34 白虎さんの左腕が
滝行は禁止になった。毛人に遭遇する可能性が高まったからだ。毛人の襲撃により滅びた中城まで、直線距離で約10キロ。もし毛人に首里城が発見されれば、明日にも襲われる可能性がある。滝に打たれる意味は何かと言えば、いかなる状況でも正確に祝詞を唱え、体内にある術法の源を十全に引き出す点にある。寒くなり、滝行の効果が最大限引き出される季節だったのに。
残念だ ああ残念だ 残念だ
などと一句詠んで浮かれていると、青龍さんが滝行以外の苦行を幾つか提案してきた。ちぇっ余計な事を。例えば火。燃えた炭の上を歩きながら祝詞を唱える。尖った砂利を裸足で踏む。頬に張り手する。体中木の棒で叩く。針を刺す。等々。そういう趣味はないのだが。
年が明けた。八咫鏡が暗闇しか映さなくなった、その年である。青龍さんが改めて今後の日本を占ってみても、やはり何も映らない。その日がいつなのかは分からないが、明日にも世界が終焉を迎えるかも知れない。
今まで体得した術法を整理しよう。
一、解毒の術。毒素等を中和し又は排出する。
一、音階の術、超音階の術。周囲の人を眠らせる。
一、時間伸長の術。時間を有効活用する。
一、認識阻害の術。姿と気配を消す。
以上である。この他、現在習得中の術法が快復の術と離魂・帰魂である。青龍さんは「必ずしも必要ではないんだけどね、あった方が良いだろう」と言う。特に、僕のために後者2つは是非とも覚えて欲しいと。僕が果たすべき
「あぁっ! 痛っ!」
「中から感じるんだ!」
「無理ぃ~!」
「さあ! 感じて!」
「いったぁ!」
「もっと感じて!」
「待ってぇ!」
「全力でと言ったのは誰だ!」
「痛いんだってば!」
「そんな有様で習得出来るものか! 祝詞を唱えて」
「集中して唱えるなんて無理ぃ!」
「……では、諦めるかい?」
「……」
涙が出るほどの痛み。動かないよう押さえ付けられ、お腹や胸に焼けた炭が押し当てられる。皮が焼けて黒く焦げ、体中から脂汗が噴き出す。周囲に充満する肉の焼け焦げる匂い。「ありがとうございます!」なんて冗談を言う余裕もない。激痛は、やがて鈍い痛みへと変わった。
痛みで夜も眠れない。朱雀さんの音階で僅かな時間はぐっすり眠れるのだが、2時間もすると胸の火傷がズキズキと痛んで目を覚ます。苦しんでいる僕に気付くと、朱雀さんもまた起き出して音階を奏でてくれる。冷水で湿らせた手拭いで僕の体を優しく冷やしてくれるのは、すっかり痩せ細った佳久子さんと眞代子さんだった。
「来やがったぞ!!」
前庭から中庭へ、叫びながら飛び込んで来た白虎さん。
「奴ら、城壁の外にいやがる!」
慌てて飛び起き、表に出ると……右腕一本で子供を抱きかかえる白虎さんの姿があった。その右手に天叢雲剣を握り、反対の腕は……二の腕から先が無い。白虎さんの左腕が無かった。
「どうしたのですか!? さあこちらへ! 手当て致しますわ」
「この子を頼む!」
朱雀さんに子供を抱かせると、青龍さんと白虎さんは奥の方へ向かう。僕も二人の後を追った。
「あの子は?」
「毛人がすぐ外まで来てな! 門の外で暮らしていた子供だ! 毛人に連れ去られそうだったところを助けた!」
「腕はその時に?」
「毛人にやられたのかい? にしては切り口が……」
「ああ!? これか!? 自分で斬ったんだよ!」
……は? 何言ってだ? 不思議そうな顔の僕を見て、白虎さんはガッハッハ、と豪快に笑った。
「前に話したろ! 獣は弱い奴から襲うんだ! 女、子供は真っ先に狙われる! 毛人の奴が子供を狙っていたからな! 代わりに腕一本くれてやった! 抵抗する子供の代わりにオレの腕を拾うと、嬉しそうに去って行ったぜ! 骨と皮だけの子供より、オレの肉付きの良い腕の方が美味いだろうさ!!」
どこまで強い人なんだろう。子供を助けるために、左腕を自ら切り落としたというのだ! 痛いだろう。苦しいだろう。それを表情や態度に出さず、オレの腕は美味しいぞと笑ってみせるのだ。
「止血する。きつく縛るよ」
腕の付け根、脇の下にある大動脈を締め上げる。
「痛むぞ! 我慢しろ白虎」
青龍さんが松明の火で切り口を直に焼いて血を止める。ジュウ、ジュウッ、という肉の焼け焦げる音と匂いが辺りに充満した。その間、白虎さんの額には脂汗が浮かんでいたが、うめき声一つ上げなかった。
クソッ! 僕はなんて弱いんだ! 小さな炭で体をちょっと焼かれる、その程度の痛みで音を上げて! もう時間がない。絶対に術法を体得し、使命を果たそう。栞奈を助ける。それが第一目標なのは変わらない。でも、この人たちにも報いたい! いや、報いなければならない!
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