第4話

「オエエエエエエエエエッ!」


 俺は便器に向かって盛大に嘔吐していた。

 原因はと言うのも食い過ぎや、乗り物酔い、ノロウイルスなんてことはなく、現実のストレスから来る自律神経迷走の為だった。

 朝起きてすぐにスマートグラスを掛けて日課ネットサーフィンに精を出して、SNSを巡回しようかと思い、立ち上げるとメッセージが届いておりそれの内容は――。


『倉敷賢吾殿。貴殿ホーク・ディード社の面接試験の合格を通知します』


 この文字の羅列に俺はこの世の終わりのような、死刑宣告にも似たストレスを感じて寝起きの空っぽの胃袋の中から虚無を吐き出していた。

 酸っぱい胃液が俺の喉を焼きながら便器に吐瀉され、俺の鼻やら眼やから、穴よ言う穴から、鼻水やら涙やら唾液やら胃液やら、汁という汁がどんどん溢れてる。

 心臓が異様に高鳴って、嫌な冷や汗がドロドロと溢れ出てくる。心臓を鷲掴みにされたようで胸の奥がキュっとする。前日を直視するのが嫌で嫌で、全身が、肉体がそれを拒否して嫌がって拒否反応を示していた。


「オエッ。オロロロロロロロっ!」


 苦しい。苦しい。苦し過ぎて死んでしまいたい。でも死ぬ勇気もない。

 ひとしきり吐き終わり、ぐったりと俺は便所の壁に野垂れかかった。

 ああ、もう少しニートをしていたかった。何で俺なんだよ、普通あの面接で俺を合格にするなんて頭おかしいだろ。

 適性がある訳でもなく、精神病を抱えた民間軍事会社社員なんて、目も当てられないにも程がある。事務員ならまだしも、合格したのは実働員──傭兵の応募んだからもう目が当てられない。

 脳裏にありありと思い浮かぶ俺の死体。

 頭を綺麗に撃ち抜かれて野垂れ死ぬ俺の姿が思い浮かび、俺は再度便器に向かってまた嘔吐した。もう出ないのに何かを出そうと懸命で、それこそ必死でゲーゲー吐き続けた。

 もうほんとに何も出ない。出そうとすると口から胃の腑が出てきそうだ。

 そう思ってようやく俺は便器から顔を退けてトイレットペーパーでゲロを拭いフラフラとした足で立ち上がった。

 どうする。どうすればいいんだ。兄ちゃんの手前、ホーク・ディード社を辞退したなんて言えるはずもない。

 リビングに向かって冷蔵庫を開け空っぽの胃袋にせめてもの牛乳を流し込んで何とか心を落ち着かせる。


「ああ、疲れた! 。母さん飯は!」


 兄ちゃんが畑から戻って来て、いい汗かいたと言った様子で玄関から嫁さんに向かって大声で入り込んでくる。

 嫁さんは焼きそばと言う返答にガキの如く大喜びしている姿に、飯の一つで一喜一憂している兄ちゃんは本当に頭が幸せなんだろう。


「どうした賢吾? 。顔色悪いぞ」


「……面接……受かった……」


「え?」


「……面接受かった」


「マジか! 。え? 。ホント! 。嘘ついてないよね」


 俺は真っ青な顔で頷いた。兄ちゃんの顔はパッと晴れやかになるが俺はどんどん顔色が悪くなっていく。そこからはもう酷かった。

 出社日まで一週間ほどあったが俺はひたすらに寝て過ごした、起きればただ飯を食って煙草を吸い吸い殻を捨て、それだけで、それが俺のできる最大限の人としての生活スタイルで、読書やら、趣味やらに費やす気力は一切なかった。

 兎に角、現実から逃避するように、夢現の整合性の取れない他愛のない睡眠の夢の中に逃避し続けた。

 研修に必要な着替えやら身の回りの用具やらは、兄ちゃんと、兄ちゃんの嫁さんに丸投げして俺は寝続けてそして──その日が来てしまった。

 真っ青な面で、目が据わっていのが自分でもわかるくらいに、精神的に終わっていてかなり参っている。

 何者かにならないといけない。当日の早朝にそんな強迫観念のような何かが、俺を突き動かして目が覚めた。

 諦めのようなそんな感覚で軽い朝食を取り、スーツに身を包み、僅かな、ほんの僅かな時間に煙草に火を灯した。


「ス──―……」


 プッシュっとエナジードリンクの蓋を開けて、ぐびぐびと飲んで神経を尖らしていく。尖らせる神経などとうに鈍らだが少しでも、気合の入った様子を演出しないと今から出社なのに同僚や先輩に舐めて見られるだろう。

 精神安定剤のアルミ箔を剥いで数錠口に含んでエナジードリンクで飲み干した。

 さあ出陣だ。新しい環境にこんにちはだ。


 ……

 …………

 ……


 リュックサックを背負い、兄ちゃんにもろくすっぽ挨拶もせずに家を出た。

 電車を乗り継ぎ、新幹線を乗り継いで、到着した大阪のビル群。そこのビル群の中でも一際大きなビルの中で1フロアがホーク・ディード社の大阪支店であり、俺はそこの扉を開いた。

 H・D社と言う看板が掲げられ何とも洗練された佇まい。瓦屋根で育った俺には想像もできない程、なんというか、スマートな内装だった。

 キョロキョロと、お上りさん丸出しの挙動で辺りを見回す俺にくすくすと笑うスタッフたちに、俺は少し小っ恥ずかしくなってくる。

 エントランスの端末でスマートグラスで案内AIを引っ張り出して、面接合格者の部屋に向かった。


『25号室へお向かい下さい』


 とガイドが出て、AI誘導マーカーが25号室へと誘導してくれた。

 よく思えば、このフロアにはウザったい広告の表示がない。拡張現実の弊害でこういった都心部ではかなりの量の広告表示があり、煩く鬱陶しいのだがここはプライベートエリアに指定されているのか、かなりのセキュリティーレベルである。

 大抵スマートグラス、ワールド・メッシュ・ウェブW・M・Wに接続している端末機器ノードがあれば、どこかしらから余計な情報を引っ張ってきそうなものだが、ここはかなりのネット環境に結構なlikeを払っているようで、そう言った小五月蠅い広告表示がない。

 俺も一応スマートグラスのネット環境を接続遮断パッシブ状態にして25号室に向かいその扉の前で息を整え入室した。

 そこには既に何人かが、と言ってもたったの二人なのだが椅子に座って待機していた。

 一人は面接時にいた気がする。体格のいいあんちゃんだ。

 筋骨隆々、糊でパリッとした日防軍退役下士官の制服を着ている。一体何をやらかしたのか? 。日防軍から来るなんてよっぽどの大事をしでかしての事だろう。

 考えても見ろ国の運営する日本防衛自衛軍を抜けてくるなんて、出向か、除隊処分の二択だろう。民間軍事会社に出向だなんてご苦労な事だ。後者は知らん、ざまあなしだ。

 もう一人はというと、白かった。

 髪の毛が真っ白で、肌もそれに近く真っ白な女だった。華奢とまではいわないまでも体の線も細くガリガリ。あんまり欲情も出来ない身体つきだ。顔は綺麗な方だが、どこか病的なそれを感じさせる姿だった。


「あ、いかれ男」


「あ? 。なに?」


 後ろ手に藪から棒に失礼な呼び声がしたので、俺は睨みとドスを効かせて振り返ると。


「あ、借金女」


 そこにいたのは面接時に借金がどうこう言っていた女がいたではないか。

 俺もソイツも驚いた様子で互いに指さしていた。いや、コイツも受かったのかよ。

 ここの人事担当は一体どうなっている。面接時に借金だの、まともになりたいだのほざく人間を雇用するなんて大概に頭がおかしいのではないか? 。


「アンタ受かってたんだ。へー良かったわー。アタシ以外に変なのがいてくれて」


「……何コイツすげえ失礼な事すらすら言う……」


「アンタもタメ口じゃん」


「…………」


 嗚呼、なんかすごく疲れてきた。帰りたい、就職辞退してもいいだろうか。

 そう出来たとしても担当が来ない事にはどうしようもない気がするが。

 俺は渋々、出来るだけ皆から離れた位置に座り込み、リュックサックを膝に抱えてた。借金女は五月蠅く世間話をべらべらと垂れて他の奴らに絡もうと必死だったが、黙殺を決め込まれ、それも牙に介さずといった様子で喋り上げる。

 っち、大阪のババアかアイツ。俺は音楽プレーヤーの電源を入れ、イヤホンで耳を塞いで音楽で騒音をかき消す。

 にしてもやけに合格者が少ない。俺達四人以外に合格者が入ってくる様子がない。

 体格のいいあんちゃんは兎も角、あの五月蠅い借金女とアルビノの子が採用されたというのは些か不審と言うより、俺が採用された時点で不審なのだ。

 傭兵ってこんな連中がなるものなのか? 。

 少しの時間待っていると、ようやく担当が入ってきた。面接の時の担当だ。


「皆ごめんね。手続きが立て込んでてね。待たしたね」


 爽やかな笑顔でブロンドの髪をかき上げ笑むその人は俺達の前に立った。


「挨拶が遅れたね。まずは合格おめでとう。ホーク・ディードを代表して私、フランシス・コンソールティが君たちに歓迎の言葉を送るよ。パチパチパチ」


 演技めいた拍手に所作、どこか信用に値しない仕草に、俺は眼を細めた。


「これから君たちは私たちホーク・ディードの兵士。詳細は追って説明するが、私が班長を担当している第一警備班、『バタフライ・ドリーム班』に所属する事となる。今後ともよろしく頼むよ♪」


「はいはーい質問でーす」


 借金女が空気を読まずに手を上げて質問する。コイツのメンタルは鋼のようだ。


「何だい? 。比嘉柊さん?」


「アタシたちの仕事ってどんな事をするんですかー? 。求人票には特にと言って書いてなかったすっけどー」


「当座は私の組んだ訓練メニューを熟してもらうよ。ああ、それと会社の社員登録、操縦士登録と健康診断──簡単な治験注射を打ってもらう」


 コンソールティさんがスマートグラスを接続アクティブにするようにジャスチャーするので俺達はスマートを起動し会社のメッシュネットクラウドサーバーに接続する。

 送られて来たのは今後当分の間熟すであろうタイムスケジュールだった。

 朝七時起床、点呼。十五分に朝食。七時半より十一時まで体力鍛錬トレーニング。十一時から午後一時まで昼食・自由時間。午後一時より操縦訓練。五時から自由時間・就寝。土日祝休日といった具合だ。


「腕立てとかですかー?」


「んんー? 。もっと高度かな。差し当たって、今すぐやらないといけないのは、社員登録かな」


 パンパンと手を叩くと、待機したであろうスタッフが台と必要書類、捺印類を持ってきた。


「これらの書類に署名をしてもらいたい。言っておくが、これを署名した直後から君たちの身体は、私たちホーク・ディードの兵士としての責任が圧し掛かると思ってくれ」


 うわ出た。──責任。

 俺は出来るだけ責任と言うものを負いたくない。

 そう言ったものは負いたくないし、出来うることなら二度と背負いたくない。が、仕事をするうえで致し方ない。

 俺は捺印する書類に目を通した。一般的な労働契約書だが、一枚だけ妙な契約書がある。それは身体貸出覚書とある。

 内容をよくよく見る。

 ──署名者の殉職した場合、その遺体はホーク・ディード社の既定の処置を受け火葬処理を受ける事に同意する。

 ──退職した場合、その身体は事故、他殺、自殺、自然死関係なく遺体はホーク・ディード社の既定の処置を受け火葬される事に同意する。

 ──入社時の祝い金、契約金に関しては返済及び返却なされた場合、退職の権利を有し、退職した場合、適切な身体処置を受ける事に同意する。

 この三項であった。まあ簡単な話、この会社に入った場合、身体的に何かをされるのは間違いないと言う事だろう。


「あの……質問良いっすか」


 俺は手を上げて聞いた。ニコニコ顔のコンソールティさんはこちらに顔をやってき耳を貸す。


「この身体処置ってなんっすか?」


「いやなに、別段特別な事ではない。遺体を返さないってわけでもないし、遺骨はキチンとご家族に還すし、殉職時には見舞金も払うよ」


「いやそうじゃなくて。身体処置について聞きたいんすけど。どういった身体処置なんですか?」


 少し考えるようにコンソールティさんは考え、答えた。


「ちょっとした追跡装置のようなものを注射する。それは非常に高度な技術を使って開発されたモノだから、社外に出るのは少々不利益が被る。技術漏洩を防ぐための処置だよ。何、別に体を切り貼りする訳じゃない。インフルやコロナの予防注射だと思ってくれて構わないよ。処置後には身体に支障が出ない事は会社が保証しよう」


 納得はしてないまでも、体に変調を来さないならいいのだが。

 とうあれこの体が不自由する様な処置ではないのは確かなようだ。

 俺は署名の欄に名前を書き込みハンコを押し、親指の指紋で署名、網膜印刷機で身体貸出覚書を捺印した。

 みんなが書き込んだ所で、一人のコンソールティさんとは別のスタッフが入ってきた。ずいぶん不健康そうな面で不衛生な白衣を着ている小柄な男が入ってきた。


「フランシス。こいつらが新しい蛹か?」


「ああそうだよ、ドク。皆紹介しよう。彼は君たちが今後搭乗する機体のメンテナンス及び君たちの身体のメンテを行う技師、ドクター・ホーンワームだ。気軽にドクと呼んであげてくれ」


「ホーンワームだ。お前たちの身体メンテを行う。さっさとしろ。搭乗者登録が出来ないだろ」


 そう言い急かすホーンワームさんに続いて25室を出て別室に移動した。そこにはゴッツイ機械が鎮座しており、アルビノの子と体格良いあんちゃんが妙なヘルメットを頭に付けられていた。


「頭を空っぽにしろ。変な事を考えると思考が乱れてニューロン個人暗号の解析が進まない」


 これって……ひょっとしてニューロン暗号解析機? 。初めて見る。

 このメッシュネット時代に個人のネットプライバシーはニューロン暗号によって絶対的に保護されて、それこそ個人情報を抜き出すなら拉致して無理やり聞き出す手法、海外だと確か『ハイジャック』とか言われる手法で引っ張り出すしかないのだが。

 この機材は個人のニューロン暗号を引っ張り出す事が出来る。そうまことしやかに噂になっているニューロン暗号解析機だ。


「ほら、次」


 俺と借金女は隣り合わせに座り頭にヘルメットを被せられ五分ほどだった。ピピっと音が鳴り解析が終わったようだ。


「これで今日のメニューはお終いだ。社宅を案内するから着いて来て」


 コンソールティさんが案内し、俺達は社屋から出て水素エンジン自動車で大阪湾に面した軍港に入っていった。

 そこに広がっていたのは巨大な船、所謂『空母』がそこに鎮座していて、兵隊たちが忙しそうに貨物の搬入に大忙しの様子だった。


「これが今後君たちの社宅になる船、『ヨルムンガンド』だ」

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