愛追③

「ええ。私より年上の人よ。先生なの。恋文を何通も書くんだけどね、全然上手くいかない。好きって伝えたいのに、言葉がぐちゃぐちゃになって難しい」


「言葉が、ぐちゃぐちゃ……」


「もし先生が嫌いだったら、楽なのになって思う時もあるわ。恋文って気持ちを伝えるもののはずなのに、その手紙をとおしてもっと好きになってもらいたいなって、喜んでもらいたいって期待するでしょう? 死んでしまいそうになるくらい好きだから、もう、何枚のレターセットが犠牲になったか分からないわ」


 儚げな声色や印象とは裏腹に、どうやら苛烈な恋心を持っているらしい。それも相手は年上で、先生。学校の先生と生徒の恋愛は厳しいだろうし、思いつめることもあるかもしれない。


「恋をすると、価値観がおしゃかになるのよ。先生にって買った可愛いレターセットは書き損じてぐちゃぐちゃに出来るのに、先生から貰った花丸の答案は額に入れてるの。捨てられないの。先生の花丸は四角くてね、かくかくしてるから余計特別に感じてしまって」


 捨てられない、花丸の答案。


 そんな風に誰か一人を想う恋は、どんな感じがするのだろう。


 アイドルは恋をしない。するのはファンの皆だけ。遠い世界のことだと思っていたし、それでいいと思っている。


 でも死に損なってから、恋について話をするなんて。


「あ」


 じっと美容室を見詰めていると、浮かれた様子の縁川天晴が出てきた。満面の笑みを浮かべ、見送りをする美容師さんと握手を交わし何度もお礼を言う。


「あかりちゃん!?」


 私の名前を絶叫した。このままでは、縁川天晴は完全に不審者になる。私はあわてて彼のもとへ向かおうとして、女性へ振り返った。


「すみません。あの、呼ばれてて」


「もう行ってしまうの? せっかく会えたのに勿体ないわ。もう少し二人でお話ししましょうよ」


「ごめんなさい。良ければまた」


 またなんてきっとないはずなのに、つい「また」なんて口にしてしまった。けれど彼女は嬉しそうに「じゃあ、またね」と、微笑む。


「ではすみません。今日はありがとうございました」


 お礼を言って、私は縁川天晴のもとへ向かっていく。彼は私を見つけて「あかりちゃん!」とまた絶叫した。


「探しましたよどこ行ってたんですか!」


「ちょっとそこで女の人と話をしてて」


「女のひと? いませんけど……もう行っちゃったんですかね」


 縁川天晴は、きょろきょろあたりを見回す。振り返ると、さっきまでいたはずの女性の姿が見えなくなっていた。立ち去るには早いような気がして、私も首をかしげる。 


「どこ行ったんだろう……」


「それより見てくださいよこれ! マッシュニュアンスパァーマァー!」


 縁川天晴はビブラートを利かせ、自分の左右の毛束を掴みながら奇妙なリズムで身体を左右に揺らした。私はあわてて彼を路地へと引っ張る。そして彼の黒髪から覗くその色に戦慄した。


 黒一色だった髪は、その内側をサファイアブルーとアメジストブルーのグラデーションで染め上げられていた。


「あかりちゃんインナーカラー! です!」


「何でまた……」


 あまりの状況に、次の言葉が発せなかった。縁川天晴は喜びを隠さぬ瞳で、自分の毛を撫でている。


「髪全部やっちゃおうかなと思ったんですけど、父にぶっ殺されるどころか裏の井戸に沈められると思うんで……えへへ」


 せめて自分を整えてもらおうと、推し活から離れてもらおうと思っていたのに。


 より意思を強固なものにしてくるとは予想できていなかった。


 ただ、私を推すことをやめてくれたらと思っていたのに。これでは意味がない。


 視界にうつる鮮やかな色に、どんどん私の心は重くなる。


「あれ? なんか今あっぱれくんの声がしたんだけど」


 まるで学校に向かった時を再現するかのように、背後から声がかかった。


 振り返ればこの間の男子生徒と、女子生徒たちが立っている。思えば「行事全部蹴って打ち上げ前日に学校に来るとかキモ」と言っていたから、なにかの打ち上げかもしれない。どうやらカラオケ店へはいるところだったようで、中途半端に店の入り口に立ちながらこちらを見ていた。


「もしかして、あっぱれくんじゃない?」


 口々にクラスメイト達は縁川天晴に注目していく。その目に嘲りや、軽蔑、無関心は一切ふくまれていなかった。純粋で強い羨望の眼差しだけを、縁川天晴は集めていた。


「かっこよくない?」


「え、アイドルみたい。嘘でしょ? どうしよう」


「全然違うじゃん。なに……?」


 女子生徒は、頬を染め近づくか躊躇っている。男子生徒たちは、ただただ茫然としていた。まるで本当にアイドルが立っているかのように、縁川天晴を見て、いい意味での近づきがたさを感じていた。何人か勇気がある子たちがそろそろ近づいてきているところが、よりそれらしさが出ている。


「えーかっこいい……月曜日楽しみすぎる」


 そんな好意を隠さぬ声が口々に発せられ、縁川天晴をいじめていた生徒は顔を見合わせ、居づらそうにうつむく。こんなに評価が簡単に覆るほど、縁川天晴のクラスの大半は、彼に悪い印象を持っていたわけじゃなかったのだ。


「えっと、僕は重大な用事があるので、これで」


 だというのに、縁川天晴はさっとその場を後にしてしまう。もう少しクラスの前にいて、人の目を惹きつけたほうがいいだろうに。


「待ってよ。いいの? クラスの子かっこいいって言っていたけど……昨日変なこと言ってきたりとかしなかった、普通のひとも……」


「はい。どうでもいいです! それよりこれであかりちゃんのことを悪く言う人間を黙らせることができて幸せです! 美容室も怖いところだと決めつけてましたけど、いいもんですね。今度は夢の推しカラーコーデも揃えちゃいましょうかねぇ!」


 まるで、クラスの人間なんてどうでもいいような声色だった。


 私にしか興味がない。


 はっきりとそう言われているみたいだ。


「あかりちゃん?」


 顔をのぞき込まれ、私は思わずのけぞった。


「よ、洋服いつから買ってないの」


 私は取り繕うように訊く。彼は唸りながら考え込み、私を横目に見た。


「服代は全部推し活に投資して……えっと……雑誌とかグッズへ」


 グッズはライブに合わせてだったり、シーズンに合わせて販売することが多いけど、雑誌は毎月だ。


「じゃあ、今月以外ぜんぶってこと……?」


「もちろんです!」


 私が炎上したのが新刊の発売の少し後だったこともあり、代打が立てられ今月私が掲載される雑誌はゼロになった。


 売れないものを発売するよりも、ギリギリのスケジュールを切り詰めてでも、代打を用意するほうが傷が浅くて済む。雑誌に関わった人たちは、過酷なスケジュールを強いられるだろう。


 死ぬ前は思い浮かべることのなかった人たちの顔が浮かぶと同時に、どこまでも私を推すだけの生き方をしている縁川天晴に、どうしようもない気持ちになった。


「今日みたいに、私が選んでもいいし、ちゃんと外に出る服も買って」


「ぜひ! よろしくお願いします! 約束ですよ」


 フゥ! なんて声を上げて、彼はスキップで進んでいこうとする。


 かと思えば立ち止まり、こちらへ振り返った。靡いた黒髪の隙間から、かつて自分がメイン衣装として来ていた青と紫のグラデーションが見えて、胸が詰まる。


「今日、 最後にあかりちゃんと行きたいところあるんですけど、いいですか」


「別にいいけど……」


「やったあ! 絶対行きたかったんです!」


 絶対行きたいというわりに、行き先を明かそうとしないところに疑念が湧く。でもどうせ死んでいるのだ。危ないこともないかと、私は軽く承諾した。

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