第5話 栞奈の場合 その2
「栞奈。ちょっと話があるんだけど、いいンゴ?」
「うん? なに?」
突然の電話。大学の彼氏かなと思って大急ぎで取ったら、聞こえてきたのはブタの鳴き声。落胆を悟られないようなるべく平静を装った。
「今、大学休みじゃンゴ?」
「うん」
「バイトやるって言ってたンゴ? もう始めたンゴ?」
「それがね、まだ見付からないの。探してるんだけどねー……」
2月の第一週目には、もう大学の講義は残っていない。私はバイト探しの最中。
「僕さ、実は中学、高校の時のお小遣いを貯めてあるンゴ」
「えっ、なに、自慢?」
イラッ。声に棘があるのを、笑って誤魔化した。
「それが、結構な金額貯まってるンゴ。何も欲しいものとか無くてさ。貯金が総額で五十万弱、四十数万円ゴ」
イラッ。イラッ。なんかムカつく!
「えっ、やっぱり自慢ですかー。そうですかー」
「いや、そうじゃないンゴ。あの、ちょっと言いにくいンゴけど」
「ん? 何よ」
「ンゴ~、その。旅行ンゴ、行く気はないンゴ……?」
「旅行?」
「ンゴ。もう僕ら二十歳じゃンゴ? 立派な大人っていうンゴか」
「耕作が立派なもんかよ」
「ンゴォー!」
皮肉のフリした本音が駄々洩れだけれども、もう気にしないわ。ブタにどう思われようが関係ないし。
「まあ立派かどうかはともかくンゴ。僕の貯金ゴで、パーっと旅行ンゴに」
「うん……?」
は? 旅行? 何言ってだコイツ。
「ダメンゴ?」
「別に……ダメじゃないけど……」
ちょっと考えよう私。冷静に。えっと、旅行? まさか変な下心じゃないでしょうね? いやいや、人畜無害なこのブタが、そんな大それた考えとは思えない。これは単純な好意?
「嫌ンゴ?」
「別に…………イヤじゃないけど……」
冷静に、冷静に。考えるのよ。下心じゃないとすると何だろう? ってか私にメリットは? 待って、もしかして2人っきり? これってもしかしてチャンスじゃない? このブタを殺処分するいい機会だわ!
「お金の心配、してるンゴ?」
「……うん……」
人目に付かない場所に誘い込んで。とすると必要なものは……さすがに正面からやるのは難しいわね。
「心配しないで。使う予定のないお金だから。それに、そんなに長旅じゃないンゴ。2泊3日か、3泊4日ぐらいで。どうンゴ?」
「……うん……行くとしたらどこに?」
薬……そう! 大学で勉強しているじゃない! 薬を使って眠らせるか弱らせれば……きっといけるわ!
「いつだったンゴか? ガラスの吊り橋って、テレビでやってたの覚えてるンゴ?」
「覚えてる! 怖そうだよねって話したよね~!」
「そうンゴ、それンゴ」
「中国だったっけ?」
「中国……?」
「あれ? 違った?」
「中国ってさ、本当は中国の事を指す言葉じゃないって、知ってるンゴ?」
「どういうこと?」
何言ってだこのブタは。
「中国って何の略か分かるンゴ?」
「中華人民共和国でしょ」
「ンゴ! 予想通りの返答ンゴ!」
「はぁ?」
マジでムカつく!
「ごめんごめンゴ。中華人民共和国だって思うじゃンゴ?」
「何なのよ、もう」
「中国ってさ、本当は中華民国の事なンゴよ」
「中華民国? って、もう滅んだ国でしょ」
「あ、そこからンゴ?」
「はあぁ~?」
あ~もう絶対殺すわ。殺処分決定!
「本当にごめンゴ。僕の方が頭悪いから、栞奈に少しでも教えられる話があるのが嬉しくて。つい引っ張っちゃったンゴ」
「黙れブタ」
あ、本音が漏れ……
「ありがとうございます!」
そしてまたお礼を言われた。なんなのよもう。
「今の中華民国は、俗にいう台湾ゴ」
「何言ってんの」
「台湾ゴの正式名称が中華民国っていう国名。それを略して中国ンゴ」
「じゃあ中国……中華人民共和国は?」
「それも中国って呼ぶ人がいるけど間違いンゴね」
「はぁ? ちょっとバカは黙って」
「ンゴォ! いや本当ンゴ、調べてみてもいいンゴよ。中華民国の歴史を調べたら分かるンゴ」
「あっそ。もう切っていい?」
「あ! 待ってンゴ!」
慌てるブタ。ふふ、滑稽ね。
「旅行! 旅行ンゴの話ンゴ!」
「何かもうどうでもよくなった」
「そう言わないで。行こンゴよ、ガラスの橋ンゴよ!」
「あっ、そう言えばその話だったね。興味あるけど……」
それは普通に興味あるわ。
「行ってみたいって言ってたじゃンゴ。こんな機会なかなかないンゴよ」
「うん……だよね」
あれ? もしかしてそんなに悪い話じゃない……?
「行こンゴよ。旅行ンゴ!」
「少し考えても良い?」
「もちろンゴ。冬の休み中に……そうンゴね、2月11日の祝日から週末までの連休でどうンゴ?」
「考える。先に大学に行かないといけないし」
「もう講義全部終わったンゴじゃ?」
「そうだけど、急用が出来て」
「予約ンゴもあるから、早めに答えを聞かせてンゴ」
「分かった。じゃあね」
「ンゴ~」
邪魔でムカつくブタを殺処分するか。それとも旅行を普通に楽しむか。迷う。兎に角、どちらでも決行できるように準備が必要ね。今すぐ大学に行って……んっと、その前に、薬の材料を買わなくっちゃ。薬局と……100円ショップで買えるかしら? 善は急げね。
部屋着の上からコートを羽織ると、お財布を掴んで家を出た。100円ショップでは、園芸コーナーや掃除用品を見て回り、成分表示をじっと眺めて必要な材料を探した。予定していた材料はだいぶ揃ったけれども、まだ少し足りない。大学にある備品で自由に使える物もあるけれども……やはり薬局にも寄って行こう。「これと。これ」全国に100店舗以上チェーン展開しているドラッグストアで、足りない材料を買い揃える。あとは大学に行って研究室を借りて。うん、大丈夫。時間も十分にあるわ!
お母さんに、「大学に行く急用ができたから、今日と、もしかしたら明日も学校に泊まるかも」と電話を入れる。行きがけにコンビニにも寄って、夜食になるものと飲み物も買い込んだ。それからは徹夜で薬作り。必要な成分の抽出を行い、混ぜ合わせる。試薬の実験をする時間はないけれども、きっと大丈夫。有効成分は間違いないし、これだけ濃縮できれば効果はあるはず。どこまで効果が出るか不透明な部分もあるけれども、幾つかの薬を用意できる目処が立った。もし全部効き目が薄かったら作戦を中断すればいい。兎に角、大学で学んだ知識が役に立ったわ!
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