いのちがけの初恋③


 責められた遥は、顔を歪めて首を横に振る。、


「違う! 私はそんなこと望んでなかった! あかりが私のことリークしたなんて思ってない! それに私はずっとアイドルを──!」


 遥は、言葉を飲み込んだ。彼女のスマホから、けたたましいほどの通知音が鳴り響く。ダイレクトメッセージの、通知音だ。


 一瞬、彼女と視線があった気がした。けれど彼女は手に持っていたスマホを壁に叩き付け、激情をぶつける。


「うるさい! うるさいよ全部! 全部嫌! みんな死んじゃえばいい! 私に指図しないで! みんな大っ嫌い!」


 遥は、思い切り縁川天晴を突き飛ばした。壁へと叩き付けられる形になった彼は、床に倒れこむ。


 私はとっさに縁川天晴の前に飛び出した。遥の勢いは収まらず、私のベッドに置いてあった松葉杖を掴んで振り上げる。


 このままだとすり抜けてしまう。手が届かない。嫌だ。縁川天晴が危ない。


 そんなの絶対に嫌だ。


 とっさに手を伸ばす。その瞬間、フラッシュのような強い閃光が周囲を遮った。


 そのまま激しい水流に飲み込まれる錯覚に陥る。


 とっさに手のひらを強く握りしめ、久しぶりに感じた布の感触に驚き目を開くと、ぼんやりと揺れ動く遥の背中が見えた。


 さっきまで、遥の目の前に立っていたはずなのに、まるでベッドに横たわりながら彼女の腕を掴んでいるような視界だった。


「あかり」


 遥が、私を見ている。


「戻った……」


 縁川天晴も、唖然としていた。


 私は、掴んでいる。手の中の感触で、今まさに私は自分の身体に戻ったのだと理解した。


 遥は、ただただ驚いて目を見開き、首を横に振った。


「違う。殺すつもりじゃなくて……私は、迷惑かけたから楽にしてあげたくて、だって、苦しいから、違うの……もう嫌……なにもかも嫌!」


 遥は、怯えているようだった。目には涙を浮かべ、ぽたぽたと滴が真っ白な床に落ちていく。


「私は、巻き込むつもりなかったの……違うの、こんなつもりじゃなかったのに!」


 鮮烈な訴えに、は騒然として動きを止める。やがてぱたぱたと人が駆けてくる音がして、遥は逃げるように病室から出ていく。


「あ、あ、あかりちゃん、も、戻って……」


 縁川天晴が近づいてくる。声が出ない。なんとか呼吸だけを繰り返した後、私はようやく言葉を発する。


「あ、あの子、私のこと……一瞬……見えて……」


「じゃあ寿命が近いってことですか?」


 それは分からない。もしかしてだけど、自殺しようとしてるのかもしれない。身体のタイムリミットだけじゃなくて、心が限界だったら、たぶん──。


 私はベッドから降りようとした。けれど、全然力が入らなくて転がり落ちる。縁川天晴が慌てて飛んできて、身体を支えてくれた。


「ありがとう……」


「ほら、ベッドに戻ってください! 今ナースコール押しますから!」


 縁川天晴は私をベッドに横たわらせようとするけど、私は首を横に振った。


「探しに、行かなきゃ……」


「無理です! 死んじゃいますって!」


「……もう死なない。後追いされると困るから。それに──」


 縁川天晴の腕を掴んだ。


「好きだから」


 だからこそ、遥が心配だ。大切な人間がある日突然いなくなる怖さを、やっと感じられるようになった。


「ごめん──見逃して」


 私は、さっき縁川天晴を傷つけそうになっていた松葉杖に手を伸ばす。すると、彼が松葉杖を取り、こちらに渡してくれた。


「二度目はないって言ったとき、うんって言ったのに。貴女こそ嘘つきじゃないですか」


「……ごめん」


「危ないと思ったら、僕は貴女を優先します」


「ありがとう」


 私たちは、病室を出ていく。寝ていたのは一か月と少し、それなのに歩くのすらままならない。


 幽体の時より地に足がついている感じがしなくて、松葉杖を握り進んでいくのがやっとだ。身体が重くて、吐き気が止まらない。


 病室の廊下は、しんと静まり返っている。真っすぐなはずなのに、ぐにゃぐにゃする。


 看護師さんたちは患者さんの対応をしているらしい。遠くの廊下で足を速める姿がちらりと見えた。


「看護師さんが見たら、たぶん声をかけると思うから……」


 遥はどうやって病室に入ってきたのだろう。診療中ならまだしも、こんな時間、病室まで来ることは出来ないはずなのに。


「どうして、遥は、病室に……」


「もしかして、夜間救急に紛れたのでは」


「あれ、でも夜間救急って……」


「第三土曜日だけは受け入れてるみたいです」


 なら、夜間救急の通路を使って……?


 視線を向けると、言葉に出さずとも縁川天晴は、「ですね!」と、夜間救急と直結しているエレベーターに視線を向けた。


 エレベーターがどこの階に止まっているかを示すランプは、八階、七階、六階……とどんどん下がっていっている。


「俺階段で行ってきます! あかりちゃんはエレベーターで来てください」


 縁川天晴は、そう言うなり非常口に向かって駆け出した。


 私は焦燥にかられながら、エレベーターのランプを見つめる。そばにはエレベーターを待っている間、目を通す為にか、掲示板があった。


 緩和ケアの相談会や、健康的な食事についてのポスターが貼られている。そして、今月からドクターヘリを受け入れるとのお知らせが目に入った。


 ドクターヘリは、一刻も早く治療が必要な患者さんのために出来たものだ。


 学校の屋上と違い、扉を開ける必要性が出てくる。


 そしていま、救急搬送が多く、夜勤は人出が少ないと看護師さんが言っていた。


 ふっと最悪の想像をして、私は非常口へ一直線に向かう。


 遥は、降りてない。おそらく上がっている。落ちるために。


 私は松葉杖を突きながら階段を上る。死のうとするまでは階段の上り下りなんて苦痛を感じなかったのに、鉛をつけているのかと錯覚するほど一段が重い。


 松葉杖が手から滑り落ちて、ガタガタと音を立てて落ちていく。


 拾いに行っている時間はない。私は手を突きながら、這いつくばるように一段一段上っていく。


 間に合ってほしい。


 それか、屋上の扉が立ち入り禁止のまま、閉じていてほしい祈るように何段も上っていく。やがて最上階に到着すると、扉は半開きだった。


 なんとか転がるように押し開いて飛び出すと、フェンスの向こうに遥がいた。


「遥」


 私は彼女の名前を叫ぶ。振り返った彼女は、私を見て驚いた顔をしていた。


「来ないで!」


「行くに、きまってるでしょ!」


 行くにきまってる。来ないでなんて言われて行かないわけない。


「それに、飛ぶ気なんでしょ? 私が行っても、行かなくても」


 私はそのまま、遥へ着実に距離を詰めていく。


「なんで、死のうとしてるの」


「それは……」


「なんで、私のこと殺そうとしたの」


 ずるい訊き方だけど、注意をそらすにはそれしかなかった。遥はしばらく俯いて、こちらに振り替える。


「まつりが決まったドラマの番宣、本当は私の仕事のはずだったの。でもその前に、スポンサー……」


 七星まつりが、有名な女優さんのオフショットに一緒に写った。


 彼女はもともと捨て石や捨て駒なんじゃないかと言われていて、事務所からの扱いも悪かった。


 売れるアイドルにかける時間すら足りない中で、当初CDの売れ行きがあまり良くなかった彼女に目をかけるというのは、難しいことだったのだろう。


 でも、そのオフショットの公開から、周囲の態度が一変していた。彼女の口から「プロデューサーさんと食事に行った」と話題が増え、メイク室では忙しそうに台本を読んでいた。


「努力の差だったら諦めがついた。でも、全然そうじゃないじゃん」


 七星まつりの、拙さ。


 そんな面も含めて、彼女のファンは応援している。アイドルとしてではなく身近な隣人として彼女を応援している。だからか、歌やパフォーマンスを重視するファンは「話題性」だと厳しい目を向けることも多かった。


「皆、まつりがいればいいって思ってるよ。私なんかもういらないって。自分の上位互換が突然出てきた気持ちわかる? あっち、CDの予約トップだよ? わかるんだよ。言葉にされなくても期待されてないって、もう私なんて飽きられてるって、わかるんだよ。事務所のツイッター見た? CDも雑誌も、あっちの予約開始は絶対宣伝するのに、私は宣伝すらしてもらえない。私が告知していいか聞いて、マネージャーのほうに返答来るのなんか、発売ぎりぎりだよ。私に情報来る頃には、全部終わってる。準備すらさせてもらえない。売れないアイドルも、そのグッズも、全部ゴミ扱いされるしかない!」


 遥は、苦しげだ。ただ不平不満を口にしているのではなく、限界を見てしまったのかもしれない。


 アイドルという人に評価される仕事をしている以上、誰かに好かれなきゃ生きていけない。憧れられなきゃ、意味ががない。


 なのに炎上で救いを見出してしまうほど、彼女は追い詰められている。


「もう私には、後がないんだよ。炎上でもいい。叩き割る目的でもいい。CD買われたいよ。注目が欲しい。だって頑張っても全然誰にも見てもらえない。苦しい。応援してくれたファンの皆に顔向けできない。全然、何も返せない。後だってもう、落ちるだけじゃん。もうわかるの。自分の考えが最低だって。でも苦しい。頑張ったの認めてもらいたい」


 遥の感情すべてに、身に覚えがあった。応援してもらったファンに顔向けできない。このまま落ちぶれていく姿を見せるくらいなら死にたい。消えてなくなりたい。


 誰からも期待されてもらえなくなるのが怖い。前の自分のほうが良くできてる気がする。こんなはずじゃなかった。


 遥の苦しみすべてに、吐きそうなくらいの身に覚えがある。

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