもので面白い仮説だ。これもニューロン暗号解析には一例としての大切な思考法である。

 しかし何かが足りない。俺の考える思考と他人を隔てる思考の僅かな差異が分からず、完璧な、決定的なキーを掴めずにいる。


「なあ紙白。俺とお前の違いって何だと思う?」


『何、急に?』


 答えは出ないだろうが紙白にこの疑問を聞いてみる。


「俺と他人を隔てる境界線。人として遺伝子的差異はあるのに、同じ構造を持っている俺とお前に思考の違いが産まれる要因って何だと思う?」


『それって哲学的な問い? 。それともH・Hの技術的問い?』


「両方」


『……人の意識を論ずるなら、人の意識は大脳皮質、小脳、脳幹と脳神経系の複数あるモジュール群から構成された総和の答えで、その構造群は騒ぎ立てる観客でしかない。決定的な、これと言った審判者がいないまま人はその騒ぎの中で過半数を占める神経系の動きに身を任せてるに過ぎないわ』


「例えば?」


『食べたい、寝たい、抱きたい。何かが欲しい何かをしたい。この考えの根幹にある物、それは人間の脳幹にある危機感を、好き嫌い、そして意欲のそれを司るA10神経の決定事項であって、これを強奪ハイジャックできるなら人は乗っ取れんじゃない?』


「それがそうもいかねえんだ。それは人間の根っこの部分にある原初的な衝動であって意識の根本的なところじゃない。人の霊属性的な、そんな部分がニューロン暗号の鍵になる」


『じゃあその環境を取り巻く世界はどうなるの? 。人は獣的な欲求を取り除くことは出来ない。食べる事も寝る事も、抱くことも増える繁殖行為を抑えつける事が出来ない。それ以上のものって何になるの?』


「なんて言えばいいんだろうな。宗教観、死生観、その人間の持ちうるオリジナリティの意識の差異が、このニューロン暗号になりえてるんだ」


『人の差異なんて見た目で大半が決まるような気がするわ。男女が違うように、人は顔が違い、遺伝子が違って取り巻く環境も同一とは限らない。だから個性が産まれるんでしょう?』


「個性をクラッキングする。それがH・Hの技術的の複雑怪奇な点なんだ。これを作った人間は本当にこれがどんなものなのかわかってるのか分かってない。人間のハッキングだぞ? 。神様とか天使と同じ発想だ」


『そうね。人間の個性の書き換え、神にも勝る偉業だと思うわ。人の意識の決定権を握れるんだから、神様と同じね』


 神様か。言いえて妙だ。意識の違いは何から生まれるように創造したのか、その意味を創意工夫を知りたい。ニューロン暗号が人間の霊的属性の、魂のハッキング方法ならば、魂を書き換えられた人間はどうなるんだ。

 仮に、人間が神と言う存在の被造物だったとして、ナチュラルにそのありのままの自然の状態が人間ならば、被造物の手が加わった被造物はなんとなる。


「人が人じゃなくなるのかねぇ」


『人が人じゃなくなるって、それってゾンビって事?』


「ゾンビ? 。何言ってんだ」


『哲学的ゾンビ。知らない?』


「知らない」


『哲学的ゾンビ、人と寸分たがわない。遺伝子も細胞の構造も臓器の位置も姿形もすべて既存の人間と同じだけど、意識というクリオアが存在しない。本当に人間と同じ雛形なのに人間の決定的なモノが存在しない存在』


「意識のない人間? 。あり得るのか?」


『じゃあ訊くけどあなたはあなたの意識を実在を証明できるの?』


「そりゃぁ……」


 イエス、と言えなかった。

 なぜならばこの意識は言語化できず、数式化も出来ないから。

 物体にできないものを実在証明することは難しい。証拠がないんだから。

 いやまて、ということは元より人間は意識を持っていないんじゃなかいか? 。

 いや。この答えには万能の答えがとある哲学者が証明している。

 ──我思う故に我あり。

  ルネ・デカルトの言葉であり、この答えは自らの意識の実在証明、魂の実在を意味している。

 しかしこれは他人に当て嵌めることは出来るのか。他人の意識を正気と狂気の立証になり得るのか? 。

 この問も我々が個人足り得るが故に他人の意識の立証にはなりえない。

 人は人の意識の実在が曖昧なまま今世紀まで過ごしてきたんだ。

 脳の活動の振る舞いを意識と定義づけても、ただそれを単なる生理活動としてしまうとそれで終わってしまう。

 魂は普遍的で曖昧なままだ。

 それを実感した俺の考えの中にそれが、今まさに思考しているこれが意識と呼ばれるものなのか実感が湧かなかった。

 魂が肉体というハードに宿るのなら、同じタンパク質やら水分で構築されている犬猫、チンパンジーや鯨、葉緑素を持った植物は、もっと言うのであれば半導体の塊であったAIは魂を持ち得るのか? 。

 分かるわけはない。他人がわからない俺に意識の存在を、魂の存在を問うのは解答がない問いを問いかけているに等しい。

 俺は高名な哲学者でも、神学者でもない。ただの人間、肩書のない、と言うのは少し違うが知能の足りない人間でしかない。


「答えはないな。この意識があるっていう実感だけが意識の実在を証明できる」


『ならこの世の中はゾンビと、人間とが入り混じった世界であると言う事を示しているとは思わない?』


「ゾンビと人間……」


 確かにそうだ。今迄感じていた人が人でない行為をする立証はこれで話が付く。

 人の意識、そのクリオアが存在しないから、それらは人ではない事をする。

 いけない事をする存在がゾンビならば、善悪の区分はなくなり、善なる属性を人、悪なる属性をゾンビとする事が出来る。


『区別なんてまず必要ないんじゃない。だって私はあなたの意識の実在を証明できないんだから、私からしてしまえばあなたはゾンビのようなモノ。あなたからしてしまえば私はゾンビのようなモノ。意識のクリオアはまずそこに在るかどうかを証明してこそ、ゾンビとその区別が出来る』


 人じゃないか否かを判断するのに、微細な差異は必要なかった。H・Hのそれには必要な差異がゾンビの有無の証明になるんだったら、こんな簡単な事はない。

 どうでもいい、人なんか。

 考えすぎで頭がどうにかなりそうだ。

 確実なるニューロン暗号キーを欲せんとするならば、人を深く知る必要がある。

 ならば俺は何も知らない。人を知らなすぎる。

 人と接する事が俺を苦しめるのなら一人でいい、一人でいたい。

 何かをするために自らを傷つけながら進まないといけないなんて、茨の道という他ないだろう。この世界は生きづらく出来ている。


『ショット……ツーヒット』


「了解、ツーヒット」


 俺は考えるのをやめた。目の前にある真実だけを見る事にした。

 戦争を、そのありのままの姿を。

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