いのちがけの初恋①
私たちは、ゆっくりと病院の外を歩くことにした。さすがに中庭でぶつぶつ話をさせるわけにはいかない。聞きたいことはやまほどある。
「寺生まれだから、じゃないでしょ」
落ち着いて、真実を知りたい。なのに力がこもって、責めるような口調になってしまった。縁川天晴の表情は、不気味なくらいいつも通りだ。
「さくらちゃんが私のことを見えてたのは、手術する前で死に近かったから。でも手術終わって死ぬ可能性がなくなったから、見えなくなった。先生は、始め見えなかったらしい。病気が進行していくにつれ、見えるようになったって聞いた」
「そうなんですか」
しらばっくれる口ぶりに、嫌気がさした。空は雨が降り出しそうで、いつもいつもこの空は私の大切なものを奪っていくのだと、手のひらを握りしめる。
「貴方が私が見えるのは、病気だからじゃないの」
「恋の病、とか?」
おそるおそるといった口ぶりなのに、本質ははぐらかしてくる。
今までずっと私は縁川天晴のことを、弱気なわりに、変なところでこだわりが強いと思っていた。
でも違う。こだわりが強いんじゃない。
縁川天晴は、ずっと──、頑なに自分の秘密を守っていた。
「死に近いんでしょう。天晴が」
彼は私に隠していたのだ。自分が病気だということを。そこだけは徹底していた。
「違うなら、違うって言って」
返事がほしい。
否定してほしい。そんなわけないって。自分はずっと生きてるって。
でも、私のほしい言葉は、一つも音にならない。
「……なんで黙ってたの」
「推しに自分語りするなんて、厄介オタクの極みですよ。ろくでもないじゃないですか。困らせたくないし。ただでさえ、オフの推しに声かけてるんですから」
あははと、軽く笑う。そして、私を諭すように語り始める。
「確信はあったんですよ。寺の人間に貴女の姿が見えないことや、先生が徐々に貴女を認識し始めたこと。きっと貴女が見えるのは、僕の時間が残り少ないからだろうなって。さくらちゃんの手術が成功したならば、きっと彼女は貴女が見えなくなるって」
軽く笑ってしまえるほど、もう縁川天晴の中に死は確定事項としてある。
まともに取り合ってくれていないことがもどかしくて、窒息しそうになった。
「よく子供は目に見えないものも見えるって言うじゃないですか。病院という立地のわりに、貴女を認識している人は少なかったし、霊感由来ということに賭けてたんですけどね……」
自嘲的な笑みに、心臓の奥が痛くなる。喉が、焼けるように熱い。自分が今怒ってるのか、泣きたいのか分からない、ぐちゃぐちゃだ。
彼は学校に通ってないと言っていた。学校に通えないけど、学校に問題があるだけだからネットにいたり、高校に行く準備をしている人はいくらでもいる。天晴も、いじめられたり友達が出来なかったりして、今の生活をしているのだとばかり思っていた。
「兄は、いないの」
「はい。嘘です」
もしかしたら縁川天晴は、今日みたいに自分が暴かれる日を、想像していたのかもしれない。なにも動じず、彼は認めた。
「どこが、悪いの」
黙ってたことに、憤りはある。嘘をつかれたことも。
でもそれだけじゃない。気づけなかった自分が、一番憎い。
今思えば、気付けるきっかけはいくつもあった。微塵もその存在が感じられない兄の存在に、先生の言葉。私の危険を感じたら必ずそばにいるよう言ってきたのに、病院では突然姿を晦ましたり別行動をしたがった。
よく考えれば、調べようと動けた。
気になったはずだった。
「心が悪いって言ってたけど、心臓のこと……?」
「酷いこと言いますね。心が悪いなんて心外ですよ。ショックです」
「話を逸らさないでよ!」
怒鳴りつけて、ようやく縁川天晴の視線がこちらに向いた。その表情は、全部受け入れたあとみたいな、彼はもう、ただ死を受け止め、過ぎ行く時間を待つ人の顔をしていた。
「どれくらい……」
「え」
「あと、どれくらい生きていけそう……?」
声が、震えた。立ってられない。苦しい。
この世界から、縁川天晴がいなくなる。去年まで知らなかった。認識していなかった。
でも耐えられない。彼が死ぬことが。
彼はまだ生きている。でも耐えられない。彼の命がもう少ない事実が、どうしようもなく受け入れがたい。
「終わりなんてない、ただ明日を真っすぐに生きていこうって、貴女がデビューシングルで歌っていたんですよ」
小さい子をあやすみたいに縁川天晴は、困った様子ではにかむ。
まるで聞き分けがないことを私が言ってるみたいで、彼が死ぬことが絶対覆らないようで、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「……短いってこと?」
「あらやだ。推しに心を読まれてしまいました」
ふざけた声色なのに、悲しい。
何も言えず涙ばかりが流れて、どうしようもないほどの無力さに、ただ手のひらを握りしめる。その手に、縁川天晴の手が重ねられた。
「別に、すぐ死ぬというわけじゃないですよ。手術の道も残ってるんです。ただ、決心が鈍るというか……」
「なんでよ。手術すれば治るんじゃないの? 何が問題なの」
「小さいころから、わりと全部……いろいろ未発達というか。客観的に言って、耐えられるか微妙なんですよ。ほぼ耐えられないと言っていい。さくらちゃんの手術は間違いなく彼女を生かす手術ですけど、僕の場合は殺す手術になりかねないんです」
爪先から、どんどん体温が地面に吸われていくみたいに冷えていく。
死んでほしくない。
ずっと生きていてほしい。なのに、耐えられないなんて。
「……一生推すって言ったじゃん」
不貞腐れた声色で、意味もなさない言葉を吐く。
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