錯綜・棺・戦火
第25話
大きな大きなキノコ雲。
夜明けの日の光の中、それは見えていた。
一際大きなそれが見えていながら俺はそれに背を向けて走って逃げていた。息もツライ、肩で息をしていて血圧も上がっているのが分かる。全身に滴る汗は冷たく、足に絡みついてくるそれを必死で払いのけながら俺は逃げていた。
自分でも驚くくらい全速力で走っていて、遂に足を捕まれ折れた倒れてしまった。
──放せ! 放せよ! 。
俺は声を振り絞って叫んでそれを蹴り飛ばして立ち上がろうとするが、俺の脚がまるで脆いガラスのように砕け散って再度倒れ込んでしまった。
それで理解した。理解してしまった。
ああ、俺は今死に掛けているんだ、と。
俺は足元を見ると俺の脚は腐っていて、ハエが集り蛆が湧いていた。ボロボロの脚に筋肉の筋も、骨も剥き出しになっている。なのに血の一滴も流れていない。
俺は俺自身の身を腕で抱いてみると、驚くほど体が冷たい。
まるで血が通っていないよな、人の温かみがまるでない体で生きているのかどうかも分からない。低体温症と呼ぶにはあまりにも冷たすぎる体。まるで氷を握り締めているかのように冷たすぎる。
『なぜ、我々を殺した』
腐った足に絡みついたそれを見た。
それは腕だった。ボロボロに引き裂かれた腕で、腕を辿ってその体を見ると、それもボロボロで原型が殆ど留めていない。
だがそれはそんな状態でも俺に話しかけてきた。
『なぜ殺した』
ボロボロの腕だったが、その腕にあった焼印で分かってしまう。
村長だった。あの村の、村長でそれに伴われるように他の住民たちも現れた。全員ズタズタでモアブの爆風で焼け焦げ引き裂かれた姿で俺に縋りついてくる。
『なぜ殺したんだ』
生き残るためだ。と、声を荒げて言おうとするも言葉が出なかった。
喉が腐っているから当然だ。喉元を掻き毟るとドロドロに溶けだした肉が俺の指に絡みついて気持ちが悪い。それなのに俺は必死にそれを引っ掻いていた。
内側から溢れ出てくる蛆。それを掻きだそうと必死に引っ掻いて、蛆を排そうと必死になっていた。
だが蛆は溢れ続けてくる。俺を取り巻いた呪詛が、それを続けているように。
呪詛、怨念。もはや呪いの類のそれは俺の脳味噌に焼き付き、こびり付いて放してくれなかった。何故なら俺は、あの村の人間を見殺しにしたんだから。
呪われて当然だ。祟られて当然だ。
どんな宗教、どんな呪いをしたのかは分からないが、もうこれは呪いという他にないんだ。
誰かを助けるために、誰かを犠牲にした。トロッコ問題のジレンマのような道徳的哲学感情が想起させる悪循環のそれに俺は陥っているんだ。
死んだ村人たちが俺に群がって体から溢れ出る蛆を掴んで旨そうに食っている。
体がボロボロになって全身が崩れ始めている俺を、まるでゾンビのように貪り食う村人たちに俺は贖罪の気持ちで受け入れた。
さあ、食べろ。俺を食べてその恨みが晴れるのなら俺を喰らうんだ。
俺の背負った十字架は何者よりも重たく俺を圧し潰してくる。俺は悔いている、村人を見殺しにしたことに。
もっと俺がうまく立ち回ればあの惨劇は回避できていたんじゃないのか。そう思えてしまい仕方がなかった。
うまく立ち回って、いや、立ち回ろうとしなかったんだ。俺は。
流されるまま、時の中で流れの中にただ流れるままになる様になれと諦めて。
村人が俺を呪ってしまうのは当然だった。俺は呪われて当然だった。何もしないというなの罪を俺は犯したんだ。あの救援コールのメッセージを付ければ、現地民とのホーク・ディードの間にネゴシエイターを立てれば、双方の望みを上手くかみ合わせる事が出来たんだ。
俺は何もしなかった。何もしなかった罪を俺は背負い、俺は呪われた。
嗚呼、死とはこういった感覚なのか。考えが薄らいでいく、思考が霧散していく。
消える。俺が──徐々に、徐々にそして遂に。無に還る。
……
…………
……
「あ──はァ……」
俺は眼を覚まし天井を見上げた。そこは旧アフガニスタン地区の パルヴァーン州、元米空軍専有基地。バグラム空軍基地の跡地だった。
「起きたかい。どうだった、死後の世界は」
俺は眼を覚ましてベットの上から体を起こして、腕や胸に付いた心拍計やら点滴やらの管を外してようやく現世に生還した。
ドクが俺の瞳孔をペンライトで正常かどうかを確認し、脈拍を計る。
「死んでみた感想は?」
「気持ち悪かった……」
俺は治療を行っていた。鬱病の治療だ。
そしてドクの言う死んでみたと言うのは冗談や比喩でもなく、実際に死んでいたんだ。
──臨死治療。
アメリカで現在主流になり始めている鬱治療法で、薬物を用いた鬱治療法でその即効性は確かに感じれる。沸々と体からやる気が湧いてくるようだった。
この臨死治療法とは、読んで字の如く、臨死、仮死を体験すると言う治療法で脳の一種のバグを利用した鬱治療法だ。
俺は静脈に刺さった注射針を引き抜いて大きく背伸びをする。
すげえ……脳がバグってる。
静脈注射で俺の体内に打ち込まれた薬物はケタミンという麻酔薬、アルマゲドンで登場人物の一人が使用していた馬用の鎮静剤であると、ドクに事前説明を受けていた。この薬物は静脈注射で体内に入れ込むと脳の活動を麻痺させ呼吸器系には作用せず人為的に臨死状態を作り上げ仮死を与え、脳の賦活化を促す作用がある。
実際それはその通りで俺は、そう、死んでいた。
時間を確認すると一時間くらい経っていて、そこから記憶がぶっ飛んでいる。
眠剤の記憶の飛び方のような断片的な記憶の残り方はしていない。完全にプッツリと記憶が抜け落ちている。
そこからは悪夢を見た記憶がある。いやに鮮明にその悪夢の内容が思い起こす事が出来て、俺の心の中にあるしこりの様なものを再認識、理解できて俺はどれだけそれを思い詰めているのかが理解した。
俺は、殺したんだ。俺の意思で殺したんだ。
あの村の住民を爆弾で吹き飛ばし、粉々にしてそこでの行いを、今この手で大勢の人間を殺めた事を理解したのだ。
殺した。
悔いているのか? 。いいや、俺の思考の中ではそんな事一ミリも思っていなかった。
勘定が合わない。それだけの理由であの村の住民を吹き飛ばしたのだ。
意味がある死だ。彼らの殺害はホーク・ディードは人的資産を失わずに済んだ。そう、人的資源を俺は守ったのだ。
アフガン解放戦線の斥候であったあの村の住民は、あの油田基地の情報をアフガン解放戦線に流し、いつでもその侵攻作戦を開始する気でいたんだ。
現にホーク・ディードが撤退してすぐにアフガン解放戦線が油田基地を襲撃し、そこを占拠した。
幸いなことにホーク・ディードの損害は一人たりともいなく、恙無く問題の一つも起きずにこのバグラム空軍基地の跡地に撤退する事が出来た。
道中カブールを横断するとき、ゲリラ戦が発生したと言う話だったが、それも大した被害ではなかったようだ。
俺は正しい事をした。だから讃えられた。
ホーク・ディードからは情報の入手で人的被害を最小限に抑えられたと言う名目で表彰状並びに、ちょっとしたボーナスのlikeを貰う事が出来た。
金額も目が飛び出るほどある、東京で庭付き一戸建てなら軽く買えてしまうくらいのボーナスだ。
「ふっ──はァ。誰か煙草くれ。マリファナじゃなくて普通の」
俺の要望に看護師たちは甲斐甲斐しく煙草を持ってきてくれて、俺はそれに火を付けて紫煙を肺一杯に溜めてゆっくりと吐いて、気を落ち着かせる。
臨死体験で脳味噌がバグっていて、やる気が変に空回りそうで落ち着かせるために煙草に逃げてる。
逃げるのに意味が必要なのなら、俺のジレンマはきっとその意味を持つのだろう。
正しい事をした。だがその対価は、表彰状と多額のlikeでは紛らわせるには大きすぎた。
この手で、この指で、この体で、彼らを殺したのではない。
殺したのはアメリカ軍だ。アメリカ軍の輸送部隊で、モアブをあの村のど真ん中に投下して住民全員を皆殺しにした。俺ではない、俺が直接この手で下したわけではない。
だが、その筈なのに、圧し掛かってくる。
住民全ての命の重さが、命の尊さが、俺の心に圧し掛かって圧し潰そうと、今も必死になって心を蝕んでくる。
それがここ一週間酷く現れ、膝や肩、負傷した部位の治療もあってずっと医療棟に収容され緩やかに、安らかに、俺を壊していた。
遂にはいつもの自殺願望、希死念慮迄現れてきたのでドクに相談し、この治療、臨死治療を受けた次第だった。
結果で言うなら、大成功だ。
俺は今、生きたいぞ。
「ふん。足の具合もよくなっているな。にしてもお前のタフさには感服するな」
「そうかい? 。神様に愛されているんだ。俺は」
俺はベットから抜け出して真っ裸で立ち上がった。
脚に刺さったナイフの傷も今は痕だけが残っていて、既に完治している。肩の銃痕だって肩甲骨の粉砕骨折及び肩部解放骨折と診断されていたが、一週間でどうだ、綺麗に治っているではないか。
ヤブめ、俺のタフさを舐めて貰っては困る。俺は死ぬとしても五体満足で死ぬと心に決めているんだ。殺されるにしても安楽死か、老衰だ。
「検診は……その様子じゃ必要そうじゃないな」
「ありがとドク。生きる気力が戻ってきたぜ」
ブワッと紫煙吹き、俺はよれよれのホーク・ディードの制服に着替え、俺は仕度をする。午後の予定にバタフライ・ドリームのミーティングが入っているんだ。他にも俺のドラゴの軟殻のフィッティング作業もある。今日は忙しいぞ。
医療棟から出てすぐに見えたのは無数の航空輸送機とドラゴ。無数の兵隊たちが戦闘の準備に大忙しの様子で、無論その中にはアメリカ軍だけではなくヨーロッパ各国の傭兵隊やPMCが混じっていて、その中にはもちろんホーク・ディードも数えられていた。
この基地を治めているアメリカ軍だが、生身の人間は一人たりともいやしなかった。それは何故か、全てドローン機械群に取って代わられていた。
ドラゴと台頭して戦場でその砲火を飛び散らせているのは戦術ドローン兵器群であり、今も生き残っている古代の遺物の軍事人工衛星経由で本国から戦争に参加しているんだ。
話じゃあのドローン兵器群、俺達ホーク・ディードの戦闘社員はアンドロイドと呼んでいるそれを操縦しているのは民間人で、曰くゲーム感覚でそれを操縦していると言うのが専らの噂で、eスポーツに取って代わる所謂、キリング・ゲーム。
実害の伴わないデスゲーム。アメリカ本国で大流行の遊びは、アンドロイドドローンを使った戦争の遠隔操縦で、敵兵を撃ち殺す事だ。
そんな訳で、この基地で生身の人間と言えば整備兵かドラゴン・ライダーぐらいだ。
俺はそのドラゴン・ライダーで、今をトキメク戦場の花形兵士であると言う。
一体どれだけ花形なのかと言うと、モータースポーツのモーターの部分がドラゴに取って代わったくらいの花形で、今のモータースポーツは様変わりしている。
自動車競技はより派手に、過激に進化して、ヨーロッパやアメリカではドラゴにジェットエンジンを搭載して速度を競う、『ドラグーン・オブ・ドラゴン』と呼ばれるレースがあるくらいだ。インディアナポリス500やモナコグランプリ、ル・マン24時間レースに匹敵する興行収入を上げているレースで、操縦士の死亡事故が後を絶たないが、それを込みで楽しまれている。
世の中は変わった。人の死が娯楽に変わって、『ドラグーン・オブ・ドラゴン』なんて狂った競技が出来てそれが持て囃される時代。
日本の小学生の将来なりたい職業ランキングで堂々の一位が、ドラグーン・レーサーだった位に知名度がある。
近年出来たばかりの新参スポーツでありながらその知名度は五輪競技にまでしようと言う動きがあるくらいに、激しく大きい。
俺もホーク・ディードを退職したらドラグーン・レーサーにでもなるかと、バカみたいに何年先になるかも分からない展望を持ってバタフライ・ドリームのミーティングルームに入った。
全員の目がこっちに向いた。
「倉敷っち。おすおす、回復はやーい」
「おーう。どうどう、落ち着け柊よ」
子犬みたいに帰ってたご主人様に集ってくる柊を片手で押しのけ俺は座席に座った。
全くこの女はじゃれついてくるのが鬱陶しい。人が怪我する位戦場ならいくらでも起きようが。
「元気で何よりだ。倉敷」
「しゃっす、原隊復帰します。リーダー」
俺は葛藤さんの声かけに敬礼で応じた。葛藤さんも敬礼で応じてくれた。綺麗な敬礼だ。ちょっと齧って見様見真似の猿真似敬礼よりよっぽど様になっている。
定位置の椅子に座ると相変わらず甘ったるい匂いが漂ってきて、その匂いの元は。
「相変わらずマリファナか? 。飽きないねぇ、お前も」
「そう……別にいいけどあの子どうするの?」
「……考え中」
「子連れ狼を気取るより、早く養子にだした方が賢明よ」
ズバズバハッキリと言ってくる紙白のセリフに俺は考えさせられる。確かにアイツの事もいい加減どうにかしないとな。
だが、その前にやる事があった。
「はいはーい。皆注もーく」
久しく聞かない声が聞こえてきた。フランシス班長だった。
相変わらずの気取った王子様スタイルで、不敵に笑った班長はプロジェクターのスイッチを入れウキウキの様子で言う。
「さあ、我々の使命。福音なる『棺』を確保するときが来た。我々の見せ場だぞ♪」
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