いのちがけの初恋②
してない約束を、したと言いかがりをつける。
私はどこまでも子供で、縁川天晴はどこまでも穏やかな態度を崩さない。
「はい。オタクは一生推しを推して、死んでいくんですよ。」
「そういうんじゃない。もっと長く、長く生きてよ。なんで……なんで……」
どうして、貴方が死ななきゃいけない。
そんなに悪いことなんてしてないはずだ。
「なんだか告白されてるみたいです。推しにリアコされる錯覚が見られるなんて驚きです」
「そうだよ」
好きだ。
私は彼のことが。
ファンに恋をするなんてありえない。
それは、ほかのファンへの裏切りだ。恋人なんて作らない。もし恋人ができたり結婚するようになったら、絶対に言わないし隠し通す。果崎あかりは、ファンの人が一番大切で、それ以上に大切な存在はあってはならないから。
普通の恋人でいられない。相手に負担を強いる。
だから好きな人なんていらない。そう思ってた。
「好きだよ。好きだから、生きてほしいんだよ。それだけでいい。それだけで十分なの。健康で、普通に生きててくれたら、それで」
「果崎あかりは、皆のアイドル、でしょう」
そっと彼が、私の肩を押した。応援して、推してくれて、私の背中を押してくれた手で、線を引く。
「単推しオタクは一人に一途ですけど、アイドルは一人に固執しちゃだめですよ」
優しい拒絶に、涙が出た。
これ以上同情するな、自分に心を向けるなと静かに線を引かれている。
「別に、結ばれたいなんて望んでない。でも、生きててよ。何で、何で死んじゃうの」
死に損なって出会ったのが、縁川天晴で良かった。でも、死んじゃうなら見えてほしくなかった。
知り合いになれなくてもいい。推されなくていいから、私の知らないところでいいから、ずっと生きていてほしかった。
「生きててよ。なんで、なんでよ。なんで死んじゃうの」
泣きながら欲しいものを強請る子供みたいだと自分でも思う。でも止められない。苦しい。生きててほしい。天晴がいない世界なんて考えられない。
「どうして、天晴は──」
「僕だって、そうですよ……」
唸るような声に、追及の手が止まった。
顔を上げると、縁川天晴は私をまっすぐ射貫いていた。
「僕だって、そうですよ!」
押された肩を掴まれる。前を見れば縁川天晴が泣いていた。大粒の土砂降りのような雨と共に響く雷鳴のように、声をあげる。
「僕だって貴女に生きててほしい。生きてようとしていて欲しかった! 黙ったままでいい! 謝らなくていい! 何か言うのに絶対事務所通さなくちゃいけなくて、黙ってなきゃいけないってのも、ファン皆分かってますよ! 俺らが弁明して、信者が必死になってるからって貴方が悪く言われないようにって僕らは黙ってた! でも、自分から死のうとしないでほしかった!」
「天晴……」
縁川天晴が喜び以外で感情的になっているところを、初めて見た。怒鳴りつけるように、彼は拳に力を込めた。
「貴女のことが好きで、でも説明してほしいって奴らも確かにいた! でも僕は貴女が黙ってても良かった! なんの説明が無くても、僕は貴女を信じる! 信じた! なのに、なのに手首を切ったってなんですか。僕たちが気付けなかったのが悪いかもしれない。しつこいと思われても、コメントをもっと送ってれば良かった。ブロックされても好きだって、DМが罵詈雑言で埋まる前に、僕のコメントで埋めてれば良かったって、ずっと、ずっと思ってます! でも、僕らが反論して、貴女はそんなことしないって言っても、あいつら信者だからって聞く耳も持たない! どんなに説明してもバカ信者って言われて終わりですよ。貴女のことなんて何も知らない、アンチですらない浅い、あっさい奴らが! 僕たちが貴女を守ろうとすることを、貴女の為にならないなんて言う! 中立気取って正義気取って! 貴女を肯定することを咎めて! 挙句の果てに貴女が悪く言われる! どうしたらよかったんだろうって、貴女が自殺しようとしたって聞いてから、ずっと思ってます! 貴女を責めた奴ら全員、殺してやりたい。苦しめて、もう二度と貴女が視界に入れないように、ぐちゃぐちゃにして消してやりたい。でも、でもそうなったら果崎あかりのファンがって、貴女の名前が出されるじゃないですか。それしかないですよ殺さない理由なんて。法律なんて関係ない。人生なんてどうでもいい。それくらい、貴女に全部捧げられる! 責められると真っ暗になって、ひどい言葉ばかり目につくんだろうなって、分かりますよ。僕が想像も出来ないくらい、今までも酷いことされてたんだろうなって! だから僕は、貴女のしたことをとやかく言う筋合いなんてないのかもしれない! それでも!」
縁川天晴は、私の手に触れる。そして、静かに私を見上げた。
「……それでも、生きようとして欲しかった。果崎あかりには、何があってもちゃんと応援してるファンがいるって、信じてほしかった。身勝手だって分かってます。貴女の絶望を、俺は本当の意味で知ることが出来ない。アイドルじゃないから。でも、死のうとなんて、しないでくださいよ……なんで、自分から……」
縁川天晴は、しゃがみこむ。
置き去りにされた子供みたいに。拳を握りしめて、苦しみを抑えながら俯いた。
「ごめん」
私はそんな縁川天晴に近づく。涙が溢れて、視界が滲む。
「ごめんなさい……」
死のうとしたことを思い出すたび、どうして死ねなかったんだろうと思っていた。
両親を前にして、後悔に苛まれそうになった時は、死ななきゃ迷惑をかけてしまうからと誤魔化していた。
でも初めて、死ぬ以外に選択肢はなかったのかと、思ってしまった。
私はアイドルとして、彼の生きる希望になりたい。彼の支えになりたい。
ただただ、縁川天晴に生きていてほしい。
「僕は、もうどうしていいかわからない」
「天晴──」
「僕は、自分の人生に後悔はありません。推しを推して死ねるなら本望だった。でも今は、分不相応にもほどがありますけど、貴女を孤独に追いやってしまうんじゃないかって怖いんです。でも、貴女がこの世界からいなくなるのなら、僕は死にたい。だからどう生きていいか、わからない。どうしていいか、わからない」
彼は凪いだ瞳で淡々と自分の絶望を語る。その陰りは私の行動が与えたものだ。
両親のもとへ行きたかった。
痛いことは怖いけど、明日寿命ですと言われれば喜んで受け入れることが出来た。
アイドルとして在ることが、存在理由でありこの世界で生きていていい赦しだった。
炎上で、「生きていていい理由」と「死んだほうがいい理由」の比重が、簡単に逆転した。
「あいつらに復讐してやりたい。あいつらを踏み台にして貴女をどこまでも高く、ゴミみたいな奴らの手の届かない光の先に飛ばしたい。なのに僕は、その力がなにもない。なにもできない。僕はずっと、透明な、なにもない存在でしかない」
あの時踏みとどまれていたら。
目を閉じてあの日を思い出して、もう少し待っていたらと後悔に苛まれる。そうしたら、私は彼と出会うことはなかったけど、死ぬこともなかったかもしれない。
私が死ねば全部好転すると思った。でも逆だ。何にもならなかった。
彼から、生きる気力を奪ってしまった。
「私は──」
何を言うかも決めてないままに、私は縁川天晴を呼びかける。でも、彼の後ろに建つ病棟の廊下に、見慣れた人の影が横切った。
葬列に並ぶように生気の抜けた顔で歩くのは、遥だ。彼女は遠くからでも分かるほどうつろな瞳で歩いている。幽霊と見間違うほどの異質さに、私は言葉を止めた。
「あかりちゃん……?」
ずっと病棟の窓を見つめる私に、縁川天晴も病棟へ振り向く。
「あいつ、何かする気じゃ……」
縁川天晴が苦々しく唸りながら、病棟へ駆け出した。彼は、走っていい体じゃない。私は彼の名前を呼びながら慌てて駆け出す。
でも縁川天晴は驚くほど速くて、追いつけない。今まで彼が走っているところを見たことは一度もなかった。こんなに足が速かったのかと思い知りながら、私は彼を追いかける。
看護師さんが止めてくれればいいのに、病棟には誰もいない。
人員不足を看護師さんが嘆いていて、話半分で聞いていたことを悔やみながら、私は腕を何度も振り上げる。
私が花が好きと言ったら、花屋になろうとしたファンがいた。ライブで看護師さん大好きって言ってれば、少しくらい看護師さんになろうとしてくれた人がいたんじゃないかなんて考えてから、前まで見ないようにしていたファンのみんなの存在を意識していることに気付いた。
それは間違いなく目の前の縁川天晴や、もう私が見えないさくらちゃん、ほかにもみんなのおかげだ。でも一番私を取り戻そうとしてくれた縁川天晴は、前を駆けていて手も届かない。
私は胸に巣食う後悔を抱えながら走っていく。やがて病室に辿り着くと、遥が私のそばに立っているのが見えた。病室の外で、縁川天晴がその様子を窺っている。
「巻き込んでごめんなさい」
遥は、私のベッドのシーツを握り締めていた。縁川天晴は声を潜めながら、「ずっと謝っているんです。貴女に」と耳打ちしてくる。
遥が謝っている──?
「貴女は、私がリークの情報を流したと思っているんでしょうね……」
彼女は今まで機嫌が悪いことはあれど、俯いたり、こんなにも虚ろだったことはない。
何かある。
私が一歩踏み出した、その瞬間のことだった。
「もう、終わりにしてあげる。巻き込んで、ごめん」
遥が、私に繋がれた管へ手をかけた。
「今、楽にしてあげるから」
優しい声に、引きずられそうになる。でも、「やめろ」と怒鳴りつける強い声が響いて、ハッとした。
「あかりちゃんに、触るな!」
縁川天晴が飛び出し、とっさに遥の手を押さえる。血走った瞳をしながら、彼は遥にに怒りをぶつけた。
「なんなんだよお前っ、あかりちゃんの命まで奪わないと気が済まないのかよ!」
自分に言われているとすら錯覚するほど、鬼気迫る叫びだった。
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