第12話

 俺はそれを抱えていた。柔らかで、そう風船のような感触。

 強く抱きしめれば反発してくる、そんなゴムのような感覚。

 その中には俺と言う名の矮小で小さな正気が発狂して中で暴れまわていた。

 強烈に、苛烈に、自分が壊れてしまっても構わないと言わんばかりに、暴れて暴れて、発狂していた。

 その手に抱く正気と狂気の狭間の中で俺は、その手に抱くそれに顔を埋めて、小人に注視し、さらに奥へ奥へと顔を伸ばしていく。

 眉間の間の底に風船越しに小人が埋没し、俺の脳味噌を搔き回し、溶け出し、正気の俺をより深淵なる狂気の底へ誘い、俺を狂わせる。

 俺は叫び出して、体の内側から鋭利な漆黒で純白の棘が薔薇の棘の如く生えて、俺を切り裂く。

 バラバラになった俺の脳味噌に懐かしい風景が駆け抜けていく。

 ──学生の時に通った通学路。――友人と共に遊んだ部屋。――バスで通った専門学校への通学路。風景が駆け抜け、俺の脳を通り抜け突き抜け過ぎ去っていく。

 考えがまとまらず、遂には頭が破裂して──それでも体が勝手に再生して、形を取り戻して、再度悪夢を露わにする。

 決して逃げられない。それに諦めて受け入れ、そして見えるのは──静寂な闇の漆黒。

 肉が失われ、筋肉が失われ、血管が失われ、血が失われ、骨が失われ──最後の最後まで残るのが、意識だった。

 暗い暗い闇の中を彷徨い漂い、座礁して辿り着くのは──。


 ……

 …………

 ……


『倉敷っちー! 。起きろー! 。もう昼だぞー!』


 俺の船室の扉をバンバン叩く柊の声に、俺はいつもの悪夢から目を覚ました。

 体が重い。いつもの事だが今日はことさに重い。

 何故か? 。それを問いだすと、今日は試用研修の最終日であり、恐らく今後不定休になることを意味している日だったからだ。

 その上、今日は日に決まった休日。気力がまるで起きない。

 元より生きる気迫が無いに等しい事に加えて、班長との模擬演習で燃え尽き症候群のようなそんな感覚が俺の心の底に合って、鬱、燃え尽き症候群のダブルパンチで聴牌テンパイのフィニッシュ。

 死人のように狭いベットから素っ裸のまま抜け出した俺の姿は、正しく冬眠から開けた爬虫類のそれに似た動きをしている事だろう。

 因みに俺は素っ裸でしか寝れないタチだ。股間の逸物、チンチンブランでベットはチン毛まみれだ。

 元より猫背のそれを更に曲げて、脱ぎ捨ててある支給された衣類に手を掛けて、大層な軍服に似たそれを睨んだ。

 姿見をチラリと見れば俺のだらしない体がそこにあり、体のパーツパーツにレーザー印刷刺青のQRコードが刻まれていた。

 頸部、手の甲、前腕、上腕、胸部、腹部、腰部、大腿、下腿、足と区分けされたQRコードは俺が死んだときに遺体回収、その区別の為に会社が社員に定めた身体記録で、俺がもし戦場で爆弾やら空爆やなんやらで粉々にされた時の、判別の為に処置された認識コード。

 言うだろう昔の炭鉱夫が体に刺青を掘って自分は誰かと言うのを示したように。

 これが俺の認識票ドッグタグなのだ。この認識票はホーク・ディード社戦闘社員の全員に施され、バタフライ・ドリームの全員に言えた事だった。

 目元には大層な隈をこさえて、髪が毛根から白髪に染まっている。

 その姿から、ここ最近の他班からは『コーヒーゼリー』と言う仇名で呼ばれている。

 ストレスから白髪が増えたというのは、半分合っていて、半分は少々違う。

 ピューパ素子の影響で毛髪は光ファイバーのような性質を得て、脳神経系の微細な電気信号を光変換を行い、髪が軟殻と結合を起こし挙動制御に一役買う。

 と言うのがドクター・ホーンワームの話で、ピューパ素子の自然的な人類の進化形で、人体の再設計が始まっている証拠なのだそうだ。

 俺はテーブルに置いてあるビールの缶に手を伸ばしてその蓋を開ける。

 缶ビールを久しぶりに手に入れ俺は、昨日馬鹿ほど飲んでぶっ倒れるように寝たのに、悪夢を見る事は忘れずに、体を包む倦怠感だけは確かにあり、即ち眠剤の離脱症状で禁断症状のそれだった。


『早くー! 。行くよー倉敷っちー!』


「ああ……、黙ってろ! 。借金女!」


 五月蠅くノックしてくる柊を大声で黙らせて、俺はズボンの裾に足を通した。

 シワだらけで、ろくろくアイロンも掛けられていないそれに上着を着て、何ともみすぼらしいその姿に鼻笑いの嘲笑が漏れた。

 これが兵士の姿か? 。病人の間違いだろう? 。

 そんな俺に自ら発破をかけるようにビールを呷って気合を入れる。


「ン……げェップ……チープな味だな……」


 一息にビールを飲み干して缶をゴミ箱に捨てて部屋を出た。


「倉敷っちどんだけ寝るの?。みんなもう起きてるっての」


「はいはい。うるさいよ……もう寄港したの?」


「もうしてるっての、班長達もう車回してくれてるから、ほら、早く」


 俺を急かす様に柊が背中を押してくる。

 少し落ち着けないのかコイツは。雪降って寝起きではしゃぐガキじゃあるまいし、飯の一つも食わしてくれないようで、下船のタラップに押してくるので俺は嫌々と顔に出して嫌がって見せるが、拒否権は元からなかった。

 それもその筈で、今日は班長が主催する所謂『感謝祭』で、演習の祝勝会の意味がある祝いの席だった。

 倉庫区画へと連れてかれた俺に世話しなく物資を積み込む業者やら班員たちが行き交っている。こういう雑用業務に割り当てられていないのが幸いだ。

 フォークリフトの免許など貨物運搬類の免許は持っていて、宝の持ち腐れに思えるが、働かないでいいのなら働かない。

 コンテナを積み込む機械たちの間を縫って目的とするハンヴィー装甲車が見えた。


「ようやく来た。もう日は上がってるよ。倉敷くん」


「そうだぞ。集合時間はもう過ぎてる」


 班長と葛藤さんはパキッとした制服を着ているて、俺をちょっと攻めるように言ってくる。……言うなよ。ただでさえ気分が落ちてるのに、もっと落ちてくる。

 紙白は車、ハンヴィー装甲車に凭れ掛かってマリファナを吸っている。


「あぁ……すいません。起きれなかったんで」


「いいけどね♪ 。今日は祝いの席だ。時間はたっぷりある、ゆったりと行こうじゃないか」


 班長が車に乗るように促し、俺達はそこに乗り込んだ。

 如何せん装甲車だ。座席のシートは薄っぺらで乗り心地は良くないし、しかも銃座にはMk19自動擲弾銃が装備されている、それにはしっかり弾も入っている。


「さあ行くよ。倉敷くん転げ落ちないでくれよ」


「りょ……」


 俺は乗り心地の悪い座席に座るくらいならと銃座の立って、そこで今日初めての煙草を咥えた。

 ブオンっとエンジン音を鳴らして始動したハンヴィーが動き出し、ヨルムンガンドの下船タラップを渡って見えたのは港。当たり前な話だが、ここは港だった。

 スマートグラスの電源を入れてノードを起動すると、位置情報とウザいくらいの大量の広告表示が表示され視界を占拠する。

 ここはグワーダル港。

 パキスタンの港で、インド洋に面したそこはバローチ語で「風の門」を意味していて、確かに風が強かった。

 砂塵なのだが日本では感じられないなんというか、中東の風だ。

 砂と風と、エスニックな民族服がお出迎えで、港と言うには少々殺風景に見えるグワーダル港を抜けて俺達はタナ・ワード市街地へと向かって行った。

 パキスタンと言えばインドと中国に面した中東の国で、オール・フォーマットでアフガニスタンとの併合を行い国土が増えた数多くある国の一つで、未だに国内情勢が安定していない国だ。

 今はイランと中国、インドとバチバチにやり合っているが、国境線戦線は現在は緩慢化している様子で、国内の情勢、レイダー対策で俺達ホーク・ディード社とパキスタン臨時政府とで契約を結んでいる為に、俺達はフリーパスポートでこの土地に足を踏み入れる事が出来る。

 戦場の矢面ではないにしてもパキスタン臨時政府とホーク・ディード社、その後ろに控える親会社のR.G.I社ライオット・グラディアス・インダストリー、その親会社のバックにいるアメリカ合衆国の盾があり、この辺りは比較的治安が良い方だ。


「班長。どこ行くんですか?」


「どこに行こうかね? 。どうだいバザールにでも顔を覗かせて見るかい? 。いいチャーエを置いている所があるんだ。そこにでもどうだい?」


 そう言いハンドルを切り、車を走らせる班長の顔は楽しそうだった。

 俺は煙草に火を付けて町並みを観察していた。中東の町並みって感じが残っているが、土地開発も進んでいるようで中東の町並みには相応しくないビル群が立ち並び、この大地はどこまで行っても地球は地球なのだと実感する。

 だが、地球だとしても日本では見られないモノがある、それは建造物の壁面にある弾痕の有無だろう。

 街並みの中でも旧市街地の方は激しい戦闘があったのだろう、弾痕があちらこちらと見られるし、何より警官が小銃を下げている。装甲車はそこら辺を奔っているし、もちろんドラゴだってそこら辺を歩いている。

 治安のいいのか悪いのかよく分からない日本とはえらく違う景色で、何とも妙な気分だ。


「紙白くんはお茶は好きかい?」


「このんでは飲みません。マリファナブレンドなら好きです」


「ハハハッそうかい。ならパキスタンは居心地が悪いだろう。一応ここの警察機構は私たちを黙殺しているが、大麻は違法だからねこの国は」


「……ジャンキーめ」


 俺はマリファナはゲートウェイになりえると思っているし、そうであると考えているが、班長との演習で紙白と接する機会が増えて、彼女がマリファナ漬けの常用者であるのは知っていて、俺も俺に害をなさないのならと黙殺していた。

 ──ちょびっと好奇心で一緒に吸ってたが。

 だがやっぱりマリファナ煙草より、普通の煙草の方が旨い。これに限る。

 嗜好品に関してもホーク・ディード社は抜かりない。煙草はもちろん、酒にポルノ雑誌にメッシュネット高速通信機にそして──マリファナだ。

 アメリカが大々的にマリファナの解禁してかなり経つが、未だに日本は違法だ。

 一時期はアメリカが解禁して日本も解禁すると噂されていたがそんな事はなく。大麻ダメ絶対! 、のスタンスだ。

 それが一番いい体裁なのだが、国の違う企業に馴染んでいる紙白は何と言うか図太い。俺みたいにビクビクと周りの目を気にして隠れてマリファナを吸っている人間とは違って、私は吸っていいるぞ! 、っと喧伝するように堂々としているからファーストナンバーのマリファナ女と他から言われているんだ。

 頭の中の中まで大麻で一杯でグリーングリーンだ。

 班長が目的とする茶屋に到着したようで俺達はハンヴィーから降り、そこへと向かった。

 通りに面したよく周囲を見渡せる店でこれならハンヴィーの盗難にも会わないだろう。警察機構のドラゴも走っているし、車上荒らしもこれなら大丈夫だろう。


「さあさあ、最後の休暇だ。楽しもうじゃぁないか。ここの勘定は私が持とう」


「言え結構です。自分で出すんで」


「同意」


「やったー!」


「…………」


 葛藤さんと紙白はきっぱりと断るが、柊は得したと言わんばかりに歓声を上げて、注文を次々と取り始めた。

 俺は無言で、班長の懐にあやかれるのならとこそっと注文をした。

 チャーエにカレーやチョルバ、穀物、果実と色とりどりの飯に俺はようやく飯が食えると手を合わせた。


「いただきます」


「ああ、好きなだけ食べてくれ」


 俺はケバブに嚙り付いた。そのスパイスの利いた味付けに、寝起きにこれは結構腹に来ると思うも食べた。

 思い思い食につき、柊はウザいくらいにしゃべくりまくっている。


「葛っちって。何で日防軍出たの? 。給与ならあっちの方がいいでしょ?」


「研修名目でホーク・ディード社に来たんだ。新ドラゴ戦術開発目的でね。日米合同で新戦術機体開発の目的で日貿軍から出向して来たんだ。契約金を返済し終えたら日防軍に戻る事になってる」


「へー。紙白っちは? 。何でここ来たの?」


「私はそうあるようにデザインされたからよ。私からドラゴを取ったらただの子供」


「なーんか難しく考えてんだね。気楽でいいのに……。アタシは金、likeの為ねー。借金がきついんだわ」


「ほとんど夜逃げだろ? 。水落ちしそうになってホーク・ディード逃げてきたんだろ」


「言い方わっる。まあ、間違ってないけどねぇー」


 馬鹿みたいに世間話をしていると、見慣れない器具が目の前に置かれた。

 瓶の上に見慣れない器具が付いて、ホースが伸びている。

 店員が白く燃える火の付く炭をアルミホイルの巻かれた器具のその上に置いた。

 チリチリと言う音が聞こえ、何だこれと俺はしげしげと見ていると、班長がホースを徐に掴んで口に咥えた。

 ブクブクと言う音と共に、口からぼわっと煙を吐きゆっくりと脱力したように肩を落ち着かせ俺を見てウインクした。


「初めて見るかい? 。フッカーは?」


「なんすかそれ?」


「水タバコだよ。君も煙草を呑むなら、吸ってみるかい?」


 俺はホースの吸い口を受け取り、ブクブクと見よう見まねで吸って見ると。

 煙草なのかこれ? 。何とも喉にキック感のない味のある煙が鼻を抜ける。

 この味はグレープフルーツの爽やかな味わいで煙草の煙と言うよりは、アロマ加湿器 の煙を吸っているようで何とも言えない。


「紙巻とは違うだろう? 。そう言うものだよ。ゆっくりと時間を使って吸う煙草だからキック感はないさ」


「そうっすか……ブクブクブクブク──」


 ボワッと煙を出して俺はボーっとしてみるが、やっぱりこれ煙草じゃない。

 皆で回し吸って見るが、柊は美味しーと言い、葛藤さんは味のある煙と言う。紙白はマズいと言った。


「ハハハッ! 。これはやはり絶滅危惧だね。昔は戦友とよく吸ったものだがね。それこそ、フレーバーはヘロインとアンフェタミンを混ぜ合わせたものだったよ」


「ゲホッ! 。ゲホッゲホッ!」


 俺はそのカミングアウトに咽かえってグレープフルーツ味のそれを拒絶した。


「大丈夫、それは普通のものだよ」


「ビビらせないで下さいよ」


「ハハ。ビビる事など今後たくさんあるとも」


 班長は考え深いとばかりに俺達を見た。まるで子が巣立つようなそんな雰囲気だ。


「君たちはよく進化してくれた。私と言う名の淘汰圧を退けよくぞここまで育ったよ」


「そうですね。早い三か月でした」


「うん」


「アタシめっちゃ脚早くなったし!」


「…………」


 確かに俺達は進化した。髪の毛も日本人特有の黒髪からみんな、毛根から白く染まり始めていた。これもピューパ素子の影響だ。

 紙白は元から色素が薄いから認識しずらいが、彼女もピューパ素子で変化している筈だ。

 次世代の、ドラゴ・ライダーたる俺達は今後どんな戦場でどんな戦いをするのか分からない。この進化の仕方でいいのかも分からない。


「そうそう。倉敷くん。演習の時の君の強奪ハイジャック。あれは自前の端末でやったのかい?」


「いやァ……一応ヨルムンガンドの戦術端末で演算補助借りて仕掛けました」


「やっぱり、それじゃあいけないねぇ。痕跡が残る。君はいい精神観測士の素養がある。ならばその長所を生かさないと」


 班長が眼鏡ケースを差し出してく来て俺はそれを受け取って開いてみた。

 メタルフレームのラウンド型スマートグラスだった。レンズは遮光機能を加味して黒色だった。俺は今のスマートグラスを外して掛けて見た。


「うおっ……」


 何ちゅう機能の多さ。これは偏に高速・強奪ハイウェイ・ハイジャック専用に設計された、ハッキング専用端末だった。

 デフォルトの機能で相当な数が設定されていて、ノードの接続回線の太さは並ではない。グラス自体の演算回路もかなり高性能ときている。これちょっとした高速ハイウェイぐらいなら簡単にできるんじゃないか? 。


「君はこの班の電脳戦担当た。その才能を持ち腐れないようにしなさい」


 何とも言えないが、確かに俺は高速・強奪ハイウェイ・ハイジャックの才能が少なからずある様なのだ。班長もそう言うのだからそうなのだろう。

 自覚は無いにしても、今後俺は電脳戦でコイツを使って敵の脳味噌乃至端末をハッキング・クラッキングするのだ。

 ああ憂鬱だ。だが、明日はくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る