24 いつでも、どんな状況でも
それからは地獄のような日々だった。毎朝日の出とともに、筋肉痛の足を引き摺りながら滝まで往復。ただでさえ肥満の体。加えて筋肉の落ちた肉体。激しいアップダウンのある坂道。太ももの筋肉が悲鳴を上げる。それでも弱音は吐きたくなかった。栞奈のためなら僕は何だって出来る! それを証明するため歯を食いしばって耐えた。
滝に打たれる時間は好きだった。後頭部を水がボカボカ殴るのは苦にならない。冷たい水も火照った体にちょうど良かった。それより辛かったのは食事の時間だ。今まで大好きだった食事が嫌いになった。何度も食べた物を戻し、その都度、朱雀さんと眞代子さんが綺麗に片付けてくれた。情けないし、気持ち悪いし、酸っぱい匂いと味が鼻と口中に広がって、自然と涙が溢れた。それでも泣きながら、意地になって出された物を全て胃の中に押し込んだ。
どうやら僕には才能があるらしい。思ったよりも座学の暗記は捗った。全く分からない言葉なのに、すんなり頭に入った。朱雀さんの音階も、祝詞の発音も、完璧に暗唱出来るようになった。滝行の間、無心で祝詞を唱える。これを繰り返すうち、次第に体の中に何か感じるものが出て来るのだという。それを感覚として掴めれば、術法が使えるようになるのだと。そう言われる前から、僕の体の中に、何か違和感のようなものを感じ取っていた。これこそが皇室秘伝の術法を使うために最も大事なものなのだと気付くまで、それほどの時間を必要としなかった。
「どうやら、掴んだようだね」
僕の唱えた音階で、すやすやと眠る朱雀さんを見て、青龍さんが合格を出してくれた。
「あとは、いつでも、どんな状況でも、間違いなく術法を行使出来るように。反復練習あるのみだ」
「分かった。じゃあ次は、青龍さんにかけてみても良いかな?」
「そうだね……否、他の術法も試そうか」
「何の術を?」
「解毒にしよう。これは大変危険な練習になるからね、まずは手前の体で……」
「ちょ、ちょっと待って! 青龍さんの体で!?」
「ああ。ちょうど先日、白虎隊が外で捕まえたばかりのハブがいるから、それを使おう」
「えっ……!?」
「手前が咬まれるから、その毒を解毒するんだ」
「いや、そんな無茶を……失敗したらどうするンゴ! ンゴじゃない……」
「ンゴ、というのは、言ってはいけない言葉なのかい」
「栞奈が……栞奈があの時、言ってたから。ンゴンゴってブタかよって。ブタって呼ばれるのは、別に嫌じゃないんだ。でも栞奈は、そんな僕を嫌ってたし……」
「栞奈さんは、本当に嫌っていたのかな?」
「そう言ってたけど?」
「それが本心なのか、分からないんじゃないか」
「僕を……殺す間際に、嘘を吐いてどうするの……あれは本心だと思う……」
「そうかい。まあいいさ。それよりハブだ」
「危険すぎじゃない?」
「これは手前にしか出来ないからね。もし耕作様が失敗しても、自分で解毒出来るから、手前が実験台になるのが一番なんだよ」
「そう言われればそうかも」
「それに、毒が回って死に至るほどは咬ませないよ。毒が体内に入ったこと、それが解毒出来たことが分かる程度でいいんだ」
そうして青龍さんは、奥にいた白虎さんにハブを持って来させると、腕を捲って左手の手首辺りにハブの牙を押し当てた。数秒、そのまま咬ませると、ハブの牙から怪しく濁った黄色っぽい液体が滴った。「では、解毒の術法を試してくれるかい?」そう言う青龍さんは、少し苦しそうな表情を浮かべ、額からは汗が滲んだ。
「オンコロコロ、オンコロコロ……」
青龍さんの体に毒が回る前に、解毒を急がなければ!
「センダリ、マトギ、ソワカ、ウン……」
どうしても青龍さんの表情が気になってしまう。青黒く変色する咬み痕も痛々しい。
「オンコロコロ、センダリ、マトギ、ソワカ、ウン!」
祝詞は正確に唱えた筈だ。これで成功……したのか? 青龍さんの様子は……変わっていない。手首の咬まれた跡も、どんどん黒ずんでいく。失敗した!?
「……失敗だね」
青龍さんは小さく呟くと、口の中で何やら祝詞を唱えている様子。咬み痕からどす黒い血が少量、流れ出たと思ったら、徐々に黒く変色した手首は血色を取り戻していった。それから10分ほどで、咬み痕だけを残し、青龍さんの腕は元通りになった。
「なんで失敗したんだろう?」
そんな僕の疑問に、青龍さんが答える。
「滝行を思い出してごらん」
「そっか。体の中に……」
術法を使うために必要なものを、滝行で学んだ筈だった。あの感覚を思い出しながら、祝詞を唱えなければいけない。それなのに、僕は青龍さんの苦しげな表情や、色の変わった手首に気を取られ、すっかり忘れてしまっていた。いつでも、どんな状況でも使えるように、というのは、こういう事か! 僕はまだまだ修行が足りない。滝行による精神統一。祝詞の暗記。往復で汗をかいた分の栄養補給。そして朱雀さん、青龍さんの協力を得ての実践練習。日々、修行に明け暮れた。
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