第6話 栞奈の場合 その3

 数日後。


 完成の目処が付き、大学の研究室から電話をかける。「ガラスの吊り橋の魅力には勝てなかったよ」了承の意を伝えるとブタは大喜び。これから殺処分されるとも知らず呑気なものね。飛行機、宿、ガイドの手配。ウッキウキでそんな話を続けるから「必要ない」と断った。無駄話をしている時間はないの。「私が何とかするから無駄遣いしないで」そう言ってブタを黙らせた。「それに2人の方が……何かと都合良いじゃん」旅の間、ガイドに付いて回られたらチャンスを作れない。ガイドの存在は計画の邪魔。


「予算は?」

「ン~っゴ、飛行機と宿泊費で一人十万円台ンゴ。他にも必要になるンゴし」

「飛行機以外の移動手段は私が調べておくね」

「あ、そうンゴね、現地に着いても吊り橋までどうするかってのもあるンゴね」

「全部任せて。少しでも安く済ませてみせるから」

「じゃあ全部お任せンゴ。11日から週末まで。って僕の立場ないンゴ?」

「お財布。出してくれるじゃん」

「ンゴォ~ッ! 僕は財布ンゴかあ」

 アハハと笑ってから、「色々準備しないといけないから」と早めに話を打ち切った。このまま話を続けていたら、またブタが調子に乗ってペラペラ喋り出しかねない。さっさと予約を済ませて、薬を仕上げなくっちゃ。


 翌日。試薬が完成。「全部準備できたよ」と連絡をした。総額でいくらになるけど平気? と聞くと、それなら予算内だから大丈夫との返答。あとは薬をどこに仕込むか。あのブタはきっとバレンタインチョコを期待している。2月11日から旅行なんて、チョコ欲しいですブヒ! って言ってるようなもの。だからチョコに混ぜるのは確定。溶かしたチョコに薬と、すり潰した蟻んこを入れてやったわ! ふふ。ンゴンゴ鳴くブタには『アリンコ』がお似合いね。他に手料理も作って仕込もう。でも味が変わったらバレてしまう。だから食事前に、神経に作用して味覚感覚を鈍らせる、しびれ薬の方を投与する必要がある。さてどうしよう?



 旅行当日。


 朝早くに起床。ってか眠る時間はなかった。鏡を見ると酷い顔をしている。冷水で顔を洗い、寝不足のクマを隠すためにいつもより少しだけ濃い目のメイクを施す。お弁当のサンドイッチを作り、そこに例の薬を数滴。誤って自分が食べてしまわないよう、包むラップには目印を付けた。

「耕作君によろしくね」

「は~い。行ってきます」


 少し早すぎた。まだ彼はいない。10分ほど待っていると、

「おはよ、早いンゴね」

 ブヒブヒ言いながら出てきた。ブタめ。

「うん……あまり眠れなくって」

「行こンゴ」

 彼の手が私の手を探して宙を彷徨っているのが丸分かり。ふん、意気地のない男ね! 電車の中、飛行機の中、ここ数日の寝不足から、私はウトウトしっぱなし。おかげでブタ声を聞かないで済んだのだから良かったわ!


 江蘇省江陰市。ホテルは国際空港を降りれば目と鼻の先。予定では、今日一泊した後、明日の午前中に例の場所へ。今日は真っすぐホテルへ行き、ゆっくりする。ホテルは高すぎず安すぎず、なるべくきちんとした場所を選んだ。用意した薬入りのサンドイッチは明日のために残してある。

 ここ数日の寝不足から、ホテルに着くとすぐに眠りに就いた。節約のためブタと同室にしたけれども、どうせ私を襲う勇気なんてないから安心。せいぜい髪に触れたり匂いを嗅いだりする程度。それも十分キモいけれども、明日までの我慢と思えば……




 旅行二日目。


 今日は目的地、例の吊り橋に向かう。ホテルにレンタサイクルがあるのはリサーチ済み。宿泊客なら格安。吊り橋のある公園まで、私の案内で約1時間のサイクリング。あのブタは肩で息をしているわ。ふふ。計画通りね。

 華西世界探険公園。ここが目的地。観光スポットだけれども、シーズンオフで人の姿はまばら。サイクリングに続いて休む間もなく登山。汗だくで登るブタに用意していたタオルを使う。汗まみれのブタの顔を、無味無臭の粉薬をまぶしたタオルで乱暴に拭う。何度も何度も。この薬は感覚を鈍らせる他、血圧を上昇させる効果もあり、分かり易く言えばお風呂でのぼせたような状態になる。


 やっと山頂へ到着。だらしない姿勢でベンチに座り込むブタ。風呂上がりのおっさん状態。あ~あ、みっともない。最後にもう一度、タオルの粉薬を吸い込ませてから、私は橋の方へ向かい、橋の状態と観光客の様子をチェックした。透明の床から下を眺めると、目が眩むほどの高さ。こわっ! 橋は頑丈で百人乗っても大丈夫! 落下防止の手すりと柵があるけれども、胸ぐらいの高さだから計画に支障はない。私一人でも、ブタを引き上げて突き落とすのは可能と判断した。あとは人目……


「ねえ、楽しそうだよ。行こ」

 ブタおっさんの手を引く。

「も~、そんなに疲れた?」

「ンゴ。もうちょっと休んでからにしないンゴ?」

「え~」

「今、人少ないけど、お昼になったらもっと減ると思うンゴ。先に何か食べてさ」

 それは好都合。でもここは演技よ演技。わざとらしく。残念そうな表情を作る。

「怖いんでしょ?」

「えっ。いや、えっと」

「隠さなくていいのに。じゃあ、飲み物買って来るね」


 計画の第二段階に入る。あの様子なら、きっともう味覚も感じないわね。

「お待たせ! こっちは私の作ったサンドイッチだよ」

 サンドイッチの入った弁当箱を差し出す。彼の癖は知っているわ。きっと右端を取る。……計画通り!

「美味しい?」

 黙って頷くブタ。飲み物にも筋弛緩剤を混入しておいた。

「もう一つ、食べる?」

 次のサンドイッチも予想通りのものを選んだわね。薬入りの飲み物もガブガブ飲んでいる。

「大丈夫?」

 反応を確かめる。だいぶ弱っているわね。

「ねえ、私、渡したいものがあるんだけど」

 仕上げの一品。このチョコには一番効果の強い薬が入っている。麻薬に近い成分で、思考能力をほとんど失う。

「少し早いけど、これ。チョコレート」

「チョコ……レート……」

「そうだよ。もうじきバレンタインだよね」

「ああ……」

 反応が鈍い。もう十分かしら? これ以上は……

「ねえ、大丈夫?」

「平気、ンゴ」

「本当に?」

「ンゴ、全然。だいじょうぶ」

「はい、チョコ!」

 何も殺す必要はなくない? 今なら計画を中止できるけれども……

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