いのちがけの初恋⑤


 退院祝いに来てくれたといえど、緊張した。ほっと息を吐くと、すぐにまた扉が開いて気持ちを切り替えた。


「こんにちは! ここの警備やばいですよ! ザル! 先生にお願いしたら入れてもらえましたよ! 時間外なのにほら──ファンが入っちゃった! 推しの病室に一般人が入れちゃうのはちょっと複雑です!」


 縁川天晴が、自分の足を指さしてジェスチャー交じりに入場してくる。


 統括チーフとマネージャーの再入場ではなかった分、安心はするものの、別の意味で気が置けない。


「それはザルとは言わないしもう少し情緒整えてほしい」


「分かりました落ち着きます。でも僕たち普通に考えたら、ただのファンとアイドルじゃないですか。ザルじゃないですか?」


「噺田先生は知ってるからでしょう……外で話そう。声も大きいし」


「すみません病院通いは慣れてたはずなんですけど」


「返事し辛い事言わないで」


 私は起き上がって、ベッドのそばに置いてあったサンダルに足をかける。念のため、帽子も被った。髪も結んで眼鏡もかけて、変装を入念に行う。


「推しとデートか……」


「ここ病院だから。これから行く場所も、わかってる?」


 しみじみと目を閉じる縁川天晴に呆れながら私は病室を出る。彼が後ろを追いかけてきて、私たちはそのまま、病室を後にした。



◯◯◯



 晴れ渡った空のもと、縁川天晴と一緒にお墓が並ぶ通りを歩いていく。


 お墓のそばに咲いていた花は、色付きはじめ、生い茂った木々も徐々に姿を変え始めていた。


 私たちは、花が手向けられたお墓の前に立つ。遠岸楽のお墓だ


 そのまま手を合わせる。


 魂が安らかでいられるように祈って、私は頑張っていくこと、そしてありがとうを伝える。


 しばらくして、私たちはそっとお墓から離れた。


「いま、遠岸さんはどうしてるんだろう」


「三途の川めんどくせえって言って棒高跳びで飛んでたり、気に入らないやつにぶっ殺すぞとか言って好き勝手してると思いますよ」


「だといいな」


 遠岸楽は、いつも誰かを気遣っていた。どこかで自由に過ごしてほしい。今度は、本当に自分の人生を自分のために使って。


「まぁ、最初は彼のおじさんに怒られそうですけどね」


 遠岸楽は、おじさんの罪を自分がすべて受け入れる形で、おじさんの奥さんを守ろうとした。でもきっと、彼のおじさんは望んでいなかったことだ。


「そういえば、噺田先生。女性のお墓まいりに行くらしいです」


 噺田先生は、病院を退職したらしい。緩和治療へと移るそうだ。ずっと先生を求めていた彼女と、ずっと女性が気がかりだった先生。どちらも形は違えどお互いのことを想っていて、だからこそ囚われていた。


「そして僕は学校、昨日行ってきましたよ」


「そっか」


「俺の時だけ反応軽くないですか?! それは嫌です! 強いノーを表明します!」


「いや、そうなんだなぁってちゃんと思ったよ。静かに聞いていただけだよ」


 別に縁川天晴が学校に行くことに興味がないわけじゃない。でも彼が学校に行くことは、命を削ることだ。


「体育見学でしたけど、楽しかったです! 体育!」


 はずんだ声音に、体育についてもっと聞いてくれという雰囲気をひしひしと感じた。


「聞かないんですか。体育について」


「……なにしたの」


「卓球です! あかりちゃん前に卓球選手権のアンバサダーやってたじゃないですか選手特別応援の!」


 だから卓球の話がしたかったのか。


 思えば部屋に卓球のラケットがあった。あれは趣味でなく、私のことがあってか。


「僕はあの選手権の時、ベンチにいた人の気持ちで見学していましたよ」


「なにそれ」


 相変わらず、ちょっと変だなと思う。


 前はアイドルを前にしたファンだからなのかと思っていたけど、いろいろ、根本的に。


 でも、怪訝な目で見てしまうにはあまりにも残酷なくらい、彼は晴れやかな笑みを浮かべた。


「何をするでも、僕の道の先には貴女がいます。貴女がいるから、この世界に興味が持てる」


 さらさらと、柔らかな秋風が私たちの間に吹く。


 彼にそうして想われることが、救われる一方でただただ苦痛だった。


 前は憧憬を抱かれるたび、苦しかった。水の底に沈められるような苦しさと、針で雁字搦めにされているみたいだった。


 でも今は、誇らしい。


「だから僕──手術受けます」


「……ほんとうに?」


 縁川天晴の、手術の成功確率は限りなく低い。けれど、不安を感じさせないほど明るい、希望に溢れた声色だった。


「未来なんていらない。今の貴女を推せれば十分だと思ってました。でも、未来にかけてみようと思うんです。貴女をずっと見届けたいですし、推しのお願いは絶対なので」


 今度は偽悪的ではない笑顔で縁川天晴は笑う。私はポケットに予め入れておいたものを取り出して、彼の手に持たせた。


「なら──復活ライブのチケット──の予約券。最前席の、渡しておく」


 手作りのチケットだ。小さいころ親に渡すお手伝い券とか、小学校の行事であるような券だけど、ラミネートもした。


「まじっすか!? 最前? やっば! 俺死ぬほど匂わせそう。推しに座席ご用意されるとかヤバいっすね。吐きそう」


 やだー! なんて、縁川天晴は自分の肩を震わせている。私は「匂わせたらコンサート全部出禁にするから」と付け足した。


「えー! 気を付けます!」


「うん。あと……、新しく、曲も作ろうと思う。長めの」


「まじですか!?」


「うん。バンドの人って、想い出が残せるように曲にするんだって。私もそういう軌跡を、残したいなって」


「バンド……? あかりちゃんはアイドルじゃないですか」


「なんでも応援してくれるって言ったくせに細かいな」


 少し抗議を含めて返すと、「でも何か悪いバンドマンに影響されたのかなとかオタク杞憂しちゃう」なんて、ぶりっ子まじりに嘘泣きをしてくる。


 私はため息をついた後、静かに息を吸ってから縁川天晴を見た。


「……アイドルとしての果崎あかりは、誰のものでもない。」


「はい。重々承知しております。存じ上げておりますよ」


「でも、一人の果崎あかりは、アイドルを卒業したら、縁川天晴と生きたい」


 アイドルは、恋をしない。ファンの人に恋をする。だから、アイドルでいる間は、誰かのものにならない。


 我儘で、自分勝手かもしれない。でも、私の正直な気持ちだ。


「……以上です」


「僕も、貴女が好きです」


 彼はそう言って笑う。くしゃっとした、満面の笑みで。


「ありがとう」


「これからもアイドルである果崎あかりを推しますし、貴女を愛します」


「なら、ずっと生きてて」


 やがて、ポケットに入れていたスマホのバイブレーションが鳴り始める。


 縁川天晴は行ってきてくださいと、私の背中を押した。


 私は「頑張る」と手を振って、彼に背中を向けて歩いていく。


 振り返らない。


 やることが多い。まだ体力もろくに戻ってない。


 髪の毛は荒れてるし、肌の調子も良くない。喉もこの間、軽く歌っただけでおかしくなりそうだった。


 最高のライブを見せなきゃいけない。最上級のパフォーマンスを披露したい。


 時間がない。後ろは振り返らなくていい。背中を押してくれる人は、ちゃんといる。


 私は赤い線の残る手首に視線を落とす、そして、空を見上げて進んでいった。

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