いのちがけの初恋④
「この世界に、居場所がない」
遥は縋るように私を見た。そして手のひらを握りしめる。
「返事はしてくれてる。でも分かるんだよ。自分の存在意義が捨て駒として扱われてないの。適当なんだよ。全部。今度仕事について打ち合わせしましょうって、企画説明しますって言って、そのままなの。何度も。同じ事務所の子は打ち合わせとかしてるの。私に割く時間はない。人気ないから。それなら貴方を相手にする暇はないですって提示してくれるほうが優しくて親切なくらい、自分って相手にされてないんだなってわかる。それをファンの人に見える形で、どんどん放り出されるの。何もかも」
「で、でも、マネージャーは? 遥のマネージャーは、遥のことすごく思って」
「事務所、辞めたって。炎上の責任とって。自分が辞めるから、私のことは辞めさせないでって頼んだって」
言葉を失った。
マネージャーが、辞めたなんて。
遥のマネージャーはいつだって、遥が活躍することを望んでいた。
他人の私から見てもそう感じていたのだから、彼女は肌でその期待を感じていただろう。
その心の支えが、ない。
事務所から期待をされない彼女の心を守っていたのは、間違いなくマネージャーやファンの声だった。けれど炎上でどれほどその声は減ったのだろう。
唯一の心の支えにしていた存在を失った彼女は、いま──、
「死にたい」
平坦な声色で、遥は言った。懇願を微塵も感じさせないその声色は、約束した未来を示唆するものだった。
「生きていたくない。せめて今、かろうじているファンの心に残って死にたい。だってもう無理だもん。恩返しできる気がしない。私からファンの人を楽しませることができる何かを提示できない。みんなのこと見返す何かを持ってない。才能ないって気付いた。ここまで来れたのまぐれだった。分不相応だった。奇跡だった。間違いだった。だから私の前から本当に誰もいなくなる前に──終わる」
遥の体が傾いた。
気持ちは痛いほどわかる。私も同じだ。
そうして私は逃げたくて、自分を殺そうとした。
でも、
「駄目だって……!」
私は身を投げようとしていた 彼女の腕を必死に掴んだ。
「自分も死のうとしておいて、他人に死ぬななんて都合がいいのわかってるよ。これ以上どう頑張ればいいか分からないし、どうしようもなく生きてたくないって、絶対死ねば幸せだって思う気持ち分かるよ。でも、違うじゃん!」
私は死ぬ気だった。
死ななきゃいけないと思っていたけど、それ以上に死にたかった。だってどうしようもなく辛いから。
世界の全部が私という存在を否定するような、もういらないって見放してくるようで、苦しかった。
「私も見ないふりしてた。自分が死んで悲しむ人のこと。 だって、何があっても遥には生きててほしい人いるでしょ? 遥がアイドルを続けるために、マネージャーは辞めたんでしょう? 遥の未来を、望んで遥から離れていったって、本当は分かってるんじゃないの?」
「うるさい」
「生きてよ! 報われなくても生きろなんて言えないけど、それでも誰かのせいで死ななきゃいけないなんておかしいんだって。間違えてもいいじゃん。正しくなくていいよ。壊れてたって、許されなくても生きていいんだって。おかしくても関係ない。正しくなくてもそれでも、生きていいじゃん。間違ってもいいんだって! 私は、今思い知りそうになってる。大事な人がぱっと消えるのがこんなにも怖いって、死ぬほうはもう、死ぬことしか考えられないってわかってるよ。でも、死なないでほしいって思ってるよ。私は遥に死んでほしくない。誰にも死んでほしくないよ」
死んでほしくない。
賛美遥に死んでほしくない。縁川天晴に死んでほしくない。遠岸楽も死んでほしくなかった。誰も死んでほしくなかった。生きて会えたらって、一緒にいられたらって思っている。これから先、ずっと。
「死ぬほうが幸せを感じるかもしれない。苦しくてどうしようもないかもしれない。生きてるうちにしか出来ないこと、あるんだって。生きよう、一緒に。一緒に生きて」
これから先、また死にたくなる瞬間はくるかもしれない。そんな私に、誰かに死ぬな、なんていう資格はきっと無い。それでも。
「お願い……」
それでも、この手を離したくない。
私は一生懸命、遥の腕を掴む。けれど病み上がりであることや重力も相まって、彼女の華奢な身体はどんどん夜の奈落へと導かれるようにずるずると落ちかけていく。
私が自分を殺そうとしたことを、止めたいと思ってくれた人がいた。
同じように、いま、遥が死のうとしてると知ったら、手を伸ばしたいと思う人間がいるはずだ。その人の分まで、私が遥の腕を掴まなきゃいけない。
それなのに、両手でつかんでも、ずるずると私の身体も下へと下がっていく。手すりが骨にあたって痛い。早く引きあげなきゃいけないのに。一人じゃ力が足りない。
真っ暗で、誰も見えない。
「あかりちゃん!」
叫ぶような声に、目を大きく見開いた。私が遥を掴む手に、さらに縁川天晴の手が重なる。
ぐんと引き上げる力が楽になって、そのぶん遥を思い切り引っ張り上げる。
何度も何度も引っ張って、やがて遥の足がぺたりと屋上の地面についたことに安堵して、私は一気に脱力した。やがて噺田先生がやってきて、こちらに駆け寄ってくる。
「これは一体……」
「彼女が、飛び降りようとして」
縁川天晴が、遥に目を向ける。先生は深刻そうに、私と遥を交互に見た。
「とりあえず、彼女を一度屋上から離さないと」
先生は、躊躇いがちに私を見る。
医者として、さっきまで昏睡状態だった人間と重い病気を抱えた人間屋上に置いておくのは忍びないのだろう。
「大丈夫です。ちゃんと戻れます」
「戻らなくていい。人を呼ぶから、そこにいなさい」
先生は持っていた端末で、応援を求める。
急に体全体に重力がかかったように重くなって、私はその場に倒れこんだ。
「あかりちゃん!」
縁川天晴は、絶望を帯びた声で呼びかけてきた。私は首を横に振る。
「大丈夫だから。ずっと寝てて急に動くのに無理があっただけ……」
「でも」
「いいから。それより、そっちのほうが重症でしょ。おとなしくしときな」
私は彼を制するように手を振る。けれど彼は、「生きてる……」と泣き始めた。
「あかりちゃん……、目が覚めて……本当に……本当によかった……」
ぼたぼたと、頬に涙がふりかかる。何とか指を動かして、その頬へと手を伸ばす。
触れた温度がこの間までのものと全く違っている。
私は、帰ってきたのか。
この、世界に。
「夢みたいです……あっ、握手しちゃった」
「ずっと前から、してたでしょ」
私は呆れがちに言葉を返した。
「生きててくれて、ありがとうございます……」
彼はそのままずっと、何度も何度も私の手を握る。
空は真っ暗になっていたけれど、星の光に輝いていた。
◯〇〇
死ぬ前は、自殺以外にすることなんてなかった。
仕事も消え、学校へもマスコミが押し寄せるため休学を進められ、休みだからとできる趣味もなかった。
けれど、目が覚めてからはやらなければいけないことが山積みだった。
周りの人たちへの謝罪に、リハビリ。人ひとりを協力して引っ張り上げたのが奇跡みたいに、ずっと意識不明だった私の身体は、ごっそり体力が落ちきっていた。
謝りに外出することすらままならず、すぐ貧血を起こし、体力をつけようと運動をすることも出来ない。
だから一人一人に手紙を書いた。その手紙も、手に力が入らなくて、テープで固定してみたりして看護師さんやマネージャーさんを驚かせてしまったけど。
「すみません。今日はわざわざお越し頂いて」
私は、病室へと入ってきた統括チーフに頭を下げた。チーフはすぐに首を横に振った。
「これは退院祝いの……水だ。行きに君の好きな食べ物を彼に聞いたら、検索しだして焦ったよ」
そう言いながら、チーフは黒い紙袋をサイドテーブルに置く。チーフの隣にはマネージャーがいて、肩を縮めながら俯いていた。
「すみません。もともと仕事以外で話をすることは苦手で……」
「ゴシップの心配もない分こちらとしてはありがたいが、気を抜くことや休むこと、何もしないことも覚えておきなさい。ファンはアイドルに娯楽性や救いを覚えるものだ。そのアイドルが娯楽を知らないのは、問題がある」
統括チーフは、ベッドのそばの椅子に座った。そして私に体を向ける。
「今回の件に関して、根本の原因は事務所にあった。内部の人間が自分の一時の感情によってネットに嘘の情報を流した。そもそも事務所の管理体制がしっかりしていれば、君の炎上もそもそも起きなかった可能性がある。結果、こちらの都合であるにも関わらず君と遥だけが批判の的になってしまった。すまない」
「いえ、チーフは何も悪くないことなので……頭を上げてください」
内部の人間が、アイドルを陥れるために、嘘の情報をリークした。誰かの成功を願って、誰かを蹴落とそうとした。
そんなこと、予測できるはずもない。
「本件について、自社で公表し、記者会見も行う予定だ。私は統括チーフの任を降りる。それで──君の意思を最大限尊重したいと思ってはいるが、どうか君にはアイドルを続けてほしいと思っている」
アイドルを続けるか、続けないか。
目覚めたとき、答えは決まっていた。
私は統括チーフの目を真っすぐと見た。
「私は、叶うのならばアイドルとして活動を続けていきたいと思っています」
私はアイドルを、続ける。一度は諦め手放してしまったけれど、もう一度掴む。ファンの人に、笑顔を届ける最高のパフォーマンスがしたい。
決意新たに伝えると、チーフの隣にいたマネージャーが、ぼろぼろと涙をこぼした。
「なんだ君は。みっともない」
チーフが怪訝な顔をする。マネージャーは、「安心して」と、ハンカチで目元をおさえた。
マネージャーとは、挨拶とお礼、業務以外で話をすることがなかった。
仕事仲間であり、協力相手。それ以上でもそれ以下でもない。プライベートも何もかも、お互い踏み込もうとしないままが一番いい。
そう感じる一方で、彼女のマネージャーの距離感は新鮮なものであり、息がぴったり合う関係性だと見ていた。
けれど実際のところは違う。声に出さなきゃ伝わらない。言葉が無くとも繋がり合える関係性は、本来奇跡だ。
そして言葉があったとしても、受け取り手の感情や状況で意味合いが屈折する可能性がある。
そうして少しの認識のすれ違いで、ぐるりと物の見え方が変わってしまう。
「すみません。ありがとうございます。ご心配をおかけして、ごめんなさい。チーフも、マネージャーさんも、事務所の人たちがいなければ、私は何も活動できません。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
私はチーフとマネージャー、二人に頭を下げた。マネージャーが、「よろしくお願いします」と続いた。すると、チーフが目を細める。
「君、変わったな」
「そうですか?」
私が、変わった?
幽体離脱をしていた間、暗くなっていた。そこから明るくなったというのなら、理解できる。
でも、チーフの知っている私の状態に変化はなかったはずだ。
「雰囲気が、柔らかくなった」
思い当たる点は、ある。
でもまさか、自分のファンの人の家に居候したり、不審者を捕まえようとしていたなんて、言えない。私は曖昧に首を傾げた。
「変化はいいことだ。今後に君に期待している」
チーフは立ち上がって、ドアへと向かっていく。
マネージャーはこちらへ振り返った。
「本当に、退院の送迎はいいんですか?」
「はい。どうしても寄りたいところがあるので。すみません」
そう言うと、マネージャーはこちらに頭を下げ、病室を後にした。
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